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『ONE PIECE FILM RED』ウタが薬を飲まなかった理由【後編※ネタバレ考察※】
※本記事は3部構成のうちの、後編に当たります。
前編からご覧になるとより分かりやすい内容となっています。
下記リンクから中編の記事へとべます。
下記リンクから前編の記事にとべます。
”ウソ”がバレた者(シャンクス)の責任
さて次はシャンクスについて確認していきます!
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ウタの諦めの原因を作った1人であるシャンクス。
彼は今回の事件で一体何を考えたのでしょうか。
ここまでルフィは「『夢』を続ける責任を負う者」である作家たちの決意表明を代弁しているという解釈を確認してきました。
となるとシャンクスもまた作家たちを代弁しているのではないかと考えられます。
この視点から考えると中編にも書いたとおり、
「自分には『夢』を葬る責任がある」
とシャンクスは考えたのだと私は解釈しました。
次はこの解釈を軸にして、シャンクスが葬らなければならない『夢』とは一体何かを考えていきます!
シャンクスの”ウソ”①
そもそも本作の事件の発端となったシャンクスの”ウソ”。
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ホントは、ウタ(トットムジカ)が音楽の島エレジアを滅ぼしたのですが、それを赤髪海賊団の所業ということにしてウタを置き去りにしました。
シャンクスたちはウタの「歌手になる」という『夢』を繋ぐための最善の『夢』を見せることにしたわけですが、残念な結果に。
ここで浮かび上がる疑問点は、ウタは事件を起こす以前にシャンクスの”ウソ”に気が付いていたということです。
ウ タ
「あれは みんなに歌を届けるようになって
1年くらい経った頃 拾ったんだ
事件の日の映像電伝虫を…」
すでにウタは赤髪海賊団と元エレジア国王ゴードンが作り出した『夢』から覚めていたわけです。
なのに事件を起こした。
それは一体なぜでしょうか。
セリフとしてはこのように発言しています。
ウ タ
「だからって どうしろって言うの? 今更!
世界中に 私の歌を待っている人たちがいるのに!」
「そうだ!私は海賊嫌いのウタ!
私を見つけてくれた みんなのためにも…
もう引き返せない… 新時代を!」
前編で述べたとおり、ウタのこのセリフは大衆によって『夢』を見せられている状態だったからこそ発せられたものです。
ここから何が分かるのか。
それはこの「現実」の世界には幾重にも『夢』が折り重なり合っている、ということです。
つまりたとえ『夢』から覚めたとしても、ひとつの『夢』が終わっても、終わる前にすでに別の『夢』が始まっていて、目が覚めたらその『夢』に着地してしまうという入れ込構造が「現実」には存在しているのです。
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シャンクスたちが語った『夢』から覚めても、ウタはすでに大衆たちが語る『夢』の中にいて、そこから抜け出せなかったというわけです。
じつはウタが事件を起こす以前から、もうすでにこの「現実」の世界は『夢』・トットムジカに侵食されているのです。
そんな「現実」に生きる人々はいくつもの『夢』を渡り歩き、ずっと『夢』から覚めることがありません。
つまり、
『ONE PIECE』が終わったとしても
私たちは『HUNTER×HUNTER』や
『呪術廻戦』を読み始めるのです!
トットムジカ=週刊少年ジャンプだ!!
ウタが薬を拒否した理由
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シャンクスから手渡された解毒薬をウタが拒否したのはなぜか。
単純に自暴自棄になった、まだ取り残されている人々を助けるため、罪を償うことを放棄した、または罪を償うため、といろいろな解釈ができるでしょう。
今まで書いてきたことを用いて考えると、『夢』が嫌になったから、という解釈が浮かび上がります。
なぜウタは『夢』が嫌になったのか。
それは『夢』が終わる瞬間にとんでもなく辛い思いをすることが分かったからです。
終わってしまったとしても『夢』を次々と渡り歩いていけば良いのですが、やはり大好きなマンガが連載終了してしまうと悲しいものです。(最近だと私は『進撃の巨人』が終わったときに結構な喪失感を感じましたね…)
その『夢』が全身全霊で”叶えようとした”ものなら尚更でしょう。
その悲しみをもう感じないためには『夢』を見ずに「現実」を生きることが賢明なのですが、先ほども書いたように『ONE PIECE』が終わったとしても私たちには『HUNTER×HUNTER』や『呪術廻戦』、または「Ado」の楽曲が待ってくれています。
現代の「現実」は『夢』で溢れかえっている。
「現実」に生きようとしても『夢』に着地してしまう。
終わりを迎え、始まりを迎えて、また終わりを迎えてしまう。
そしてまた・・・・・。
私たちは『夢』から逃がれることができないのです!!
