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この気持ちはきっと恋……じゃない。信頼の延長線上だ、あくまで人として好きなだけだ。 そう自分に言い聞かせながら、今日もオフィスでキーボードを打つ。一度しか会ったことのないあの人宛に、WEBページの更新依頼を送る。そして彼女から「スター」をもらえることを、ほんの少しだけ期待している。 WEBページの担当者ぼくはホテルで働いている。「ホテルで働いている」と聞いて、フロントに立つ爽やかお兄さんを想像した人も多いと思う。もちろん、体操のお兄さんばりに笑顔はじける人もいるんだけど、
2014年、26歳の時。 ブラック企業をなんとか辞めて、ほとほと疲れていたわたしは、けれどのんびりしていられるほど貯蓄に余裕はなく、とりあえず派遣登録をして働くことにした。 働くことになった会社で、本業務とは別に総務のような仕事もすることになった。 アスクルで備品を発注したり、みんなが出す郵便物の重さを測ってまとめたり、コピー機が壊れたら業者さんと連絡をとったり、などなど。 その作業自体は、嫌いではなかった。 問題だったのは、その会社では総務は部署を設けておらず、派遣社
自分がどうしようもなく無力に思えるときがないだろうか。 才能がない、かといってそれを埋めるほどの努力もできない。自分に一体何ができるというのだろう……。 幼いころの、根拠のない全能感を背負って生き抜くには、世界は広すぎる。自分よりも才能がある人、努力ができる人に出会って自信を無くして、それでも何か自分にできることを探して生きてゆくのが、大多数の人には精一杯の生き方だ。 小学校までの私は、自分のやりたいことはこれからすべてできると思っていた。部活に夢中になった中学時代は、勉
私は地方の観光地に生まれた。観光地といっても交通の便は悪く、シーズンでもない平日は街は閑散としている。それでも、夏休みや冬休みは多くの人で賑わう。 実家は、その街のなかでも人が盛んな地域にある。夏休み、友達の家に行くには人混みを自転車でかき分ける必要があって、人の顔を横目で見ながら進むうちに、人を観察することが好きになった。 歴史のある街ということもあり、外国の人も多かった。日本の文化や美味しいものに触れて、喜びが溢れる表情をたくさんの人がしていた。自分の生まれた故郷が日
電車に揺られ、イヤホンから聞こえるお気に入りのプレイリストに意識がふわふわと溶けていく。 今日も一日、社会生活をよく頑張った。会いたくない人とも会い、話したくもないのに話し、笑いたくもないのに笑った一日だった。 18時になったと同時に誰よりも早く学校という小さな社会から抜け出し、こうして一人で電車に揺られている時間が好きだ。 心地よい揺れに意識を手放そうとした、その時。大きな衝撃音とともに、鼓膜をつんざくようなブレーキ音が響き渡った。 人身事故らしい。 電車内の電気が消え、
入社前、知人に「新聞社の校閲部から内定もらったよ」と報告すると、多くの人から「校閲ガールだ!ドラマ見てたよ」と言われました。 2016年に石原さとみさん主演のテレビドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」が放送されたことによって、「校閲」という言葉が世間一般により広く知れ渡ったような気がします。 入社してからも頻繁に「校閲ガール」と言われるのですが、じつは私、そのドラマ見たことないのです…。なので、「ドラマみたいな感じなの?」と聞かれても答えられず、もったいないな~と
noteをはじめて半年、やるからにはちゃんと販売できる記事も書こうと、有料記事や有料マガジンをつくってきました。 おかげさまで、ポツポツ売れはじめています。なかなか直接感想を聞く機会はないんですが、スキも付けてくださってるとこを見ると、何か得るものあったよってことなのかなと。この場を借りて、ほんとにありがとうございます。おかげでまた書けそうです。
