これからの

フィニッシュ、編集、論点やナラティブ

第2章 本は定義できない (6)

 たしかに、電子書籍を本であると考えると、インターネット上のあらゆるものもまた、本であると言えるかもしれない。しかし、それではあまりに漠としていて、本のもつ「本らしさ」のようなものがこぼれ落ちてしまうとも感じる。紙に印刷されるかスクリーンに表示されるかにかかわらず、もう少し「本らしく」定義するなら、どういう括り方があり得るだろうか。

 まずひとつに「フィニッシュされたもの」という考え方がある。デジタルのものは、原理的にはいつまでも変更ができてしまい、たとえそこにある内容を指して何らかの言及をしても、後にそれが修正されたり、追記されたりすることが起こり得る。〈出版=publishing〉というのは、〈公=public〉にするという意味だ。公にする時点で、内容に対する責任が伴う。ある時点をもってフィニッシュとして、以後変更されないもの、もし変更される場合はバージョン管理がされるものは、より「本らしい」かもしれない。

 あるいは「第三者によって編集されたもの」というのも、よく聞く定義のひとつだ。いくらフィニッシュされているとしても、つくり手の独りよがりであれば、他の誰かにとって価値のあるものではないかもしれない。編集者という第三者によって、不特定多数の人に必要とされるような形にまとめあげられ「本にされた」ものを「本らしい」と感じるのは、自然なことかもしれない。

 ケリーは「持続して展開される論点やナラティブ」であると定義した。ひとつの論点のもと展開するもの、一連の物語をつむぐものは、たしかに「本らしい」かもしれない。フィニッシュしていなくても、編集者の目が入っていなくても、「論点」あるいは「ナラティブ」として有意義なものであれば本であると考えてみると、紙だけに閉じ込められていた時代とは異なる、新しい本のあり方が見えてくるようにも思える。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P71-72より転載


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ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。新刊書店「本屋B&B」(東京・下北沢)と出版社「NUMABOOKS」を経営しつつ、「八戸ブックセンター」「神保町ブックセンター」「BIBLIOPHILIC」などの仕事をしています。散歩社取締役、バリューブックス社外取締役も。
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