だからこそウタは自分が創り上げた『夢』の世界よりも『夢』に溢れた「現実」の世界に大衆を送り戻し、
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そして、退場するしかなかったのでしょう。
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別れを告げるような表情で遠のいていくウタ
「ウタ」というキャラクターは現代人の象徴と言えるのです。
シャンクスの”ウソ”②と受け継がれた「呪い」
ウタは『夢』しかないこの「現実」の世界に生きることを諦めてしまいました。
ウタの凶行と絶望の大きな原因ははシャンクスが語った『夢』でした。
シャンクスは非常大きな責任を感じたことでしょう。
ここで忘れてはいけないことがあります。
ウタの『夢』はもちろんですが、じつはシャンクスが『夢』を後押ししてしまった人物はもう1人いるのです。
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上の画像の通り、シャンクスが『夢』を後押ししたもう1人の人物とはルフィのことです。
ウタにもルフィにも『夢』を語っていたのです!
ルフィが『夢』を語り続けることを誓ってしまったのは、シャンクスのせいだと考えられるんです!
自分が叶えられなかった(この時点で)「海賊王」という大変な『夢』を、たまたま仲良くなった少年に「叶えろよ」と言わんばかりの態度。
ある意味で、大人げない行為だとも取れます。
この大人げない行為をシャンクスはウタにもしたのです。
結果として、ウタを失ってしまいました。
しかしシャンクスだけが大人げないわけではありません。
なぜならばシャンクスも『夢』を見せられていたからです。
誰に?
ロジャー船長にです。
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シャンクスもまた”麦わら帽子”を託された側なのです!
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このように”麦わら帽子”は脈々と受け継がれた「呪い」の象徴なのです!
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麦わら帽子のイラストを袖にプリントしていたウタ
ロジャー → シャンクス →
ルフィ→ ウタ → ルフィ
といった具合に”麦わら帽子”という『夢』は渡り歩いてきたのです。
ルフィはウタに「呪い」を付与してしまったことに気付いたからこそ涙を流し、ウタからの呪いを引き受けて『夢』を続けることを誓ったのです。
『夢』の果てと作家の責任②
このように『夢』を継がせてしまったことでとんでもない罪を背負ってしまったシャンクスですが、継がせる以前からシャンクスは『夢』の果てを知っていました。
シャンクスが見た『夢』の果てとは一体何か。
それはロジャー船長の最後です。
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そして本作ではウタの『夢』の果ても見ることになりました。
シャンクスはまさか自分が語った『夢』によってウタがこのような最期を迎えるとは考えていなかったでしょう。
ですがこれはシャンクスの大人げない行為が大きな原因です。
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ロジャーとウタのその最後は悲惨なもので、唯一の救いは「誰かに『夢』を託せたこと」ですが、その『夢』は果たして人々を幸せにしたのでしょうか。
ロジャーによって訪れた大海賊時代は、世界中で海賊による略奪行為を横行させることになりました。
また、ウタが創り上げた『UTA LIVE NEW GENESIS』は、「現実」を破滅させる寸前にまでいきました。
『夢』の果てを知っているシャンクスの目に、結局ロジャーのような悲惨な最期を迎えてしまったウタを抱きかかえるシャンクスの目に、『夢』を語り続けることを誓ったルフィはどのように映ったのか。
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それを見つめるシャンクス
それは「いつか『夢』を繋ぐために悲惨な死を遂げる者」に見えたのではないでしょうか。
『夢』を見続けるルフィ。
『夢』と「現実」どちらにも生きられなかったウタ。
もしかしたらルフィもロジャーやウタのようになるかもしれない。
シャンクスはどうすればいいのか。
そんなのやるべきことはたった一つです。
ワンピースを手に入れて
『ONE PIECE』を完結させることです!
この世界を覆い尽くすほどの巨大な『夢』である「大海賊時代」と『ONE PIECE』を終わらせる。
シャンクスはそう決意したのです。
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『夢』の溢れるこの「現実」の世界で、賢明・堅実に生きる術とは、
『夢』を終わらせ続けること
それ以外に無いのです。
平たく言えば、『夢』を叶え続けるか、挫折し続けるか、ということですが、それよりもっと簡単で楽な終わらせ方があります。
それは「考え続ける」という方法です。
(とても現代っぽくなってきましたね)
例えば、気になることがあったら色々な視点・資料で調べてみるとか、ちょっと自分なりに紙に書いてまとめてみるとか、友人に自分の考えを話してみて意見を聞いてみるということです。
これらの行動が大変に思われるかもしれませんが、『夢』を叶えようとするよりかはよっぽど楽です。
そのような方法で「考えた結果」を何かに落とし込むことが大事。
そして作家たちも「考えた結果」を物語に落とし込んでいるのです。
創作行為は「『夢』を語る」行為でもありますが
同時に「考える」行為でもあるのです!
