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『ONE PIECE FILM RED』メタフィクション説【前編※ネタバレ考察※】

 ワンピースフィルムレッドは、けっこう引いた視点から見ないと、作品のメッセージ・本質が分からない作品だと思う。
 この映画はいわば、

ワンピースのファンだからこそ分からない作品

 だと思います。

 本記事では『ONE PIECE FILM RED』がメタフィクションとしての側面を持っていて、じつは

ワンピースの世界(虚構の世界)
V S
読者たちの世界(現実の世界)

 という対立構造を持っているという考えを主軸に考察をしていきます。
 まずは本作の対立構造とウタと大衆が見た『夢』の本質を確認したうえで、考察厨嫌いの心理と、シャンクス視点での『ONE PIECE FILM RED』を考えていきます!
 よろしくお願いいたします!

『夢』に引きずり込まれた「大衆」

①谷口悟朗監督『ONE PIECE FILM RED』

ウ タ
「わかってる わかってるよみんな
私が みんなが幸せになる新時代をつくってあげる」

 デスノートの夜神月みたいなセリフで幕が上がる本作。

 ウタは「皆が幸せになる新時代をつくる」ことを夢見ているわけですが、この夢は、自分のファンである人々の「辛い、苦しい」という言葉を日々聞き続けた結果、創出されました。

 普通、夢というモノは現実を改革・改変することで叶えられるものです。
 
しかしウタはそうではなく、夢そのものの中に現実を引きずり込むことで夢を叶えようとした

 大衆はウタの素敵な歌(声)を聴き続けることによって、本当の意味で現実を忘れることが叶ったわけです。

 しかしここで見落としてはならないのが、夢に引きずり込まれたのは大衆だけではないということです。

『夢』に引きずり込まれた「ウタ」

 前述した通り、ウタの夢は、自分のファンである人々の「辛い、苦しい」という言葉を日々聞き続けた結果、創出されました。
 つまりウタは、

大衆の声を聞き続けることで
夢の世界に引きずり込まれた

 と考えることができるんです。
 じつはウタと大衆には一種の共犯関係、共依存関係があったうえで本作の事件は発生しているのです。

 ウタはことあるごとに「そっか!~~なんだね」という文法で自分なりに他人の気持ちを解釈しています

 しかしながら、この解釈はウタが勝手にそう思っただけであって、人々と話し合うなどですり合わせを行ったりはしていません。
 果たして、ウタの解釈通り、大衆の願いは「大海賊時代の終焉」なのでしょうか。

”まだ”ウソでもホントでもない『夢』

ウ タ「ちょっと待って!
みんな! みんなは自由になりたかったんじゃないの?
”病気やイジメから解放されたい”って言ったのはウソ?
”海賊におびえなくて済む毎日が欲しい”って言ってたじゃない!」

男性客I「帰りたいっつってんだろ!」
ウ タ 「えっ…」

 大衆の夢とは「大海賊時代の終焉」であると解釈していたウタ。
 しかし大衆は実際に夢の世界に入ると「いや、仕事あるんで帰ります(笑)」とか言い出しちゃう。あんなにも現実に生きることを嫌がる風なセリフを言っていたのに。

 「新時代を創って」と言っていたはずの人々が、いざ夢が叶いそうになるとそれを拒む言動を取るのは、ウタからすれば「どういうこと?」と疑問に思ってしまうのも無理はないでしょう。

 実際のところ、ウタの考えた大衆の願いは解釈違いなのです。

 大衆の本当の願いとは何か。それは、

大衆の願い
「『夢』を見続けること」

①:ウタのライブに歓喜するファン

 ん?いやいやその願いをウタは叶えようとしていますやん?
 何言ってまんの?
 と思われるかもしれませんが、『夢』とはそもそもなんでしょうか

 私が考えるに『夢』というものは

ウソにもホントにもなっていない
どっちつかずな状態

 のことを指す言葉です。
 何かの作業に没頭することを「夢中になる」と表現しますが、その作業が終わってしまえばどうでしょう。
 当たり前ですが、目の前に成果物が現れます(出来の良し悪しは置いておいて)。そして私たちは楽しみを失うのです。

 「夢中」を抜け出た先にあるのは成果物と達成感だけで、ワクワク感はもう終わりです。
 着実に作業を進めてしまった人はワクワクを感じられなくなるのです。

 つまり大衆の人々は、この「どっちつかずな状態」「夢が叶ってもいないし、叶わないと決まってもいない状態」に居続けたかったのです。
 ライジングなんて始まらなくても結構なのです!

大衆は作業を進めることなく、
ただワクワク感を感じ続けたいのです!

 さて、ここまでくればおのずと見えてくることですが「作業」という言葉を「ページ」という言葉に変えて上記の文章を変換してみましょう。

大衆は「ページ」を進めることなく、
ただワクワク感を感じ続けたいのです!

 そう、すなわち『ONE PIECE FILM RED』とはワンピースファンを大批判している映画なのです!!

 以上のことから、

ワンピースの世界(虚構の世界)
V S
読者たちの世界(現実の世界)

 という対立構造が浮かんできます。
 この対立構造がまさにメタフィクション的な部分で、我々読者に「そのまま漫画を読み続けていて良いと思う?」と問いかけて”しまっています”
(ここの脚本家の声のでかさが賛否両論を巻き起こす要因になっているのでしょう。だって私たちは「夢中」でいるために映画を見たのだから)

 さて。
 私たちワンピース読者が長年見続けている『夢』とはなんでしょうか。
 もうお分かりですね?

ワンピース考察屋の心理

②(C)尾田栄一郎『DEATH NOTE』第1巻,株式会社集英社,p57

 ルフィの夢である「海賊王になる」は果たしていつ叶うのでしょう。私には見当がつきません。現実世界の年数であと数年とかでしょうか…。

 しかし私たちは叶ってほしくないとどこか思っている節があります。
 そのことはYouTubeなどネット上で散見される、ワンピース考察から見て取れます。

 なぜワンピース考察屋さんはあそこまで熱心で、また大量の発信者とファンが存在しているのか。
 それは『ONE PIECE』という『夢』をより強固にしたいからです。

 考察屋さんの多くは、世界観・舞台設定に対する考察を行っています(本記事のような作者の意図・本質論のようなものとは違って)。

 世界観・舞台設定を考察することで何が起きるのか。

 世界観を分かりやすく解説し、それを他の読者と共有することで、私たち読者が生きる「現実」の世界に『ONE PIECE』をより広く流布することで、「現実」の世界に「虚構」の世界をより強く、深く引きずり込むことができるのです!
 まさにフィルムレッドでウタがやったことのように。

 考察厨嫌いの人々はおそらく『夢』を強固にして更に『夢』を見続けようとするその心理を感じ取って「考察厨ウゼェ…」と言うのだと思います。
 
考察厨が嫌いなタイプの方々は、あくまでもフィクションはフィクションで、それに依存などせずに適当に楽しもうというクールな態度の読者なのかなぁと思います。(しかし、そのクールさもある種の「夢中」なのかもしれません。)

 このようなワンピースを取り巻く「現実」の状況も『ONE PIECE FILM RED』は暗示しているのです。だからこそ、けっこうたくさんの考察屋さんはこの映画を酷評してしまうのではないでしょうか。


 下記リンクから中編にとべます。

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