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これからも幸せでいたいなら


2022年1月某日

私はある一室にいた

そこにたどり着くまでの道のりは、決して一人ではたどり着くことが出来ないものであった

商工会の指導員と、ある先生を交えてのヒアリング

経営革新という、自分の会社を見つめなおすといったものだ

どこかで敬遠していた事だが、実際に経営革新を成し遂げた事業者様の話

また、指導員の巧みな話術によってその機会を与えてもらえることになる

出会いには感謝せねばなるまい

そしてこのブログも始まっていったのだった


初めは子供の火遊びだった


その先生は言う

この時代にSNSを活用しない手はない

地元での認知度が低い事も問題視に捉えていた私は

その言葉にハッとさせられた

勿論、インスタやツイッターなどの存在は知っていたが

どこか面倒くささや、こんなの投稿して何ナノと

馬鹿にしていたところもあった

やれここのスイーツが美味いだの、やれ何処かへ行ってきただの

別にどうでもよかったのだ

しかしその影響力は馬鹿にできない

投稿することで、誰かしらが見てくれている

全く関係のない人とも繋がる事もできる

知りえなかった情報が、瞬く間に手に入る

そこには弊害もあるが、使い方ではプラスに転じることの方が多い

それも含め、ブログもどうかと先生は言った

誰かの困りごと、悩み事を勝手に記事にするのだ

電気なら電気で、身近で悩んでいそうなことを電気屋目線で記事にする

その検索に引っかかったりして、遠回りでも認知度を上げていこうという作戦だったのかもしれない

それには重要な事が一つあった

毎日定刻に記事をアップするというもの

そうすることにより、誰かがその記事を読むことを習慣化してくれるかもしれない

毎日アップされているなら、見てみようかなと

そんなマインドをくみ取る事も作戦であった

如何にもめんどくさい、毎日など書いている暇なんてあるものかと

心の中で一年前の私は思っていた

それでも、文章を書くことにそこまで抵抗がなかったので

始めてみることにしたのはその先生への挑戦だったのかもしれない

「毎日一年書き続けられる人なんて、ほんの数パーセントですよ」

そう、この負けず嫌いの私に言い放ったのだから


電気のネタなど、そうそうあるもんでもない



過去のブログを振り返ると、そりゃもう酷いもんだ

これはほんとに電気屋が書いたのかと言われるくらい酷いもんだ

なまじの知識しかない、そんな半端モンが書いたのだから無理もない

オマケに誤字脱字のオンパレード

さらには下ネタ全開

どれだけネタ切れに困っていたかが伺える笑

それでも、一年間の記事を見返すと

この時は大変だったとか、夜書けず朝書いたなとか

夜勤の時はほんとブログ書くのしんどかったなとか

いろんな思いでが蘇る

「会いたーとー、思うきもーち^がー」
(映画蘇り 柴咲コウ)

でも、一度も毎日書くのをやめようと思ったことは無かった

インスタにブログの記事を載せた際、それから毎日読んでいいねしてくれる人もいたし

経営指導員の方も応援しながら見ていてくれてたし

あの栗原先生も読んでいてくれた(これを知ったのはだいぶ後の話)

「お前の文章、おもしれえしうまいよな」

って誉めてくれた

こんなにうれしい事はなかった

私がどれだけ辛い思いをして書いた記事も

せいぜい見てくれる人は多くて10人前後

傍からみたらそんなことに時間を費やす意味はあるのかと

そう思われても不思議ではない

実際私もそう思った時期があった

それでも続けようと思ったのは、続けようと決めた自分を裏切りたくはなかったのである

簡単にやめる人だと、そう思われたくもなかった

そりゃあ毎日じゃ大変だよ、仕方ないと慰められたくもなかった

記事を一生懸命書いて、それを読んでもらう事にそこまで意味はない

続けることの大切さ、決めた事への責任という点で

私はやってきて良かったと思う


おわりに



一生幸せでいたいなら、正直でいることだ

そんな題名で書いた記事があったと思う

髪も切った、車も買った、そして結婚もした

いろんな人に出会った

みんな幸せだった

そしてこれから

これからも幸せでいたいなら

私はブログは書かない笑

この為に、この時間の為に

沢山の物を犠牲にしてきた

綺麗ごとではない、これが真実だ

これからの新しい時間を

また別の事に費やしていこうと思います

まだまだ書き足りないかと存じますが

この辺でおわりにしたいと思います

長い間、拙い(つたない)話を沢山の方に(だから少ないんだよ)読んでいただきありがとうございました

そう言えば、このブログを始めるきっかけになったあの先生には

一年続いたよと話す機会はあるのだろうか

別に、言わなくてもいいか





どうもヌノタケ電気でした











株式会社 布武電気計装

平成元年創設

平成29年、私、ヌノカワツトムが二代目代表取締役に就任

以後、目まぐるしい発展を遂げる笑

まさか自分が電気屋になるとは思っておらず

近くの印刷屋で暗黒の7年を過ごす

そこで学んだものは、怠ける人間は恐ろしいという事

その後、またまた近くの電気屋さん(半分ブラック笑)に転職

そこで学んだものは、仕事が出来ない奴はボケ

どんな場所にも、どんな人間にも

そこにドラマがある

出会いには感謝すること


お後がよろしいようで

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