これからの

電子書籍の普及とウェブサイトとの境目

第2章 本は定義できない (5) 

 一方の現代においては、いよいよ「電子書籍」や「電子雑誌」、「電子コミック」と呼ばれる本が、ふつうの人の日常に浸透し、定着しはじめているといえるだろう。

 二〇一八年現在、個人の実感として、特定の本を検索したときに電子版が出版されている確率は以前よりだいぶ高くなったし、電子でしか出版されていない本が話題にのぼることも増えてきた。もはや本は電子でしか読まないという人も少なからずいて、話題書の電子版が出ていないと「電子版はまだか」とSNSで催促する読者も、数年前は少数派だったが、いまはごく一般的な読者であり、無視できない声となってきている。背後にはもちろん、スマートフォンの普及がある。

 いまやタブレット、パッド、キンドルやスマートフォンがある。そのうちスマートフォンが最も意外なものだった。評論家はずっと、こんな数インチのチカチカするスクリーンで本を読みたい人など誰もいないと言っていたが、それは間違いだった。大間違いだったのだ。私も含めて多くの人が喜んでスマートフォンで読んでいる。

ケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの』(NHK出版、二〇一六)一二一頁

 米国『WIRED』誌の創刊編集長であるケリーは本書で、スマートフォンに留まらず、これからさらに世界がスクリーンに埋め尽くされていくであろう流れを「SCREENING」と呼び、一章を割いている。またそれと合わせて、本の未来像を「世界のすべての本が一つの流動的な構築物になり、言葉やアイデアを相互につなぐようになる」と予言している。このようなユニバーサルな図書館のコンセプトは、ケリー自身も指摘している通り、紀元前三〇〇年のアレクサンドリア図書館の時代から続いている。

 ぼくは前著『本の逆襲』で、そうしたコンセプトに向かう流れを「本がインターネットに溶けていく」と表現したが(二〇一三年刊のため、取り上げた事例こそ古くなっているが、基本的な考えは自分でも驚くほど変わっていない。本書よりもデジタルの話題の割合が多く、よりコンパクトな本なので、ご興味のある方は手に取ってみてほしい)、五年を経てもなお、いわゆる出版業界の側からは、小さな変化しか起こっていない。そのような状態に向かっているとは到底思えず、せいぜい、電子化される本の割合が増えたくらいだ。

 一方、インターネットの側は、そのような状況をもどかしく感じているかのように、いわゆる電子書籍と呼ばれるもの以外にも、たくさんの物語や知識や情報のバリエーションを、日々生んでいる。それはちょうど、紙・印刷・製本という技術を背景に、あらゆるバリエーションが生まれていった歴史に似ている。それらは、紙の本にとても似ているのだ。

 たとえば、無料で読むことができ、バナー広告や広告記事で成り立っているウェブメディアや、ひとつの企業がブランディングのために運営するオウンドメディアは、紙のフリーペーパーと似ている。メーカーのウェブサイトを見れば、商品のスペックなどを書いたページは紙の商品カタログと変わらないし、沿革や企業理念などを書いたページは紙の社史や会社案内と変わらない。違うのは、紙のように物理的な制限がなくいくらでも量を増やせること、印刷のように固定されることなくいつでも内容を書き換えられること、製本のように独立して閉じることなく縦横無尽にリンクが貼られ、双方向にコミュニケーションができることだ。

 つまり、電子書籍だけではなく、あらゆるウェブサイトもまた、本であるといえるかもしれない。少なくとも、本に似ている。無料で読めるものだけでなく、限られたコミュニティにしか開かれていないものも含めて、インターネット上のあらゆるものが、これまで紙の本が積み重ねてきた歴史と似たもの、あるいはその延長にあるものだ。いまや、これまでであれば紙で流通してきたような質の高い物語や知識や情報が、どんどんインターネット上に展開されるようになった。それらはインターネットの性質として、もともと「一つの流動的な構築物」であり「言葉やアイデアを相互につなぐ」ことを前提としている。

 言い方を変えれば、いわゆる電子書籍や電子雑誌において、インターネットの特性を生かした大きな変化がなかなか起こらないのは、それらが紙の書籍や雑誌に「似すぎて」しまっているからだとも言える。あくまで完成されパッケージされた本を、ひとつずつ有料で販売するという前提のもとにつくられている以上、いきなり「一つの流動的な構築物」にとはなりにくい。

 とはいえ出版業界側にも、変化の兆しはある。たとえば、急成長した電子雑誌プラットフォーム「dマガジン」をはじめとする、定額読み放題のサービスだ。そこでは、もともと紙のものとして編集された雑誌が電子化され、一冊という単位だけではなく、特集や記事といったより細分化された単位でも検索され、横並びに閲覧される。紙の雑誌を愛する側から言えば、「雑誌」の「雑」な部分の面白さ、あらