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「2回・3回ではダメ。何百回も言い聞かせないといけない」~東日本大震災から11年 東北地方を巡る~

前置き

今年で東日本大震災から11年が経ちました。

11年という月日の流れから震災関連の報道も少なくなり、震災の風化が進んでいるように感じています。

それは自分自身に置いても言えることです。


今年の1月16日に日本から約8000キロ離れたトンガ諸島の火山の大規模噴火により、日本の太平洋沿岸部に津波警報や注意報が出たのは記憶に新しいと思います。

日本での大きな被害は出ませんでしたが、発生時はどこか心の中で (きっと大丈夫だろう) と思っていたように思います。

1960年に日本の裏側で起きたチリ地震により日本列島の東北地方に津波による被災がありました。

震源地が遠く離れ場所でも津波はやってきます。過去に学んでいたはずなのに (きっと大丈夫だろう) と思ってしまいました。

このように時間が経つにつれて防災意識が薄れていくのを身をもって感じました。


私は去年、東北地方の被災地を周りましたが

その時この目で見て新たに発見した事や、感じたこと、考えさせられたことを一度きりで終わることなく今後も続けないといけないと思い、今年も東北地方へ向かうことにしました。


今回3/12と3/13に訪問した施設で見たこと、感じたことを書いていきます。


福島県双葉町  原子力災害伝承館

ここでは原発事故の記録や教訓、復興に向けたあゆみを知ることができます。
語り部講話もありました。

ここ福島は原発事故もあり三つの風評被害に悩まされたとされています。

①物(農産物価格暴落) ②人(避難者いじめ・福島ナンバーの偏見) ③場所(観光地等の放射性物質の汚染イメージ)。これらの払拭は未だ完全には終わっていないそうです。

被害にあった方の立場を自分事に捉えて考えればいくつかの事は防げるように思います。

そもそも原発事故以前は、関東地方で使われる電気の約3割は遠く離れた福島などの地方の原子力発電所で作られていました。こういった背景を理解していれば福島ナンバーで偏見するようなこともなでしょう(もちろん知らなくても偏見はだめです。)

事故の理解を深め、教訓にしていくことの大切さを改めて感じました。


こちらの伝承館は今も一部が帰還困難区域に指定されている福島県双葉町にあります。

高速を降りて向かう途中の数々の景色がとても印象的でした。

廃校になった学校の校庭には雑草が生い茂り、瓦が崩れ落ちたままの家、至る所に瓦礫の山、国道にも関わらず交通量が少ないためか赤信号が点滅する信号。空き巣対策のための⦅町内全域防犯カメラ作動中⦆の表示。

帰還困難区域は年々少なくなっていますが、町は徐々に復興しつつも元の姿に戻るのに時間を要しているように感じました。住民意向調査の結果でも「戻らないと決めている」と答える方が約6割でした。 

帰りたくても帰れない、生まれ育ったふるさとを手放す人の気持ちを思うとやるせない気持ちになります。

もちろん解除された地域では帰還した人もいます。しかし今後の町全体の復興を考えた時に元通りに戻ることはあるのでしょうか。原発のあり方を考えさせられました。

最後にこちらの伝承館2Fの廊下には読売新聞写真部の被災地で撮られた写真がいくつも掲示されています。

どの写真も心揺さぶられるものですが、私はある写真を見て平静を装いながら涙をこらえるのに必死になったものがありました。お立ち寄りの際には是非こちらも観覧して欲しいです。ネットでも全てではありませんがいくつか見れます。



宮城県石巻市みやぎ東日本大震災津波伝承館

ここではシアターで震災の振り返りのショートムービーを見れます。
また津波に関するパネルや写真の展示。
「一人ひとりの記憶」といったタッチパネルを使って被災者の証言映像が見れるものなどもありました。

ここの館内の方は見学中も震災について丁寧に説明して頂けました。私の住む地域が海に近いと伝えると熱心にすぐに避難しなければいけないとも伝えてくれました。こうして実際に親身になって警告してくれる方がいると実際に行動に移さなければいけないと強く思います。

