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日本史B 古代3 6世紀から7世紀の政治

Ⅰ6世紀前期

大伴(おおとも)が朝廷で実権を握る

筑紫の国造磐井(いわい)の乱

 新羅と手を結んで反乱を起こす


Ⅱ6世紀中期

朝廷では物部(ものべ)氏と蘇我(そが)氏が対立する

 百済から仏教が伝来

 仏教を受け入れる蘇我氏

 仏教を受け入れない物部氏

加耶(かや)が滅亡する


Ⅲ6世紀後期

蘇我氏物部氏を滅ぼす

 蘇我馬子(うまこ)が権力を握る

 崇峻天皇を暗殺して推古(すいこ)天皇を即位させる


Ⅳ7世紀前半

蘇我馬子と厩戸王(うまやどのおう)の政治

冠位十二階(かんいじゅうにかい)制度

 

 昇進も可能

憲法十七条(けんぽうじゅうななじょう)の設置

 官僚の心得

遣隋使の派遣

 対等外交を要求

 高向玄理(たかむこのげんり)・旻(みん)・南淵請安(みなぶちのしょうあん)に留学させる


厩戸王の死後に蘇我氏の独裁

 蘇我入鹿(いるか)が山背大兄王(やましろのおおえのおう)(厩戸王の息子)を殺害


乙巳(いっし)の変

中国のように律令体制という皇帝を中心とした強力な政治体制を築くことが目的

 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)中臣鎌足(なかとみのかまたり)蘇我氏を滅ぼす

 蘇我蝦夷(えみし)・入鹿父子はが殺され蘇我氏が滅亡


Ⅴ7世紀後半の政治について

律令体制(りつりょうたいせい)を確立する時期

 天皇を中心とした中央集権体制を作る時期です 


Ⅴ-①中大兄皇子の時代

孝徳(こうとく)天皇

難波宮(なにわのみや)に遷都

 蘇我(そが)氏の影響が強い飛鳥(あすか)の地を離れることが目的

蝦夷(えみし)の制圧

 関東・東北地方にいた天皇に従わない人々の制圧

 越後(現在の新潟県)に渟足柵(ぬたりのさく)・磐船柵(いわふねのさく)という城を作る


斉明天皇期

阿倍比羅夫(あべのひらふ)を蝦夷地へ派遣して蝦夷の制圧を行う

白村江(はくそんこう)の戦いが起こる

 朝鮮半島で新羅百済を滅ぼす(百済は日本と友好関係を持っていた)

 日本は百済と結んで唐と新羅と戦う

 日本は負けて朝鮮半島から撤退する

 朝鮮半島で高句麗(こうぐり)が滅び、唐の勢力が追い出され、新羅が半島を統一する

 

天智天皇(てんじてんのう)期

実権を握っていた中大兄皇子天智天皇として即位

 朝鮮からの攻撃に備えて水城(みずき)を作る

 都を近江大津宮(おうみおおつのみや)(滋賀県)に移す

 最初の戸籍である庚午年籍(こうごねんじゃく)を作成する


Ⅴ-②天武天皇の一族の時代

壬申の乱(じんしんのらん)

 天智天皇の死後、天智天皇の独裁に対する不満が噴出する

 天智天皇の息子を倒して大海人皇子天武(てんむ)天皇になる


天武天皇

都を飛鳥に戻す

 天智天皇の影響力がないところへ戻す 

八色の姓(やくさのかばね)の作成…皇族中心の身分制度

飛鳥浄御原令(あすかきよみがはられい)の制定


持統(じとう)天皇

飛鳥浄御原令の施行

庚寅年籍(こういんねんじゃく)の作成

 これ以降6年ごとに戸籍が作成される

694年藤原(ふじわら)京に遷都する

 日本で最初の本格的な都城


文武(もんむ)天皇

「中央集権体制の確立」の総決算を行う

大宝律令(たいほうりつりょう)の作成

 律令体制の根本法典を作成する


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