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日本史B 中世6 鎌倉幕府滅亡と建武の新政

Ⅰ天皇家の対立

亀山天皇側:大覚寺統(だいかくじとう)
後深草上皇側:持明院統(じみょういんとう)

両統迭立
幕府の提案で大覚寺統持明院統が交互に天皇に即位することとなった


Ⅱ後醍醐天皇の親政

最初に天皇になったのは大覚寺統後醍醐(ごだいご)天皇
 醍醐天皇の天皇親政を理想としていた

正中の変・元弘の変
討幕計画
 当時の幕府は得宗の北条高時(たかとき)と内管領の長崎高資(たかすけ)が専制政治を行っていた
討幕計画は失敗 後醍醐天皇隠岐(島根県)にながされる


Ⅲ鎌倉幕府滅亡と建武の新政

鎌倉幕府滅亡
護良(もりよし)親王(後醍醐天皇の息子)が討幕の令旨を出す
 足利高氏(たかうじ)(後の足利尊氏(たかうじ))が六波羅探題を攻める
 新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉を攻める
鎌倉幕府が滅亡する(1333年)

建武の新政
鎌倉幕府滅亡と同時に後醍醐天皇が京都に戻ってくる
中央組織
記録所:重要政務
雑訴決断所:所領関係の訴訟

地方組織
鎌倉将軍府・陸奥将軍府


Ⅳ建武の新政の問題点と崩壊

綸旨(りんじ)が絶対化され政治が混乱する
 綸旨:天皇の命令書
貴族を優遇して武士への恩賞が不公平になる
二条河原落書(にじょうがわらのおちしょ):建武の新政を批判した落書き

中先代の乱
北条時行が鎌倉を占領
足利尊氏が平定する

足利尊氏が京都を制圧
持明院統光明天皇を即位させる
 後醍醐天皇が吉野に逃れる
足利尊氏征夷大将軍になり室町幕府を立ち上げる

南北朝時代
京都と吉野に2人の天皇が並び立つ時期


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