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日本史B 中世1 院政と平氏政権

Ⅰ院政

①摂関家の衰退

後三条天皇の時代 11世紀中期

11世紀前半藤原道長・頼通摂関家全盛時代だった

後三条天皇は摂関家を外戚としない天皇

 母方の親戚が藤原氏の人間ではない

大江匡房(おおえのまさふさ)を登用:藤原氏以外の人物を政治に登用した


延久(えんきゅう)の荘園整理令を実施

荘園整理令とは

基準に合わない荘園を廃止する=法律違反の荘園の没収する

後三条天皇は摂関家の荘園も停止した


記録荘園券契所(けんけいじょ)の設置

国司ではなく後三条天皇の権限で荘園整理を行うための機関

摂関家が国司を任命していたので摂関家の荘園整理が進まなかった

宣旨升(せんじます)の作成:升の大きさを統一した


荘園整理令についての補足

10世紀前半に醍醐天皇によって延喜(えんぎ)の荘園整理令が出された

勅旨田(ちょくしでん)を廃止した


②白河上皇の院政

白河天皇は天皇をやめて上皇となり院政(いんせい)を行った

 院庁(いんのちょう)という政治機関を作り、上皇という立場で天皇のサポートしながら政治の実権を握った

 開始は1086年(11世紀後半)


白河上皇の政策機関

院近臣(いんのきんしん):白河上皇につき従う国司を取り込んだ

北面の武士:源氏や平氏の武士に院の警護をさせた

院庁下文(くだしふみ):院庁から出される公文書

院宣(いんぜん):上皇(院)の命令を下達する公文書


Ⅱ平氏政権

①平氏の台頭

平氏の権力者について

12世紀前期 平正盛(まさもり) 白川法皇

12世紀中期 平忠盛(ただもり) 鳥羽法皇

12世紀後期 平清盛(きよもり) 後白河法皇


12世紀前半までの話

平正盛源義親(みなもとのよしちか)の反乱を平定した

平忠盛:瀬戸内海の海賊を平定した

 日宋貿易の権利を手に入れ財政的に裕福になる


②平清盛の出世

鳥羽法皇が1156年に亡くなる

保元(ほうげん)の乱

鳥羽法皇の死後、後白河天皇崇徳(すとく)上皇が対立

後白河天皇が勝利する


平治の乱

後白河上皇の側近どうして権力争いが起こる

藤原道憲(みちのり)・源義朝(よしとも)らを破って平清盛が生き残る


平氏政権の成立

平清盛太政大臣に出世する

大和田泊(おおわだのとまり)という港を修築して日宋貿易を活性化する


鹿ケ谷の陰謀

平氏打倒の計画

事前に発覚したため首謀者が処罰される

処罰に反対した後白河天皇平清盛が対立する

平清盛後白河法皇を京都の鳥羽殿に幽閉する


③平氏の滅亡

以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)

 後白河法皇の子である以仁王が平氏打倒の命令を出す

 源氏の兵士たちが平氏打倒のために挙兵する

平氏福原京に都を移すが貴族の反対を受けて元の場所に戻す


源義仲(よしなか)が京都に侵入

平氏は京都から逃げ出す

壇の浦(だんのうら)の戦いで平氏が滅亡する


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