制服と生理に打ちのめされて
スカートでも学ランでも屈辱は変わらない?
スカートが何しろ嫌だった。ものすごい辱めを受けているような気持ちになるから。
学ランを選んだ女の子の話を聞いたことがあった。90年代に入ってすぐ、まだトランスジェンダーなんて言葉も普及してないころ。
そうしようかと思ったけれど、そこまでする勇気も無く、それに、なんだか"違う"ような気がした。
返って、「フツウと違いますと表明する」ようなもので、ありのままの自分を「フツウ」と思われたかったから、学ランを選んだとしても、世間に屈服するような気持ちになる気がした。
生理で生きることに絶望した
スカートが嫌いだったから、中学ではできるだけジャージで過ごした。
2年になったある日、学校のトイレで初めての生理になった。
赤黒い血を見つけて、頭は真っ白だった。慌てて部活も休んで帰った。
ーーそして、母は赤飯を炊いた。
祖父も父もいる夕食。突然赤飯が出るのだから、家族中に生理だと公表するようなものだった。本当に屈辱的だった。絶望的な気持ちでいるのに、なぜそんなことまでされなくちゃいけないのか。
夜になって、母を責めた。
女に生まれるくらいなら生まれてきたくなかった、もう死んでしまいたい、これから何十年も生理があるなんて、やりたいことがあっても台無しだ、人生終わったも同然だ、なんで赤飯なんか・・・死んでしまいたい死にたい
延々と泣きわめいた。言われた方も困るだろうけれど、本音だった。
諦めようと努力する以外になかった
この日から、外国へ旅行することを諦めた。ジャングル探検なんてしたくもない。それどころか、普通の旅行だって外出だってスポーツだって、もう本気でする気がなくなった。毎月毎月、こんな苦しい思いをしながら、何を楽しめるだろう。と、そんな風に思ったのだ。本気で生きる気持ちなんてなくなった。
もちろん、将来子どもを妊娠することも、自分にはあり得ない選択肢だった。妊娠したまま10か月も過ごすこともさることながら、なによりも、自分が生まれてきたくなかったからだ。
当時は、諦める以外に何も出来ることはなかった。諦めきれるような問題じゃなかった。だけど、それでも、我慢しなければいけなかった。生理はこれからずっと確実にやってくるのだから。
初生理翌日からの野外活動
この初めての生理の翌日からは、泊まりがけの野外活動。キャンプだ。ナプキンの使い勝手も分からず地獄だった。暑かった。血が股間で蒸れ、乾き、はりついて、おぞましかった。
生理はなくなっても、呪いが続いた
36歳で生理がなくなるとは思ってもみなかった。卵巣腫瘍が子宮と癒着して全摘して、生理がなくなった。最高に嬉しかった。まだ30代なら望みがあると思えた。
だけど、それまでの人生で選んだ選択肢の束は重く、ハイじゃあ海外にでも行ってみようか、なんてことにはならない。できるような経済状態でもなかった。
あんなに望んだ状態なのに。大逆転なのに。
自分が「選ばなかったこと」の数々と、本気で組み合わなかったダメさ加減に、うつが悪化して他の病気も引き寄せ、完全に負のスパイラルに落ちていった。
そして、気づけば40歳を超えていた。
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