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オフレコ取材自体が問題の本質:総理秘書官更迭で毎日新聞高橋恵子に問う

荒井勝喜総理秘書官(経産省出身)が同性婚をめぐるオフレコ発言が問題となり、更迭されました。

この件はいろいろ考えさせられる点が多いのですが、発言内容については別に論じるとして、私は政治報道で「オフレコ」について再考するべきと思い、つらつら書いてみました。

今回の問題はオフレコ取材に端を発し、毎日新聞による「オフレコ破り」から起きています。

(1)日本新聞協会のオフレコについての見解

オフレコ取材について日本新聞協会の説明を見てみましょう。

オフレコ取材は、真実や事実の深層、実態に迫り、その背景を正確に把握するための有効な手法で、結果として国民の知る権利にこたえうる重要な手段である。ただし、これは乱用されてはならず、ニュースソース側に不当な選択権を与え、国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は厳に慎むべきである。

オフレコ問題に関する日本新聞協会編集委員会の見解1996(平成8)年2月14日の抜粋

そもそもこの見解が出たのは1995年10月に江藤隆美総務庁長官(当時)の韓国併合条約に関してオフレコでの発言を週刊誌が書き、韓国の新聞社が書いたために問題になった経緯がこの見解に至る発端です。

なおチャンネル正論で今回の騒動と江藤氏取材でのオフレコ破りの経緯については含め雑誌『正論』発行人の有元隆志氏と田北真樹子氏が説明しています。産経の愛読者として疑問と反論がありますが、必見の内容です。

(2)毎日新聞の今回の経緯についての説明に疑問

さて、当事者「一番槍」の毎日新聞の経緯の説明について。ここで「首相秘書官へのオフレコ取材は平日はほぼ定例化している」点が注目されます。新聞協会は「安易なオフレコ取材は厳に慎む」という立場ではなかったのでしょうか。平日定例化なら安易なオフレコ取材、乱用そのものではないでしょうか。

この平日定例オフレコは官邸側の提案なのか、記者クラブ提案なのかは明確に説明すべきでしょう。「阿吽の呼吸」ならさらに悪質でジャーナリズムとして指弾されるべき事態です。

(3)毎日新聞の経緯説明で実名を記載しない高橋恵子

今回の毎日の経緯に関する記事でさらに悪質なのは、記者の実名が出てこない点です。逆に「正義の鉄槌」でのオフレコ破りをしたのに記者の実名が出てこないのは不自然です。賞賛される手柄だったのではないでしょうか?

毎日新聞の総理官邸キャップは高橋恵子。敬称はつけようと思いません。説明責任をあれだけ追及してきた毎日新聞が自身の経緯の説明不十分で責任を果たしていないからです。

(4)国会答弁内容の取材でオフレコに応じることが異常

首相秘書官へのオフレコ取材での今回の内容は、総理の国会答弁に関するものです。しかし、国会答弁の内容取材はオフレコを必要とするテーマとは到底思えませんこの点を他メディアも問いたださないことも疑問です。

国会答弁に補足が必要なら、オープンな場での説明が筋でメディアもオフレコ拒否すべきとなぜ思わないのでしょうか。これが不思議です。なお朝日新聞はこのオフレコ取材の場にいなかったと書いていますが、それは「方針としてのオフレコ拒否」なのか、詳細は不明です。

国会答弁内容の取材でオフレコをメディアが平日定例で受け入れていること自体が、権力側の情報操作の温床そのものです。

また定例化したオフレコ取材が他にもあるようですが、少なくとも定例化のオフレコ取材の頻度や回数、対象者は公開するべきでしょう。内容はオフレコだから秘密としても、オフレコ取材の実態を何も公開できずに「国民の知る権利」を代弁する資格はありません

