疑わしきは罰せず

寄り添う。それはとても耳に心地よい言葉だ。わたしも牧師として、教会に来る人の告白に耳を傾け、その苦しみに寄り添いたいと、つねづね努力を重ねてきた。

だが、耳に響く心地良さとは裏腹に、寄り添うことは不可能に近い。とくに、ほんとうに手が差し伸べられるべき人に対しては。

息をするように嘘をつく人。わたしのわずかな言葉尻を捕えて「傷つけられた!」と言いふらす人。気持ちの落差が激しく、わたしを崇拝する勢いで褒めちぎるかと思いきや、別の日にはわたしに対して憎悪の牙を剥いてくる人。「どうしたらいいでしょう?」とさかんにアドバイスを求めてくるのだが、わたしがなにかアドバイスしても、ほぼ実行しない、できない人....

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