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わたしとカメラの関係が変わった

私にとってカメラは長らく、”瞬間を捉えるための道具”だった。けれどもここ最近、ふとしたことをきっかけに意味合いが変わってきた。変わったというか、広がったというか。ずっと同じ付き合いをしてきたのに、ふと違う角度から見たら知らなかった魅力があって、ちょっと動揺しているというか。そんな私と、カメラの話。


写真を趣味とする人なら、きっと感じたことがあると思う。カメラを手に過ごしているとふと出くわす、「ここだ」と思う瞬間。すかさずシャッターを押す。現像して、目で見た以上のものが絵に焼き付いているのを見て、口元がゆるむ。だからスタジオより街撮りが好きだし、スナップが好きだった。

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LOMO SMENA 35 - Kodak ULTRAMAX 400

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LOMO SMENA 8M - フジカラー C200

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Rollei XF35 - フジカラー SUPERIA PREMIUM 400

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Kiev 4am - フジカラー SUPERIA PREMIUM 400

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Rollei XF35 - Lomography Color Negative 400

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GOKO MacromaX Z3200 - フジカラー SUPERIA PREMIUM 400

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Rollei XF35 - Kodak ULTRAMAX 400

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Rollei XF35 - Kodak ULTRAMAX 400

こうして並べるとよく分かるよう、私の撮る写真はかなり粗い。その瞬間のイメージ、モチーフと構図を最優先していて、ピントは甘々。なにかを狙って撮りにいくわけじゃないから、フィルムのISO感度が被写体に合ってないことも多い。最後の一枚は人のいない商店街で少ししっかりカメラが構えられたときの写真だが、仕上がってきたとき「ちゃんとした写真っぽい!」と自分でびっくりするという情けなさ。要するに、カメラのポテンシャルをちっとも活かせていないのである。

ぶっちゃけ、それでもいいと思っていた。生意気にも「それが私のスタイルなんだ」と。けれども、今年に入って緊急事態宣言が発令されて、いつもだったらたくさん出歩き、たくさん写真を撮れる季節は、ずっと家の中で過ごすことになった。カメラは持ち出されることなく、棚の中で待機している。私の興味も家の外から中へ移って、インテリアを工夫したり、花を飾ったり、観葉植物の新芽を見つけてはしゃいだりするのが趣味の中心になった。


そんな中で、夫が私に提案してきた。「買ってきた花の蕾が開くところを、タイムラプスで撮影しよう」と。言われた瞬間はちょっとだけ、花の写真や映像なんて皆撮ってるから別にいいじゃん…と思ってしまった。それでもまあ、やることないしな、と一緒に花を選び、花瓶に生けた。タイムラプスに使ったカメラはDJIのOsmo Pocket。夫の持ち物であり、カメラセッティングも設定も全て夫がやってくれた。私は横でふーん、と言って見てただけ。

仕上げてくれた動画を見て、正直びっくりした。花びらのほどける動き、朝日が差し込む様子、私が仕事をしたり、食事をしたり、寝たりしている何時間もの間ずっと、家の一角でレンズが見続けた変化。こういう映像を見たことがないわけじゃない。なのに、どきどきした。カメラって、こんなことも出来るんだ、と。それは私がこれまでカメラに求めてきた”瞬間を捉えること”とは真逆のものだったけれど、それでも確かにカメラにしかできないことで、カメラの楽しみ方のひとつだった。

私にとってカメラは、私が見ている世界から一瞬を切り取り、絵にしてくれる道具だった。けれど、こうやって使うカメラは私には見ることが出来ない世界を見つめ続け、私に伝えてくれる。なんといったらいいのだろう。大袈裟な表現かもしれないけれど、自分の感覚を拡張し、違う世界へ橋渡しをしてくれる道具のようだと思った。カメラというものの意味が、自分の中で大きく広がっていくのを感じて、わくわくしてしまう。

こうなったらもう、いままでみたいにガサツに撮れないような気がする。カメラにできることに、カメラそのもののポテンシャルに、俄然興味が湧いてきた自分がいる。こんなちょっとしたことで、何年も付き合ってきたカメラへの意識が変わるなんて、思ってもみなかった。まずは今まで私が振り回してきたカメラ1台1台と、じっくり向き合おう。どんなレンズで、なにが特徴で、どんな事が得意なんだろう。そして梅雨が明け太陽が高く上がったら、彼らの本当のポテンシャルを引き出すべく、外に出掛けよう。




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