見出し画像

オフレコ取材自体が問題:総理秘書官騒動で安全保障の観点は無くていいのか

前稿に続き、今度はオフレコ取材での「権力側」の問題を考えたいと思います。発言の内容もあってか「オフレコ破り」についてリベラル・保守双方で賞賛批判のコメントをよく見ます。

私は総理秘書官の発言内容や彼自身の考え方とは別にして、政権中枢でメディア対応のマネジメント能力を問題視したいと思います。

総理秘書官のメディア対応

総理秘書官が行う重要な仕事はメディア対応です。この点は子息翔太郎氏の総理秘書官就時に既に私は親切にメディア対応の懸念や課題を指摘していました。

その後、私の期待通りメディア対応でも2か月で問題勃発。雑誌FACTAをご覧下さい。

岸田翔太郎秘書官は「重要情報」をフジテレビの女性記者に情報を「漏らしていた」そうですが、女性記者の美貌もあってか、やっかみ半分報道されてしまいました。

基本的には、荒井勝喜総理秘書官共々とも政治的な甘さであり、権力中枢で情報やメディア対応を担当するには全く相応しくないというだけです。少なくとも第二次安倍政権では想像できない権力中枢のマネジメントの甘っちょろさです。

「オフレコだから報道しない」と考える甘い感覚

これまで何回もオフレコ破りはありました。主に政治的なスタンス(保守・リベラル)が関っていたものが多いように思います。これまでのオフレコ破りの事例経緯を全部見て学習していないのでしょうか。甘いとしか言いようがありません。ちょうどJapan In-depth編集長安倍宏行氏が私と似た指摘しています。

「オフレコ取材での対応」を権力中枢で素人感覚でマスコミにおだてられてペラペラ喋る甘さは、国家安全保障の観点からも非常に危険です。

オフレコを紙面で書かないだけで転載・転売されている

オフレコと言う建前はあるので、紙面で実名では書かないということだけです。「情報の転売」は無い、とは到底言えません。

前稿の江藤隆美総務庁長官(当時)のオフレコ破り事件でも、オフレコメモを雑誌にリークされ、さらに韓国の新聞社にリークされて問題化しました。
この点は当事も関わった有元氏も証言しています。しかも、オフレコなのになんと「オフレコテープ」まであったと言っています。

現在でも選択やFACTAや文春など週刊誌などは独自に取材した内容とは思えず、番記者からのオフレコ情報を書いているような記事としか思えません。

これらが単なるリークや転載なのでしょうか。オフレコメモを売ってないでしょうか?情報提供にカネのやり取りはないでしょうか。私は強く疑っています。なぜなら貴重な情報を無償で渡す馬鹿はいないからです。

そう思っていたらちょうど舛添要一氏が同じことをツイートしていました。オフレコが政治部記者の小遣い稼ぎだからこそ、既存メディアが教科書通りのオフレコ必要論をわめていているとしか思えません。

夜討ち朝駆けの激務で安月給。価値がわかる人だけわかる自作のメモが手元に。誘惑が無いはずがありません。記者倫理を全員遵守していると考える方が馬鹿です。

オフレコでインサイダー取引は皆無か疑問

カネの話が出たのでついでに。オフレコ取材ということで証拠がありません(ないはずだからこそオフレコ)何度も間に挟んだインサイダー取引これだけ不透明で密室のオフレコ取材が多ければ、政治家とグルでインサイダー取引を考える記者も出てきても不自然ではありません。本当に1件もないでしょうかね。

オフレコ常用が同盟国からの不信の温床

英米などの報道に比べて、日本の政治報道でオフレコ取材が多用されている点は私だけでなく多く指摘されています。日常的なオフレコ内容が、国内だけならまだしも安保外交についてもペラペラしゃべられて困ることも、実際はあります。

特に米軍など安保関連情報について総理が与党幹部に話した内容が出回って、不信感を抱かれるケースはあります。

今は亡き佐々淳行先生が「秘密保護が不徹底で情報が漏れやすく同盟国に情報提供を拒まれる原因」を指摘していました。そして特に情報漏洩元として政治家のオフレコ記者懇をあげていました。動画で見ると先生の調子を懐かしく感じます。

今回の騒動を米国の視点ならどう見るか

実際米国のホワイトハウス詰めの報道対応だとオフレコは相当厳格で、オフレコ破りは完全出入禁止など、オフレコの管理が相当厳格なようです。

ホワイトハウスのサキ報道官(2021年1月~2022年5月)

逆に言うとそれだけメディアとの緊張関係があるとも言えます。

そういう前提の同盟国米国から見て今回の騒動はどのように映るのか。

米国の担当者は、日本の総理官邸でオフレコ管理がいい加減である、と軽蔑侮蔑と不信感を持つのではないでしょうか。なぜなら担当者の甘さ次第で米軍関連情報が流されかねないからです。既に流れているかもしれませんが。

記者の中にスパイいない確証はどこにも無い

今回の問題以前に、想起して欲しいのが戦前に有名な「ゾルゲ事件」です。これはドイツ紙の特派員ゾルゲ、と朝日新聞出身の内閣参与の尾崎秀実がソ連のスパイで開戦に関する意思決定情報を流した、という話です。篠田正浩監督2003年公開の映画「スパイ・ゾルゲ」がありました。

