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夫と喧嘩したら、私の生きづらさの正体が判明した

私は夏の日に外気温で沸騰するくらい沸点が低い。

一方、夫は、家庭用調理器具では沸騰しないくらい沸点が高い。

でも、先日、夫を沸騰させてしまった。

これまでにも何度も沸騰させたことがあったが、今回はまずかった。

夜中に夫と大喧嘩してしまい、スヤスヤと可愛い可愛い可愛すぎる寝顔で寝ていた息子を起こしてしまったのだ。

最悪だ、最悪すぎる。

親として絶対にしてはいけないことをしてしまった。

しかも、起こされた息子はベッドから顔をあげて、これまた可愛い可愛い可愛すぎる寝ぼけた顔でこっちを見ていた。

それでも、これまでで1番怒っていた夫は、なかなか我に返らず、しまいには息子は泣き出してしまった。

このときの息子の顔、一生忘れられないだろうなぁ。今思い出しても、申し訳なさと、後悔と、悲しさが一気に押し寄せてきて、胸が締め付けられる。

この喧嘩のあと、私は1人で息子を育てていくことに思いを巡らせるまでした。

結局、この年にして非常に恥ずかしいことであるが、同居している父の仲裁によって、夫と仲直りした。父は「挨拶は時の氏神」と言っていたが、まさにそのとおりで、父の仲裁がなければ、どうなっていたか分からない。そう思うほど、今回の喧嘩は酷いものだった。

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喧嘩のきっかけは些細なことだった。いつだってそう。

でも、私は、白黒はっきりさせないと気が済まないのだ。

夫を言いくるめるまで理屈をこねくり回してしまう。

夫は私よりひとまわり以上年上だし、寛容さを持って、沸点の低すぎる私の言いがかりを受け流してくれる。たいていは。

でも、白黒はっきりさせないと気が済まない私は、受け流されるとますます沸騰する。もはや気体と化すレベルで。

そうやってどんどん追い詰めていくと、どんなに寛容な平和主義者であっても、たいていの人は怒り出してしまうはずだ。夫はまさにそう。

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思い起こせば、私は子どもの頃から、白黒はっきりさせないといけないと思って生きてきたように思う。
私は、0か100、all or nothing、2位じゃダメなんですか?って聞かれれば絶対にNO、そんな生き方をしてきたように思う。

そういえば、前職のとき、大嫌いな上司のミスを指摘しまくっていたら、「そんな生き方してたら疲れない?」と言われたことがあった。
あんたがミスするせいで疲れるんですけど、って喉まで出かかって飲み込んだ。

しかし、その大嫌いな上司がそう言ったとき、私は胸がザワつきもしたのだ。

たしかに私にとって生きることはものすごく大変なことだった。大嫌いな上司にそう言われた頃は特に、人生が重くのしかかってきているようで、しんどくてたまらなかった。夫には出会った頃から、私の人生がいかにしんどいかを延々と語ってきた。

そして、なぜ私の人生がしんどいのかについては、私はずっと自分の能力や努力が足りないからだと思ってきた。

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私が人生がしんどくなり出した頃を思い起こしてみると、それは、小学6年生頃だったように思う。

中学受験をした私は、学校のテストでも必ず100点を取らなければいけないという、いわば強迫観念のようなものにとらわれていた。中学受験までしたのだから、学校のテストなんて簡単なんだから、そこで間違えるわけにはいかないと。そうして、私は、テストの前日には、朝方まで勉強をするようになり、両親からは、頼むから寝てくれと言われるようになったほどだった。

また、この頃、周囲との不調和も際立つようになった。
ある子が私の悪口を言っていると聞いて、その子を呼び出して、「言いたいことがあれば直接言えば?」と言って泣かせてしまい、ますます、私は孤立していった。
それで、さらに逃げ込むかのように勉強に打ち込んで、勉強ができるということを心の支えにしていたように思う。

