これからの

印刷も製本もない時代から

第2章 本は定義できない (4)

 そもそも「本」と呼ばれるものは、いつからあるのだろう。

 ラテン語の「本(liber)」とは、もともとは樹木の内皮を表わす言葉だった。樹木の内皮は石とともに、最も古くから人間が文字を書きつけた素材だったのである。しかし、古代人たちは、それ以外にもさまざまな材料に文字を書いた。メソポタミアの遺跡からは、文字の刻まれた粘土板が千枚単位で発見されているし、他の地域でも、文字の書かれた蠟板や木板、骨、布、ヤシの葉、獣皮、石、金属などが見つかっている。
 ギリシア語の「本(biblion)」の語源は、パピルスを意味する〈biblos〉である。現在、欧米語で用いられている「聖書(bible)」や「愛書家(bibliophile)」、「図書館(bibliotheca)」など、多くの言葉がこれに由来している。

ブリュノ・ブラセル『本の歴史』(創元社、一九九八)一八頁

 印刷技術が生まれる前どころか、紙という素材さえ生まれていなかったころから、「本」ということばはあった。そもそも「本」とは、樹木の内皮やパピルス、すなわち記録する素材を指すことばであり、それらは板状であったり、巻物状であったりした。その後、現在まで続く冊子という形態が生まれる。

 本の形態は、紀元後の早い時期に変化をとげる。それまでの巻物に代わって、紙葉を重ね合わせて閉じる冊子(コデックス)が現われ、今日見られるような形の「本」になったのである。
 両手で持たなければ読めない巻物と違って、冊子は取り扱いが楽で保管もしやすく、かさばらないので持ち歩きにも便利であり、さらに表裏両面に文字を書くことができた。このため、2世紀から4世紀にかけて、キリスト教の普及とともに冊子が広く用いられるようになっていった。

ブリュノ・ブラセル『本の歴史』(創元社、一九九八)二〇頁

 たしかにいま、ひとくちに本と言ったときにイメージするのは、印刷されて製本された冊子かもしれない。けれど印刷されていなくても、製本されていなくても、本と呼ばれていた時代はあった。それを、ある時を境に、印刷されて製本されたものだけを本であるとするのは、おかしな話であるようにも思えてくる。

 実際に、現在も博物館に行けば、手書きの写本はれっきとした本として展示されている。古書店に行けば、個人のスクラップブックや写真アルバム、日記などでさえ、一定の史料的価値があるものはとくに、高値で取引される。ニューヨーク・ブルックリンを拠点に世界中のスケッチブックを集めて公開している「The Sketchbook Project」や、日記・スケジュール帳・アイデア帳などを「手帳類」と呼んで収集し、東京の参宮橋のギャラリーで公開している「手帳類図書室」などは、現代ならではの手書き本のたのしみ方を提案する、新しいタイプの図書館であるといえるだろう。これらが本でないとは言い切れない。

 また、新刊書店をよく見ると、一枚ものの地図やポストカード、あるいは紙芝居など、必ずしも製本されていないものも、意外にたくさん売られている。古書店に行けば、映画のチラシやポスターを筆頭に、チケットや包装紙まで、およそどこかに誰か欲しい人がいると思われるあらゆる紙は「紙モノ」と呼ばれ、ひとつのジャンルを形成している。古代の定義に照らし合わせれば、製本されていないこれらもまた、本でないとは言い切れない。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P64-67より転載


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ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。新刊書店「本屋B&B」(東京・下北沢)と出版社「NUMABOOKS」を経営しつつ、「八戸ブックセンター」「神保町ブックセンター」「BIBLIOPHILIC」などの仕事をしています。散歩社取締役、バリューブックス社外取締役も。
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