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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2018年11月の記事一覧

なぜ(同じ)信仰の者同士が争うのか

この仕事をしていると、必ず言われることがある。 「同じ宗教を信じている人同士なのに、なぜ…

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それは天が記憶すること

初任地に元牧師夫人がいた。わたしが赴任した時点で、その方のおつれあいは亡くなられていた。…

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すべての苦悩は不眠に通ず

それから、戻って御覧になると、弟子たちは眠っていたので、ペトロに言われた。「シモン、眠っ…

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名前を呼ばれる

むかしのことだが、教会に来るようになった人が、こんなことをおっしゃった。 「ここでは名前…

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救われ主

皆さんは、自分がもやに包まれたような感じを味わったことがあるだろうか。とても気持ちが落ち…

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行きたくない場所へ行くときには

「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた…

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独りで死ぬことについて

縄文時代の15歳からの平均余命は15~20年程度であったという(岡村道雄『縄文の生活誌』)。平均寿命ではなく、平均余命。つまり乳児の死亡率が高すぎて、平均寿命では成人がどれくらい生きたのかの指標にはならないということである。乳児を含めた平均寿命では、ほんとうに生きたであろう成人たちの年齢よりもずっと低くなってしまうのだ。 当然のことながら出産する母体も危険にさらされ、母親の死亡率も高かった。ある程度成長した子どもは子どもで、樹上などから転落死したりすることもあった。わたしは現

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「福」音でないからこその福音もある

'わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。 ' 詩編 22:7 '呪われよ、わたし…

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いま、どこ?

教会で毎週行っている「聖書を読む会」で雑談をしていて、ある方がこんなことをおっしゃった。…

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我々は皆、市川崑である。

'墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく…

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疑わしきは罰せず

寄り添う。それはとても耳に心地よい言葉だ。わたしも牧師として、教会に来る人の告白に耳を傾…

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わたしの内心、そして他人の内心を詮索しないこと

「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。 悔い改めにふさわしい実を…

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宇宙人

尊敬する80代の牧師が微笑みながら、こんなことを言った。 「わたしには、ときどきあなたが、…

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笑い

サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、 アブラハムに訴えた。「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」 創世記 21:9-10 新共同訳 聖書の勉強をしていて、この箇所の不思議な点に気づいた。ヘブライ語の原文を見ると、翻訳の「イサクを」とは異なり、誰をからかっているとも書いていない。しかも「からかっている」という言葉はたんに「笑っている」とも訳すことのでき

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