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求道者の思考法②

南米に1年間居住したり、お寺で瞑想修行したり、今はWebマーケティング会社で働いているひろみです。


今日も昨日に引き続き、KJ法の講義を受けてきた。
KJ法の技法というのはシンプルに言えば、メモ用紙に文章を書き、それを紙に貼って、円を書いてグループ分けするというものだ。

だが、その作業をすることで、思考が明確になりより良い問題設定から問題解決まですることができる、優れたものなのだ。

昨日、今日もひたすらメモ用紙に文章を書き、グループ化する作業をこなしていたのだが
その作業を通して見えてきたことがあった。


求道者の思考法②

まず、一言でいうとKJ法は瞑想に近いと感じる。

以前タイにいた時に、瞑想寺で2ヶ月弱ほど瞑想をしていたのだが
その時に感じたことの一つとして、瞑想とは自分の思考を客観視するものだということがあった。

瞑想中は頭の中をさまざまな考えが行き交っている。
瞑想中以外は、そういった考えには気づくことはなく、全く認知していない。

だが、瞑想中は意識が内側に向いているため、そういった考えを認知することができる。

そうすることによって思考を客観視することができ、「自分はこんな考えを持っているんだ」とか「自分はこれを問題視しているんだ」と気づく。


KJ法はこれに近い。

KJ法のやっていることも別の言葉で表現すれば、思考を紙の上に視覚化しているということだ。

一つのテーマを中心に据えて、それをみて思いついたことをひたすら周りに並べていく。

それを整理することで、自分の考えや問題意識、今後どうすべきかなど見えてくる。

今回、僕は「どうやって独立すべきか」ということについてKJ法を用いて考えた。

以前から漠然と独立したいとは思っていたものの、実際にどうするべきかわかっていなかったからだ。

2日かけて考えた結果、今の状況での動き方から将来の動き方までかなり明確になった。

もちろんまだまだ浅い部分はあるが、それでも十分すぎる収穫だろう。


瞑想もマインドマップもKJ法もそうだが、それらを実践する度に、いかに人間が自分自身の思考を把握することができていないかを実感する。

KJ法や瞑想を行うのであれば、まずここに気づくのが第1歩目なのかもしれない。

自分は自分のことを理解できていない

これを実感することで、自分を知りたいという目的が発生し、その手段として瞑想やKJ法を使おうと考える。

自分のことを理解する重要性については、瞑想の記事でも書いたが
誇張抜きで自分のことをよく知ることができた人間が、より良い人生を送ることができると考えている。

KJ法はそうするための最も有効な手段になりうる。

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