これからの

すべてのコンテンツが本か

第2章 本は定義できない (7)

 先の「フィニッシュされたもの」「第三者によって編集されたもの」「持続して展開される論点やナラティブ」という定義はどれも、紙の本に印刷されてきた文字や写真、イラストといった静的なものにとどまらず、音声や映像、ゲームなどの動的なものが含まれ得る。

 それらはまとめて「コンテンツ」と呼ばれ、あらゆるネット書店やスマートフォンアプリのストアで、みな並列に売られ、二十四時間という限られた時間を奪い合っている。考えようによっては、コンテンツと呼ばれるすべてのものが、本に似ている。

 とはいえ、動的なコンテンツの多くは、生放送などをのぞき、大半は「フィニッシュ」され「編集」されている。また、その音声や映像、ゲームなどを体験している時間、その連続する流れに「持続して展開される論点やナラティブ」を読み取れないものはない、ということもできるかもしれない。

 そもそもいまは多くの場合、紙の本であっても、元はデータだ。印刷所に入稿されるのは、たとえば「.indd」とか「.pdf」といった拡張子がついたファイルだ。その前にWordで書かれた原稿があれば、そのファイル形式は「.docx」かもしれない。その原稿は著者本人が語りおろしたもので、元となった音声ファイルがあれば「.mp4」かもしれないし、それが動画であれば「.wmv」かもしれない。それらの「元データ」は、「フィニッシュ」や「編集」がされる前のものであるから、本でないと感じる人もいるかもしれない。一方、そこで語られているのがすぐれた「持続して展開される論点やナラティブ」であれば、より生に近い元のデータには相応の価値がある。

 すると、このデータまでは本ではなく、このデータからが本である、と区別する必要性もないように思えてくる。すべてのコンテンツが、すべてのファイル形式が、本でないと言えなくもない。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P72-74より転載


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ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。新刊書店「本屋B&B」(東京・下北沢)と出版社「NUMABOOKS」を経営しつつ、「八戸ブックセンター」「神保町ブックセンター」「BIBLIOPHILIC」などの仕事をしています。散歩社取締役、バリューブックス社外取締役も。
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