尾崎秀実は朝日新聞記者で内閣参与として総理周辺など権力中枢と近い関係でした。さらに佐々淳行先生の父・佐々弘雄氏も朝日新聞で尾崎とも親しい関係でした。ゾルゲ事件で尾崎逮捕直後に当時成蹊中学(現成蹊高校)の生徒だった佐々先生が「父の命令で風呂の焚きつけでメモ等を焼いた」ことを遺作『私を通り過ぎたスパイたち』で懺悔のような筆致で述べています。

尾崎の把握した情報だけでなく、同盟国ドイツの特派員で気を許したのか陸軍幹部も多く接触しています。戦時もあって検証どころでなくまり、まるでその口封じをするように死刑に。接触した側の検証は不問のまま終戦を迎えています。

現在も「尾崎秀実」のような人がいないと言えるでしょうか。エージェント、無自覚な協力者、間を人を介した関係。いない確証がどこにあるのでしょう。

現在、新聞社はどこも発行部数が減り、経営再建策で記者待遇の検討もあります。ここが外国マネーの使い道にならないはずがありません。私が某国大使館「関係者」なら潤沢な資金で赤字メディア会社の官邸記者にカネを配ってオフレコメモ集めます。

今回の総理秘書官更迭騒動で産経新聞でそうした情報保全や安全保障の視点がほとんど語られていないのが私は不満です。実際に江藤隆美氏のオフレコ破り事件は雑誌にリークされさらに韓国の新聞社へリークされています

この時は問題になったから判明しただけで、同盟国含め、外国の情報機関に大量のオフレコメモがわたっていないはずがないと思います。しかも、読者・国民には全く知らされない蚊帳の外で。

総理秘書官も、記者懇の中に外国のエージェントがいる前提で話すべきで、オフレコ記者懇における緊張感の無さが、今回のLGBQ発言の毎日のオフレコ破りでたまたま露呈しているだけです。

北朝鮮のミサイル第1号すらオフレコ発表。いいのか?

チャンネル正論で有元隆志氏が、オフレコ取材の有用性の事例として石原信雄官房副長官(当時)の、オフレコ取材で北朝鮮のミサイル発射第1号が明らかになった例を動画の後半であげています。産経も「信念のリーク」と持ち上げています。

私は、これに非常に違和感持ちました。

このこと自体は相当前から産経で報道さていましたが、改めて最近石原氏亡くなられ評たことで評伝として掲載されました。

まず1993年の北朝鮮の初のミサイル実験前は大きな出来事が多かった点のおさらいです。この前後は政治改革の騒ぎなどで、政権中枢に北朝鮮への関心が無かった雰囲気が分かると思います。

1993年(平成5年)
5月4日カンボジア派遣の文民警察官殉職。
5月29日北朝鮮ミサイル発射実験(ノドン1号)。
6月9日皇太子徳仁親王(現天皇陛下)の結婚の儀
6月11日石原信雄官房副長官によるオフレコ発言で判明
6月18日政治改革解散
7月18日総選挙で自民党敗北

しかし、現在も問題になっている北朝鮮ミサイルの第1号はオフレコ発言でした。しかも地下鉄半蔵門線の永田町駅の階段での歩きながらの話。事の重大性を何だと思っていたのでしょうかこの点は重大でオフレコを肯定する事例なのでしょうか。そもそも官房副長官が新玉川線での通勤自体が驚きです。実際この2年後地下鉄サリン事件が起きています。

地下鉄永田町駅の階段。ここでノドンミサイル1号を歩きながらオフレコ話

なぜオフレコなのでしょうか。
1つは米軍情報であることと、2つ目にそれをどう発表するのか政治が調整と決断ができなかったこと。3つ目に北朝鮮タブーがあると思います。

しかも「北朝鮮といえば、この前、日本海に弾道ミサイルを発射したようですね」この他人事めいた表現は一体何を示唆するのでしょうか。産経も追及が甘くないでしょうか。

正式に発表しない、責任を回避した政治そのものこそ糾弾の対象で、オフレコ肯定論の事例ではありません。ましてや石原官房副長官の美談扱いなら、最低でも中枢幹部が実名で批判されていないのは理解できません。
宮沢喜一首相と河野洋平官房長官。岸田総理がこよなく愛する派閥宏池会であることを明記しておきます。

今はアラートで大々的にやってますが、第1号は地下鉄の駅の歩きながらのオフレコ話でしかなかったという、お寒い状態だった点を知られるべきではないでしょうか。

密室の記者懇でオフレコを頻繁にやるから問題が起きる

繰り返しますが、政治の側からもオフレコは問題多すぎ、大半はやめてオンレコにすべきと思います。

このようなこと書くと、どうせマスコミ関係者は「何も知らない素人風情が変なこと書いてやがる」ぐらいにせせら笑うでしょう。そういう愚民観を前提に報道されているという感覚で報道に接する必要があります。

政治をマスコミが監視するのではなく、国民がマスコミを監視する契機とするべき騒動だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?