その後も、大学のときには、大学院進学を考えて、それにはGPAが高くないと良い大学院に行けないということから、A評価(私の大学では1番良い評価)以外取ってはいけないととらわれすぎて、講義は1番前の席で、絶対に眠らないようにレッドブルを飲みながら受けていた。今、大学の教室を思い出すと、もう10年以上も飲んでいないレッドブルの味が蘇ってくるほどだ。この頃は不整脈がひどく、今にして思えば、カフェインの取りすぎだったのだと思う。
結果として、首席で卒業したが、卒業式のときに、知らない卒業生に「1番前の席でレッドブル飲んでた人ですよね?」と話しかけられたほどだった。
大学時代は、勉強した記憶しかなく、大学生らしいことは何1つしなかった。
そして、結局、大学院には進学せずに公務員になったので、青春を犠牲にしてまで得たこの高すぎるGPAは、結局、夫に事あるごとに「首席卒業だからね(笑)」とネタにされるくらいにしか役に立たなかった。

それは就職後もまったく変わらず、職場内での試験に最短で合格しないといけないとか、研修で良い成績を収めないといけないとか、良い人事評価を得なければいけないとか、そうやってずっと何かにとらわれ続けていた。

そうして、結局、20代までの無理が祟り、30歳で難病を発症した。

それから、成人後の人間関係については、人間関係は自分でコントロールできるものでもなければ、自分の努力でどうにかなるものでもないことから、なるべく人と関わらない方向で生きてきたように思う。
人間関係は曖昧なものだ。
その曖昧さが私は苦痛でたまらなかったのだと、今になってみれば思う。
恋愛なんてその最たるもので、夫と結婚したときには、これでもう一生恋愛なんてしなくて済むと胸を撫で下ろしたくらいだった。

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仲直りした夫から、「白黒はっきりさせようと思うからうまくいかないんだよ。世の中なんてグレーだらけなんだから。みんな、曖昧なままにして生きて行ってるんだよ。」と言われた私は衝撃を受けた。

私は、これまで、白黒はっきりさせるべきだし、みんな本当はそうしたいのだと思っていた。

夫からは、そんなことあるわけないでしょ、と逆に驚かれてしまった。

そのとき、私のこれまでの生きづらさの原因や人間関係がうまくいかなかった理由が、もしかしたら、ここにあるのではないか、と思い、長年の疑問に解が与えられたかのように、心がスッと軽くなったように感じた。

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そもそも、人間なんていつかは死んでしまう曖昧な存在だ。

この世界だって、いつ天災が起こるかも分からない曖昧な世界だ。これだけ発展した現代でさえも、世界にはまだまだ分からないことだらけだ。

曖昧な世界に生きる曖昧な存在が、曖昧を許さず、完璧を求めるから、そのギャップに苦しむのだろう。

こうやって書いてみれば、当たり前のことなのに、なぜか私は33歳にして、ようやくそのことに気付いた。

きっとすぐに曖昧を許容できるようにはならないだろう。だって、33年もそうやって生きてきたのだから。

でも、私の人生における問題の所在に気付けたのはとても大きいことだ。

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私は一生夫と喧嘩をしないと誓った。

もう二度と息子にあんな顔をさせたくない。

そういえば、これでも、最近、人生がだいぶ楽になったように思う。

それは、もしかすると、絶対に大人がコントロールできない「赤ちゃん」とともに過ごすことで、私は、知らず知らずのうちに、少しずつ少しずつ曖昧さを許容できるようになってきているのかもしれない。

可愛い可愛い可愛すぎる息子を前にすると、ああしなきゃ、こうしなきゃ、と思っていても、息子が笑ってくれれば、それでいいや、と思ってしまう。

もしかすると、これが、曖昧さを許容するということなのかもしれない。

夫についても、夫が笑ってくれれば、それでいいや、と思えるようになりたい。

そして、いつか、私が笑えれば、それでいいや、と思えるようになりたい。

そうなったとき、曖昧さを許容して、人生がもっともっと楽になるのかもしれない。

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