私は今回東北地方を巡るにあたって、震災を経験した人の生の声が聞きたいとずっと思っていました。
ここの「一人ひとり記憶」はまさに聞きたかったものであり、たくさんの語り部の方の証言が映像を通して聞けました。

それぞれ震災について経験したこと、教訓などを話してくれていますが、私はそこで何人かの方の言葉が強く引っかかりました。

「語り部というのは好きではない」
「教訓という言葉は好きではない」

本来、語り部の方達はは地震・津波の災害さえなければ存在しなくていいものです。言ってしまえば思い返すだけでも心に負担のかかる教訓なども無くていいものだと思います。
震災で亡くなられた遺族の方には遺品を展示してくれている方もいます。こちらも本望である訳がありません。
それを実際に見た方が震災というものを感じて考えてくれる為に展示してくれているのだと思います。

人それぞれ経験した事は違いますが、語り部さん達の伝えたいことを自分事にして汲み取り、知り続ける事、伝え続ける事が大切なんだと改めて思いました。


宮城県東松島市 東松島市震災復興伝承館

ここの伝承館は震災メモリアルパーク内にあり、他にも津波に飲み込まれた駅のホームが震災遺構として残っており、津波でダメージをおった券売機の展示もあり津波の恐ろしさを学べます。

震災における復興に使える予算規模は今年度から大幅に減額され、新年度の復興庁の当初予算案は約5790億円で復興が本格化した13年度の2割に満たないそうです。

変わって、東松島市のお隣ですが日本三景・松島のある松島町の去年の観光客は、統計の残る1989年以降で過去最低を記録したそうです。

復興予算に頼らず観光客が定期的に訪れることで復興に予算が回るようになるのではないでしょうか。

今現在、移動の自粛等ありますが私は観光地に赴くことも復興の一環と考えています。

私は福島も宮城も山や海の自然に囲まれた素敵な県だと思います。
また東北の人は口数少なく、忍耐強く寡黙で謙虚な方が多いと聞きますが。話すと親身になって話を聞いてくれる印象があります。

私は2日間東北を車移動していましたが、こちらの方は運転マナーが非常に良い印象がありました。
まず車間距離を詰めすぎず広くとっており、車線変更にしても譲り合いの心を持った運転をしているように感じました。スピードもあまり出しません。

運転は人の性格が出るとよく言います、運転マナーの良さに人の良さが出ているような気がしました。そういった点も東北地方が好きなことの理由の一つにあるように思います。

いつ来てもまたここに戻って来たいと思う場所です。



まとめ


私は今回も様々な体験をして学びました。ですが「人は教訓を忘れてしまう」この事実も避けられないことなんだと思いました。


南海トラフ地震の予想被害は最悪死者32万人を超えると想定されています(東日本大震災はおよそ2万2000人)

この想定を悲観してばかりではいけません。地震を止める方法は無いですが地震に備えることは出来ます。

常日頃考えていないと人は咄嗟には行動できません。

大人数だと集団心理が働き安心すると言いますが、結局自分の身を守るのは自分自身です。有事の時も周りに流されず冷静な判断で正しい行動が取れるようにしないといけません。そのことを教訓にして震災を学習してそれに備えるしかないのです。


災害を伝承するための手段として親や祖父母による「口承」があります。津波についての話をすることで記憶が受け継がれていきます。

みやぎ東日本大震災津波伝承館の館内の方は言いました。

「2回・3回ではダメ。何百回も言い聞かせないといけない」

自分の中ではこれがひとつの答えであるように思います。


最後に
トップの写真は石巻南浜津波復興祈念公園にある石巻市慰霊碑です。

死者の人数をただ数字で表しても現実味が湧かないかもしれませんが、慰霊碑には亡くなった方の名前が一人ひとり彫られています。名前の順なので苗字か続いているとご家族で亡くなられたのかな、、、と想像してしまいます。そしてその人数の多さに驚きます。

ここに彫られた人達には今後も続くはずであった人生がありました。


自分の目で見て、肌で感じて、どういうことを受け取り、それを未来に向けてどう活かしていけるかこれからも続けないと行けません。それの繰り返しだと思います。

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