毎日新聞と新聞協会はこの説明をするべきです。

(5)オフレコは否定しないが常用では価値がない

報道機関の出身の方のコメントを見ると①英米でもオフレコは行われている②オフレコでないと取れない情報もある③背景説明などでオフレコも必要、という3点は説明されます。私も原則論は同意です。外交安保などセンシティブな内容や事件の当事者で人命がかかわる場合はオフレコを必要とする場合も当然あるからです。

しかし、それでも私がオフレコに否定的なのは日本の政治報道に問題が多すぎるからです。国際報道や社会部の報道ではなく、政治報道だけ記者クラブの特権でオフレコが定例化し、惰性で習慣化しているからです。

そもそもオフレコは「基本的にやらないから情報に価値がある」もので、普通に使っていてオフレコの価値はあるのでしょうか。

(6)まるでジョーカーを常時何枚も使うカードゲーム

例えばトランプ(アメリカの暴れん坊将軍ではなくカードゲーム)双方でジョーカーを半分以上使うゲームだったら、ジョーカーに価値があるでしょうか。

カードゲームのジョーカー

ここぞという時にしか使えない貴重な2枚だから、ジョーカーはジョーカーの価値があるわけです。

少なくとも毎日定例でのオフレコをやめるべきだと思います。基本をオンレコにすべきでオンレコで説明が伝わらないのであれば、そもそもそれが政治の課題です。

(7)「オフレコ破り」賞賛批判を政治指向・大義の問題にするべきではない

この「オフレコ破り」に賞賛と批判があります。秘書官の発言内容もあってか賞賛にはリベラル系、批判には保守系の方から主に提起されています。江川紹子さんは予想通り、支持しています。

一方で産経新聞(私も愛読者ですが)は先の「チャンネル正論」の動画でも田北・有元の両氏は「オフレコ破り」に否定的な見解を述べています。

本当にそうでしょうか。

2009年~2012年の民主党政権での政権幹部が、仮に「天皇制は生理的に受けつけない」「尖閣を中国に譲ろう」「慰安婦土下座しよう」、こう言った発言がオフレコの場で出たと仮定して、産経はオフレコ破りをしないと言うのでしょうか。確実にオフレコ破りすると思いますし、しないほうがおかしいと思います。

だから問題なのです。

政治指向の相違でオフレコ破り賞賛批判があること自体が問題ではないでしょうか。私はオフレコ破り賞賛批判の双方とも違う立場
です。

なぜかというと「大義の正当性」だから破っていい、ではなくオフレコが定例化日常化しており、オフレコ自体が問題の温床だからであり、権力側に「オフレコ」という認識があること自体が政治感覚として甘ったれだからです。これは別途論じます。

今回はオフレコ破りで報道されたわけですが、逆に破らなければそのまま国民には知らされなかったわけです。

オフレコ破りを称賛するリベラル系メディア、ジャーナリストもここをなぜ指摘しないのでしょうかオフレコ破りを称賛する前にそもそも「安易な形でオフレコに応じるのをやめます」となぜ言わないのでしょうか。

ここが疑問です。

(8)政治報道でのオフレコ常用の見直しこそ必要

私と似た点の指摘をしているのがジャーナリストの高世仁氏です。発言内容に対するスタンスは別として、オフレコに関しての評価は全面的に賛成で記して敬意を表したいと思います。

なお、高世氏は北朝鮮拉致事件で地道な調査報道を続けたことで国際的にも高く評価されているジャーナリストです。

 それにしても、約10人もの記者を前に、こんな戯言ふうな低レベルの話をべらべらしゃべったというのは、本人と記者たちが普段から馴れ合いの関係にあったのではないかと想像してしまう。
 首相補佐官以外にも毎日多くのオフレコでの取材が行われているだろうが、「問題発言」はほとんど表に出ないままに垂れ流されているのではないか。たまにテレビに映る記者会見でも、お追従のような質問ばかりでうんざりする。
 今回のオフレコ発言の記事化が、権力とメディアとの間に適正な緊張関係を取り戻すきっかけになればと願う

