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自分自身の人生をイキイキと謳歌しながら生きていく方法とは?

今回は、先日の中国出張で感じたことを、お伝えしたいと思います。

まず、中国の文化と日本の文化の違いをお伝えします。

食事の場では、日本では出された食事は礼儀として
食べ残すことなく全て食べきるのが礼儀としてありますが、
中国では、「たくさん頂きました。満足です。」という意を込めて
少し残すことが礼儀とされています。

また、国策としてGoogleは使用できません。
Googleのみならず、
FacebookやInstagram、LINEなどのSNSも使用できません。
日本では当たり前のことが
中国では、無礼であったり使用できなかったりするのです。

そのように文化も違えば、しきたりや習慣も全く違います。
日本にいると、今、自分たちが触れている文化や習慣が当たり前であり、
不変であることは明確だと思いますが、
世界に目を向ければ、そんな自分たちの中の「当たり前」は
全く違い、無意味となるのです。
貨幣(日本円)の価値や日本国憲法も、日本以外では価値はありません。

そんな風に、皆さんの中で当たり前だと思っていることが
皆さん以外の世界では、実は当たり前ではなく、
変えることができることがあるのではないでしょうか?

要するに、当たり前だと決めていることは
世界が決めているのではなくて、
皆さんの同意が決めているということです。

例えば、職場環境や上司、同僚、部下の人柄、
会社の風土、会社の文化、お客様のタイプなど
「きっとこの会社は○○だ」「きっとこの人は○○な人だろう」のように
ある意味、自身が決めている解釈によって
自分自身の世界、自分自身の人生が作られているのです。

この「自分の解釈が全てである」、
まるで「唯一の真実」
であるという作用が
良いように働くこともありますが、
問題なのは、ストレスやマイナスに働くと
その人の人生にも、会社の業績にも、
効果的に機能しないことが多いということです。

大切なポイントは、
今、自分自身が「思い込んでいる解釈」は真実ではなく
自身が決めている解釈であって
世界では可変(変化させることが可能)であるということです。

皆さんの人生は、皆さんの思い込みが作っていると言っても
過言ではないのです。

最後に。皆さん自身の人生の質は
皆さん自身の解釈にかかっているからこそ、
自身の人生の犠牲者に立って、
「あの人が○○だからだ・・・。」
「会社が○○だからだ・・・。」という愚痴をこぼし続ける人生ではなく、
自身の人生の責任者に立って、
「すべて起きていることは、私が源である。源であって良い」という
気前の良さと覚悟を持ち、
謳歌できる人生を歩んでもらうことを心から願ってます!


【髙宮孝一郎的 心理学コラム】
病んでいる人は、自分の消極的な考えを
まるで「唯一の真実」であるかのように思い込み、
それを正当化しているのです。
まずは、自分の固定観念を疑ってみて
「必ずしも、そうでないかもしれない」という
他の可能性を探ってみることです。
そして同時に、心を病むことは誰にでもあることです。
人間はいつでも好調というわけにはいかず、不調な時もあるものです。
しかし、止まない雨がないように、必ず終わりは来ます。
また、良くなれますから安心してください。


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