笑い

サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、 アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」 創世記 21:9-10 新共同訳

聖書の勉強をしていて、この箇所の不思議な点に気づいた。ヘブライ語の原文を見ると、翻訳の「イサクを」とは異なり、誰をからかっているとも書いていない。しかも「からかっている」という言葉はたんに「笑っている」とも訳すことのできる言葉だ。サラは、ハガルの息子がただ無邪気に微笑んでいるのを見ただけで、怒りを覚えたのかもしれないのである。

もともとなぜエジプト人の女が、アブラハムとのあいだに息子をもうけたのか。それはサラが不妊に悩んだ末に、夫にそうするよう自ら頼んだからだ。エジプト人の女ハガルは、サラの召使だった。サラに促されたアブラハムはハガルと床を共にして、それで生まれたのがイシュマエルである。現代のように医学も発達していない時代、子どもがいないことは一族の存亡にかかわる危機だった。そして子を産んでこそ女という時代にあって、不妊のサラは深く傷ついていたはずである。しかしその傷に塩を塗るように、彼女は自分の召使の女、それも異国の女に夫の子を産ませるのである(案の定、イシュマエルが生まれたあと、二人の女のあいだには確執が生まれる)。

紆余曲折ののちに、ようやくサラにも子が生まれる。アブラハムはその名をイサクと名づける。じつはイサクの名の意味は「彼は笑う」である。かつてアブラハムは、サラとのあいだに子が生まれるとの神からのお告げを聴いた際に、ひれ伏しながらも失笑してしまう。あとでサラもその預言を聴くことになるが、やはり失笑する。なぜなら、その時点でアブラハムもサラもすでに高齢者であり、サラは閉経しており、性交渉はもはやなく、子どもができるなど信じられることではなかったからである。そしてそんなことを真面目に信じるほうが、不妊の傷を持つサラには惨めだからである。ところでこの「(彼は)失笑した」というのもイサクと同じ綴りである。

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