宇宙人
尊敬する80代の牧師が微笑みながら、こんなことを言った。
「わたしには、ときどきあなたが、宇宙人に思えるよ」
部屋の壁に、坂道の風景画が掛かっている。それが坂道の風景を描いたものであると理解するためには、坂道その他がどのように平面上に記号化、象徴化されるかを知っていなければならない。また、人間は現実を絵画に収斂することがある、ということも理解しておかなければならない(もっとも、絵画もまた現実そのものであるはずだが、それについてはここでは措いておく)。
記号化や象徴化のプロセスが人間とはまったく異なる宇宙人には、だから風景画が何を示しているのか理解できない。「ほら、ここに絵があるじゃないか。見えないのか?」と指さしても、宇宙人は絵画に気がつかないかもしれない。もちろん、我々は宇宙人に遭遇したことはない(遭遇したことがあると主張する人もいるが、ほとんどの人はない)ので、宇宙人というのは比喩である。わたしやあなたがあたりまえと思っていること、あまりにもあたりまえすぎて、そもそも我々の意識にさえのぼらないことについて、「知らない、あたりまえとは思っていない」と答える存在を思考実験しているのだ。
思考実験というと、いかにも抽象的で、現実生活には無関係の思考遊びをしているように誤解されがちである。だが上記の宇宙人の譬えは、最初の老牧師の言葉に照らして、わたしにはとてもリアルである。80代と40代の世代格差による、言葉遣いや概念解釈の大きな差異。差異があまりにも大きいと、まるで宇宙人のように感じられるということである。老牧師にとって、わたしは日本語を流暢に話す宇宙人ということである。たしかに同じ日本語を話しているのだが、たとえば「日本」という言葉で、両者はまったくちがうことを考えている、あるいは「日本」という言葉を用いる文脈が、両者では交差しないほどに隔たっているということである。
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