彼女は怪物だった。 彼女が母親の子宮からこの世に出て来た時、それを受け止めるべき助産師はその姿に驚き、取り落としそうになったし、我が子の姿を見た両親は卒倒したほどだった。その元気な産声だけが、むなしく響いていた。 とはいえ、彼女の両親は彼女を大切に育てた。 「見た目は怪物かもしれないけれど」と、彼女の父親は彼女を抱きながら言った。「よく見ればかわいいところもあるじゃないか」 「よく見ればじゃないでしょう」と、彼女の母親は夫をとがめた。「かわいいわよ。どこからどう見ても」
私の職業は、書籍編集者だ。 私はよく、自分の職業をオーケストラの指揮者に例える(おこがましくてごめんなさい)。 指揮者は基本、楽器を奏でてはいけない。 演奏者と同じ立場になってしまうと、全体が把握できないからだ。 バイオリンを担当する作家さんは、気持ちよく音を奏でられているか? ピアノを弾くデザイナーさんの体調はどうか? イラストレーターさんのトランペットの調子はどうか? 営業・宣伝のハープは、ちゃんと音を当てにいっているか? こんな具合に、1曲(1冊)を作り上げるため
その男はあまりにウソをつきすぎたもので、あともうひとつでもウソをつこうものなら命が奪われることになった。仏の顔も三度まで、三度どころか、繰り返し繰り返し神をも欺いたもので、ついに神様も堪忍袋の緒が切れた。 「わたしをキレさせるとは大したものだ」と、神様まで妙な感心をしたとかしないとか。 ウソつきの末路は舌を抜かれると相場が決まっているのだけれど、舌を抜いたところで男のウソは止まらないだろうということで命ごと奪い去ることになったのだ。よほどのことである。 「次ウソをつけば」
「ごめん」という言葉を発明した人をぼくは恨む。どうしてもっと簡単で、言いやすくて、いともたやすく口にできるようにしてくれなかったのか。それはぼくの喉元につっかえ、どうしても外に出て来ない。それが簡単なことなのはわかっている。「ご」と「め」と「ん」を流れるように発音すればいいだけだ。簡単なことじゃないか。「ご」なんて簡単に言えるし、「め」だってそうだ。「ん」なんてわざわざそれを声に出そうとがんばらなくても出るような音だ。そう、簡単なこと。でも、それが連なると、ぼくの喉元につかえ
「この商品の一番のポイントはここです。それと、ここ。それからここも重要で、もっとも大事なのがここ」 以前、広告にまつわるライター業で生計を立てていたとき、クライアントから「ウリをしっかり紹介してくれ」という依頼をよく受けていました。 先方が用意する資料をもとにオリエンを行って、その商品ないしサービスのどこがポイントなのかを事前に共有するのですが、そのポイントが一点に集中していることは一度もなかったです。 原稿を書く側からすれば「あれも書かなきゃ、これも盛り込まなきゃ」と
昔から、スーパーなどで買い物をした際に出るゴミの量について違和感を感じてきた。 特に日本のスーパーマーケットは、プラや包装紙が必要以上に多いと感じる。「ここまでする必要ある?」って思うものばかり。 海外で生活すると、スーパーでは当たり前のようにナッツは計り売り、野菜やフルーツは生身で、そのままとって買って帰るスタイル。その方が、私は心地よかった。 そんな中、クラウドファンディングを経てついにできたのが、日本初のゼロウェイストスーパーマーケット、斗々屋さん。京都の、河原町丸
webライターのなつめももこです。私の日常、過去のこと、考えていることをゆるゆると綴っています。 今日ものんびりと、どうぞ。 ポチのこと犬の話をしようと思う。 犬、それはポチのことだ。 ポチとは私が10代でまだ実家にいた頃に飼っていた犬のこと。 茶色くて、しっぽがふわふわしていて、お目目がくりんくりんの、かわいいこちゃんだ。 誰でも自分がかわいがっているワンコは世界一かわいいものだろう。私にとってのポチもそうだった。かわいいんだ、ポチは。 ポチには、耳がなかった。 耳