だからこそラスト(エンドロール前)のシャンクスとルフィの視線、作家たちの姿勢は交わらずとも矛盾しないのです。
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まぁ、じつはこの「考え続ける」行為、私たちはすでにやってるんですけどね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
まとめ
では本記事を箇条書きでまとめます。
【前編】
ウタは「現実」を改革せず、『夢』に「現実」を引きずり込んだ
大衆もウタを『夢』に引きずり込んだ側で、一種の共犯関係があった
大衆の願いは『夢』を叶えることではなく『夢』を見続けることだった
「ワンピースの世界VS読者たちの世界」の対立構造があり、非常にメタフィクション的である
考察屋さんは『夢』をより強固にするために考察をしている
【中編】
結論 ルフィは「『夢』を続ける責任を負う者」
シャンクスは「『夢』を葬る責任を負う者」ルフィがウタを攻撃できなかったのは、相手の『夢』を終わらせると自分の『夢』も終わってしまうため、終わらせられないという”どっちつかずな状態”に陥っていたから
ウタの「冒険をし続けろ」という”麦わら帽子”の「呪い」を引き受けて、ルフィはラスト、「海賊王に おれはなる!」と言った
またルフィのラストのセリフは、「『夢』を続ける責任を負う者」である作家たちの決意表明をルフィは代弁している
【後編】
ウタがシャンクスの”ウソ”に気付きながらも事件を起こしたのは、たとえ『夢』から覚めたとしても、また別の『夢』に着地してしまうから
ウタが解毒薬を拒否したのは『夢』が嫌になったから
”麦わら帽子”は脈々と受け継がれた「呪い」の象徴
シャンクスは自分が継がせてしまった『夢』「呪い」を終わらせる、つまりワンピースを手に入れて『ONE PIECE』を完結させることを決意した
『夢』の溢れるこの「現実」の世界で、賢明・堅実に生きる術とは、「考え続ける」こと
物語という創作行為は「『夢』を語る」行為でもあるが、同時に「考える」行為でもある
『ONE PIECE FILM RED』の偉いところ
本作で描かれた作家たちの本音は、別の作品でも似たような形で描かれています。
最近の作品だと例えば、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』や『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』のラストは分かりやすいです。
この2作品のラストは「エヴァンゲリオン(アニメ)・ドラゴンクエスト(ゲーム)という『夢』から覚めなさい」と言わんばかりです。
フィルムレッドと似てはいるものの、例に挙げた作品はどこか皮肉めいていて、ラストはある種の悪意を感じるモノでした。
それらと違って『ONE PIECE FILM RED』の偉いところは、
① 他作品が見落としていた「現実」の実情を暴いた
② 作家としての姿勢を2つ示した
このふたつだと思います。
まず①について。
他作品が見落とした実情とは、「現実」は『夢』で溢れかえっていて「現実」に生きようとしても『夢』に着地してしまうのが現代だということ。
この点をあまり描けていなかったから、エヴァやドラクエのラストでの「現実に生きなさい!」というお説教はどこか的外れなものになってしまったため賛否両論の評価を受けているのでしょう。
(シン・エヴァに関しては、監督「私と一緒に現実を生きよう」的なメッセージだと思うので私はそれほど批判的じゃないです。ユア・ストーリーに関しては、純粋に下手だなと思いました。)
次は②について。
本作ではルフィとシャンクスの視点から、創作行為は「『夢』を語る」行為でもあるが、同時に「考える」行為でもあることが示されました。
エヴァ、ユア・ストーリーとは違って、観客・読者を批判しつつも作家である自身たちも批判しており、そのうえで「私たち作家は『夢』を語り続けるし、『夢』を終わらせ続ける」と言ってみせます。
「現実」の実情をかんがみて、他作品のようなお説教は意味をなさないと言ってみせ、本当の意味で現実的・建設的な結論を描くことに成功したのだと思います。
個人的な感想だと、よくもまぁワンピースでエヴァをやったなぁ、と感心というか、圧巻でしたねぇ。ただアニメーションとしての面白さはエヴァに劣るかなぁとは思っちゃいました。
あと『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』っぽいなぁと感じました。
(そういえば声優も…)
『ONE PIECE FILM RED』は「ワンピースは伊達じゃない!」と言いたかった映画だったのかなぁと思いました。
長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました!
〈 結びの言葉 〉
早寝早起きに越したことはない
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