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アメリカの小学校 ミシガン編②〜マイナス8度は外遊び

ミシガン編①からの続きです。


ニューヨークでの学校と違ってなかったこと


 ①で述べたように、ニューヨークでの学校と大差はなかったものの、100days of school はない。新学年が始まって100日目に100歳の格好をしていく日だ。お店にグッズはあるから行われてはいるはずなのだが、年中までしかないイベントだったのかうちの学校だけなかったのかよくわからない。
 また、誕生日会にカップケーキを持参するのは禁止とあらかじめ通達あり。なにかトラブルでもあったのか、誕生日の紙の帽子を貰って祝ってもらうのみだった。

マイナス8℃までは強制的に外遊び(!)


 ある日学校からEメールが来た。マイナス9℃を下回らない限りは外で遊ばせる。と記載されている。

 え?マイナス8℃までなら外で遊ばせているの?そちらに驚いた。知らなかった。

実際のEメールより抜粋。
15°Fは−9.4℃を指す。


 娘に聞いてみると、休み時間は強制的に外に出され、
「中に入れてよ〜」
とガラスドアをノックしても手であしらわれるらしい。う〜ん、子ども達は鍛えられている。そんな休み時間が1日3回もあったらしい。で、通学バスの待ち時間中もとても寒いのでスノーパンツとスノーシューズは必需品だったが休み時間にも活用されていた様子。

 私達がミシガンに滞在していた時はラニーニャ現象で特に寒かったかもしれない。一ヶ月間以上気温がプラスにいくことがなかった。滞在一年目の2016年はマイナス20℃を下回っても登校していたが、翌2017年、2日以上連続マイナス20℃を下回った日の2日目から突然、「マイナス20℃を下回る日は休校」となった。1日目の夕方に一斉自動音声の電話がかかってきたのだが、その時私はモールに居たので周りがザワザワと
「明日休校だって!」
というのが聞こえてきた。その電話当日もマイナス20℃を下回っていても登校していたのだから驚いた。そしてその日以降は自動車会社FORDなどの大企業も下回る日は休業するようになった。
 その後も休校になる時は朝の4時でも自動音声の電話があった。教えて貰えるのは確実性があって安心出来た。

雪の量はそれ程でもないが、寒さゆえ
パウダースノー過ぎて雪玉が作れない。


 
 ちなみに当時、ベトナム在住の友人が居たのだが、ベトナムでは冬は気温10度未満で休校になるそう。対してこちらはマイナス8℃までなら外遊びなのだからその差に驚いたものだ。


小学生でも留年

 在米当時、娘と同じ学年の子が留年になったらしい、と娘が伝えてきた。娘とその子は面識はなかったそうで、友達から伝え聞いたらしい。小学生でも留年はあると聞いたことはあったが、本当にあり得ることに驚いた。
 娘も渡米後しばらくは英語が話せなかったのでそのリスクはあったのかもしれないが、ちゃんと移住者用に学校でESLのクラスがある。English for Second Language の略で、英語を教えてくれるクラスだ。事前に受講を申し込むのだが、当時まだ在住3年だったので念のため申し込んでおいた。その時間は他のアメリカ人の子ども達は他のことをしているそう。
 このようにサポートは手厚いと思ったのだが、それでも留年はあり得るとは。その子がアメリカ人なのか外国人なのかは分からなかったが、アメリカ社会の厳しさを垣間見たような気がした。

PTAは、やりたい!


 親たちはPTAはやりたがる。クラスリーダーといってクラスの親をまとめる係になると、ポイント制になっているようで子ども達の将来に有利になったり、年に一度発行されるYear Bookに自分の子どもの写真が載りやすいそう。載りやすさは寄付金でも大きく左右され、また先生達は多く寄付金を納めてくれる親がいる生徒を持つことが自慢になるみたいだ。

外国人移住者への多様なサービス


 
 これは私の居住していたミシガンのこの学校区のみかと思われるが、私達が居住して3年目の2017年、外国人移住者には1〜2ヶ月毎にサービスが提供されるようになった。

 サービスが開始された最初の集いでは、夕方に学校でカップケーキやジュースが振る舞われ、どんなイベントを開催予定なのか説明会。部屋を移動してボードゲームが各ブースで行われている。しかも選んだゲームを2つ貰える。値段を見ると一つ20ドルもしている。とても得した気分だ。


幾つかの中から$20ほどのボードゲームを2つも貰えた。

 また、ローラースケートリンクを貸し切って移住者のみのパーティー。リンク代だけではなく、ピザやスナック、ドリンクが無料で振る舞われた。

学生の子供をもつ市内全ての移住者の家庭が対象なので、
結構な人数が集まった。


 デトロイトのファーマーズマーケットへの観光ツアーも企画された。このファーマーズマーケット自体はかなり大きな規模で、冬季以外の日曜日のみ開催、沢山の農家が参加している農作物直売所だ。この市から車で片道20分ほどで、ツアーの人の説明付きなのは魅力的だったが朝が早めで我が家は私しか行きたがらなかったので泣く泣く諦めた。

 他にも、親には無料のESL(English for second language.英会話学校)が提供された。市内どこかの学校の部屋を親のために開放して英語を教えてくれた。日中なので子ども達も校内にいる。市が広いので娘の学校にはならなかったが、小学校の日常を垣間見ることが出来るのも興味深かった。
 ちなみに前述通り無料のESLは娘も入学と同時に申し込んだので学校で受けている。
 

 私達は3年間で引っ越ししてしまったのだが、きっと他にもサービスは色々あっただろうと思う。もっと参加してみたかった。

唯一の心残り

 心残りは学外活動のガールズスカウト。サバイバルの方法を実践出来ることが興味深く、娘も乗り気だったので学校で行われた説明会にも参加したのだが、秋スタートで夏前に一区切りで終わってしまう。学校が9月始まりなのだから当然なのだが、何しろ当時の冬はラニーニャ現象のためかマイナス20℃を下回る極寒。気温がプラスになる日はない。9月に活動が始まる頃には既に寒く、屋外活動は無理だと思った。秋春がもう少し長ければ是非参加させたかった。

最後に

 ミシガン州は自然や動物が近く、鹿やうさぎ、グース、鴨などが民家を歩いている。自然といっても民家が集合しているのでどうやって動物が生活しているのか謎だった。リスはニューヨークの公園の至る所にいるので当然ここでも見かける。娘も校庭で鹿を見かけたそうで、移動式動物園も学校や街のイベントであったので良い環境だった。学校生活も伸び伸びとしていたと思う。

友人の一軒家。柵はなく広々。しかし民家の庭なので鹿が住めるような場所はないと思うのだが…?


 3年間のミシガン生活ののち、夫の勤務地が再びニューヨークとなったので隣のニュージャージー州へと引っ越したのだが、元々住んでいた付近に戻れる嬉しさよりもミシガンを離れる寂しさが勝っていた。
 日本とはまるで違う娘の学校生活。自由でノリが良く、親の私も気楽に楽しむことができた。私も通ってみたかった!


参照: ニューヨーク編


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