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”え〇ん”について考える

先日、法事があり、お坊さんが”縁”について素晴らしい事を言っていた。
縁とは”つながり”であり、偶然か必然かは別にして、間違いないことは、
私たちをこの場に居合わせたのは”故人”である。

因果関係と言う言葉があるが、
原因➡結果(原因があり結果が生まれる)
結果➡原因(結果が生まれるには原因がある)

しかし、原因と結果の間の矢印には必ず”縁”が存在している。
仏教でいうところの”因縁果”である。

因縁と言う言葉があるように、因縁には”つながり”がある。

物事には始まりがあり、終わりがあるが、始まりと終わりの間に、”縁”=結びつける何か”がなければ、所謂”始まらないし、終わらない”。
と考えると

”ご縁があり”とは言うまでもなく、”必然”となる。ではこの世の”縁”とは何か?

”業”と言う言葉を聞いたことがある。仏教で使われる言葉だったと思うが、
人間は何かしらを背負って生まれてくるらしい。
インドでは”カルマ”とも言い、因果応報という言葉もある。

どちらにせよ、言葉では説明できない”何か”がそこにあるのは、間違いないと思われる。

以前から縁について考えていた。それが良いことにせよ、悪いことにせよ、
何かしら”自分にとって”意味があるのではないか?と。
決まって”何で俺だけ?”って時は、大抵悪い時である。
しかし、”選ばれた”と考えると”あなた以外にはない”のである。

つまり、あなたの為に用意された出来事こそ”縁”であり、
縁の為の”因果”とも考えられる。

その”つながり”っていく様を”円=〇”と考えると、丸にはどこかしらに、
始まりがあり、終わりがある。しかしどこが始まりなのか、終わりなのかを知っているのは、〇を描いた”本人”だけである。と考えると、やはり
”あなたの為に用意された縁”である。

半ば強引に結び付けている感は否めないが、
縁と円は私はどうしても”えん”があるとしか思えない。
どこかの誰かがそれに気づき日本の貨幣を”円”に決めたとしか・・・・。

言うまでもなく、日本は”日の丸”円である。貨幣も円。
円は”縁”を内包しており、その個人のつながりこそ、日の丸を作っている。
陰陽で言うところの”太極”は”〇”であり、

始まりと終わりがあるが、重要なのは”つながっている事”
これまで語ってきた”全てが縁であり円であるという事”

最後にこれを書いたことも”何かしらの縁”であると
ふと思うのである。




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