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【第1回】誰にも教えたくない映画:『ジュラシック・パーク』

自分の感覚が震えるような映画を見たときは、誰にも教えずに自分の中に大事に留めておきたくなる。自分だけがその映画について知っている特別感に浸っていたいと思う。その一方で、自分の感覚が震えるほどよかったのだから、そんな衝撃作について口を開かずにいるのは難しい。何がよかったのか、どうよかったのか、誰かに話したくなってしまう。そんな葛藤を自分の中で繰り広げ、結局はぺらぺらと方々で話してしまう。映画というのはそんなものだ。

アメリカにスティーヴン・スピルバーグという名の映画監督がいるらしい。その監督が、『ジュラシック・パーク』という映画を撮っている。『ジュラシック・パーク』というのは、人間が生まれるより遥か昔、地球に存在していたと言われている「恐竜」という大きな爬虫類で凶暴な生き物を主役に据えて作られた、今から30年前の映画だ。考古学者たちが「恐竜」の化石を掘り当てるように、ぼくはスティーヴン・スピルバーグという監督と『ジュラシック・パーク』という傑作を掘り当てたのだ。この作品は自分だけが知っておきたいから誰にも教えたくない、そんな気持ちが強いのだけれど、やっぱり話したくなってしまうから困ったものだ。

という茶番はさておき、『ジュラシック・パーク』の優れた点はまず臨場感にあるだろう。いつ恐竜が襲ってくるのかが全く予期できないからずっとドキドキしている。びっくりしたくないけれど、ずっとびっくりするのを構えているのもしんどいから、早くびっくりしたいが、なかなかびっくりポイントは訪れない。と思ったら唐突にびっくりポイントがやってくる、とわかりやすく言えばこのような映画である。ぜひとも30年前の公開当時に映画館で観たかった。それが叶わないから僕は自宅のプロジェクターを付けてみたのだけれど、それも叶わない人はパソコンの画面で、それさえない人はスマホでいいから、できるだけ最良の方法で恐竜のスリルを味わいたいものだ。

人間も恐竜も全て偉大だ。琥珀の中に眠る遥か昔の蚊の血液から恐竜のDNAを抽出し、恐竜を再現してしまう。そうして動物園ならぬ「恐竜園」を作ってしまう人間の文明は高度なもので、恐竜を作り出した人間も、恐竜の前に立つと襲われ、食われ、殺され、手も足も出ぬちっぽけな生き物にすぎない。けれど、人間は人間の知恵を最大限使ってなんとか生き延びようと奮闘する。純粋な自然のサバイバルではないか。生態系のピラミッドが崩れた瞬間にカオスとなり、それは極限の自然状態なのである。

ちなみに、『ジュラシック・パーク』で最もおいしい思いをしているのはおそらくティラノサウルスだろう。自分の本能のままに人間を喰らい、殺し、襲い、さぞかし気持ちがよかったであろう。そうして映画の中盤では凶悪な存在になったティラノサウルスが、クライマックスでスーパーマンとして再登場するからお見事だ。恐竜好きな子どもたちの夢を壊すことなく、物語を美しくかつ壮大にまとめ上げ、最も理想的な手法で映画を終わらせる。気持ちがいい。大きな耳クソが取れた時と同じくらい気持ちが良い。そう思うと、『ジュラシック・パーク』は耳クソ映画なのかもしれない。もちろんいい意味で。

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