高世仁氏のコメント抜粋

(9)定例記者懇をYouTube中継できない理由は何もない

今回の「オフレコ取材」ではありませんが、定例ならユーチューブやニコニコのライブ中継するべきでしょう。それしか受け付けないとなぜ内閣記者会は主張しないのか。実際匿名で報道はされてもいて、国民が知るべき内容です。オフレコでないと話せない内容だとしても実際は今回のように公開されています。また情報自体、紙面に匿名で出るだけで内容は雑誌にも流れています。知らされないのは国民だけで「オフレコ」自体が有名無実です。公開しなくていい理由がありません

公開オンレコでは話できないような政治家が政治として使い物になるとは到底思えません。そんな政治家が逆にオフレコでの秘密情報を差配できるはずもありません。

それをやった上でライブ中継で話せない内容だけ週1回オフレコなら、オフレコ取材の価値はまだ理解できます。技術的にできないはずがありません。そこでメディアは政治家をなぜ、かばうように守るのでしょうか。

民主主義や知る権利に逆行しています。

(10)読者の立場・購読料の後ろめたさはないのか?

フリーランスの記者さんたちも意外に言わないのがこの点です。
新聞社は購読料で成り立っています。購読料で取材を行い紙面に反映し読者に提供するのではないでしょうか。(もっとも築地の不動産屋は余業で新聞もやってると言える状態かもしれませんが建前として。)

そうすると、紙面に反映されない取材活動にどれだけコストやエネルギーかけているのでしょうか。匿名しかない記事(イニシャルトーク)や記事ならない活動に対して購読者はカネを払っているのでしょうか。購読者に対する背信行為だと思います。

購読料と言う観点からもオフレコに対する後ろめたさが本来はあるべきだと思います。しかも、消費税の軽減税率適用や再販売価格維持制度の特殊指定、日刊新聞法による株式の譲渡制限など例外的な措置を新聞社が受けるのは公的な性格が強いからです。

公的性格を自任しておいて、オフレコ取材の匿名記事ばかりの政治面では、読者としては到底納得がいきません

オフレコ問題で「購読者」と言う単語や論点・視点が一回も出てこないのは、新聞社が読者を軽視していることの証拠です。そして、「読者はどうせそんなこと分かりっこない。匿名でいいわ」こういう愚民観なんでしょう。

(11)過去のオフレコメモの公開を検討すべき

今のオフレコでもう一つ疑問なのが、オフレコの管理や解除が決められてないことです。「これは時効だから」という感覚で記者たちが無原則に公開されています。政治部出身の方の話は大半これです。さらにオフレコメモは記者個人の所有なのか、所属報道機関の所有なのかそれすら明確ではありません。

またオフレコが「永久秘密」として墓場まで持ちこむレベルの秘密とも思えません。そんな秘密をオフレコでペラペラしゃべるはずがありませんし、仮に存在するなら、話した事実やそのメモの存在自体が大問題です。

例えば行政には不十分とはいえ公文書の公開制度があります。

外交文書は30年で公開する制度もあります。秘密があり、それと引換にする政治判断で原則に基づき公開されます。

一方でマスコミはモリカケ騒動で「公文書ガー」「情報公開ガー」とあれだけ騒ぎました。

それに引き換えマスコミのオフレコメモは永久に一切公開しないということなのか、雑誌にバンバン流すものなのか、個人の判断で本に書いていいのか扱いが全く明確ではない
です。秘密にするという建前だけの「紳士協定もどき」で良しとは思いません。

もっとも「オフレコ」なので「オフレコメモ」や「オフレコテープ」は存在しない、さらなる建前論かもしれません。しかし、それでは読者や国民を愚弄した態度ではないでしょうか。少なくとも1年3年など年限を区切って公表するという検討はあるべきだと思います。

政治の監視と言う観点で過去の検証もできないような政治部での「オフレコ」の現状は到底、肯定できるものではありません。


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