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春に世界一似つかわしくない由無し事(汚れ切った洗濯物たちへ)

今日は4月1日。
世界中がゆる〜く疑心暗鬼になる日だ。
特に上手な嘘がつけるタイプでも無いので(というか嘘が表情に出やすい)、何か上手いことやろう!と意気込む訳でも無いのだが、微笑ましい冗談がSNSに流れるとなんとなく得した気分にもなる。

今の仕事についてからなんとなく忘れていたが、
今日は新年度の始まり、多くの人にとっては新しい生活のスタート日でもある。

オフィスのある場所はどちらかというとスーツ人口は少ない場所なのだが、
今日は妙に馴染んでいないスーツ姿の若者を、オフィスの窓からよく見かけた。

そうか、今日は入社式の日なのか…

気温が上がって、やっとそれっぽい空気感になってきた最近。
春と秋は、「匂い」が強烈に記憶を呼び覚まさせる季節だ。

新卒で入社した会社は、今働いているところとは全く違う、誰もが一度は名前を聞いたことのある日系大手だった。

元々務め人になるつもりはあまりなく、ましてやスーツを着て働くことなどイメージもしていなかった。
それでもここには書ききれないような色々な理由があり、一度そういう世界に飛び込んでみてもいいかもしれないと思った。

今考えてみると、「なんであんな狭い世界が、周りの全てであるかのようにもがいていたんだろう」と思ってしまう。
馬鹿馬鹿しいことだが、当時はそれだけ視野を狭められていたように思う。

大きな組織で働くということは、たとえて言うなら「スモールライトで小さくさせられ、出力全開の洗濯機に放り込まれる」ような経験だった。

水の中で体を動かすのは得意な方だ。
ただ、高性能で高出力な洗濯機の中ではそんなことは関係ない。
静かに動いているように見えて、内では激流がこれでもかと渦巻く。
厳重に蓋を閉められ、自分の意思/意志をこれでもかと剥ぎ取りにかかった。

洗濯機は、俺に「活躍すること」「成果を出すこと」「出世すること」「競争すること」を求める一方で、表向きには「未熟さを演じること」を求めた。
世の中のことなど何もわからない赤子のように振る舞うことを求められた。
どうやら世間ではそれを「フレッシュさ」というらしい。

洗濯機は、個人の「履歴」を削除させることに、とにかく躍起になっていた。
「社会人」というものになるには、20年ちょいで積み重ねた経験や得た思いは、面接を経た後には即時、老廃物として排泄されなければならないようだった。
それが当人にとってどれだけ譲れないものであろうと、それを保持し続けることは「学生気分」とされるようだった。

洗濯機は、高性能であればあるほど内容物を絡み合わせる仕組みでできているようだった。
一人で昼食を摂ることすら白い目で見られた。
お互いが繊維に傷がついてでも絡む事が良しとされる、不思議な装置だった。

「ここは学校ではない」と洗濯機は主張し続けた。
まあ確かにその通りなんだろう、洗濯機なんだから。
「汚れ」を漂白すればするほど「良い」ものとして評価される。
だが俺にしてみれば、それが自分を「学校じゃない」と強弁すればするほど、それは「ガッコウ」に見えた。

洗濯機にしてみれば、俺はとんでもなく頑固な汚れに侵された、「念入りに洗わなければならない存在」に見えたのだろう。
何度も、何度も、モーター全開で、強力な洗剤を入れ回され続けた。
その洗剤は、「イチネンメ」というラベルであったり、「コミュニケーションノウリョク」であったり、「ニッケイシンブン」であったり、「タケナカヘイゾウ」であったりした。

「汚れ」が落ちぬまま、ついにその洗濯物は縮み上がり、しわくちゃになってしまった。


今の俺が「社会人」になってからの数年を、「誰も傷つけずに」抽象的に振り返ってみるならそんなところだろうか。

巨大な組織での経験は、学びがゼロだったかといえばそんなことは決してない。
今も俺を助けてくれる経験は確かにある。
だが、その副作用はあまりにも大きかった。

今思うと、人間関係も一部を除いて決して健全なものではなかった。
やたらと仲間意識を振りまいてくる奴ほど、俺がその場を去った瞬間すぐに離れていった。
その後一切音沙汰もないくせに、今でも酒の場を盛り上げる道具として俺の名前だけは出すそうだ。
(知ってっぞ、お前のことだよ)

まあ、今後も俺の全く預かり知らぬ場所で静かに生きていてくれればそれでいいが。

一方で滑稽なのは、何より当時の俺がむしろ自ら進んでそんな環境に縋り付いていたことだろう。
どれだけ体がSOSを上げても、「ここですらやっていけない俺が外でやっていけるわけがない」と頭がそれを押さえつけ続けた。
振り返ればそれも、組織の怖さの一つではあると思う。
それは俺に「ここはまだゆるい方だ」と、「離職率」という使途不明な数字を下げるために、呪文のように聞かせ続けた。

「洗濯」され切って「いきいきと活躍する」人がいるからこそ、この世がつつがなく回っていることも事実だろう。
そんな生き方を否定するものでは決してない。
だが、俺がそれを本能の根っこから受け入れることができなかったことも確かだ。


ケミカルな洗剤の匂いを落とし切って、再出発を切るまでには約2年かかった。
文字通り絶望からの再出発だった。

ところが今、これまでずっと取り組んできた「音楽」「レコード」が自分の仕事になり、かつて掲げた「30代が終わるまでに一冊本を出す」という目標が、もう少しで叶うところまで来ている。
そしてこのnoteでは、いつの間にか30万回も自分の記事が読まれている。

奇跡と言っても差し支えないそれらを導いてきてくれたのは、間違いなく20代までに自分についてきた「汚れ」だ。

今、世界は思った以上に、確かな実感を持って「広い」と思えている。
その一方で、思った以上に「近い」とも感じている。

ここではここなりの苦労や悩みはあれど、より「人間らしく」生きられるようになったのは確かだ。

たった20数年の人生経験であっても、そこにはそれぞれ「個」が刻んだ履歴があるし、それは昨日今日出会った「社会人」に簡単に否定させていいものではない。
ましてや企業という、究極には「当期純利益」を生み出すのが目的の装置のために、安易に売り渡していいものでは決してない。
それぞれが持つその「汚れ」はめいめいに尊いものであって、過去と現在と未来を確かに繋いでいく勲章だ。

今年もたくさんの「汚れ」のついた洗濯物たちが、高性能でハイブリッドで、寸分の狂いもない洗濯機に飛び込んでいく。
きっと俺のように、規格に合わず「頑固汚れのついたやつ」としてドロップアウトしていくものもあるだろう。
でも、それでもいいじゃないか。
それだけ強く染みついた「汚れ」なら、それはもう一生付き合っていくべきそいつの一部なのだ。


汚れたまんま生きていったっていいじゃないか。


不自然なまでに黒いスーツに身を包んだ若者たちは、一日の終わりまであちこちで目に入った。
なぜか、集団でまとまっているより、一人で歩いている彼/彼女の目の方が力強く見える気がした。
まあ、それも俺の「汚れ」がそうさせるのかな。


ぼくはこれから大阪へ行くところ
いちばんきれいだった女の子の顔など思いだし
制服が人ごみの中に消えてゆくのを
振りかえりながら ぼくは見送っている

『制服』吉田拓郎(作詞:岡本おさみ)


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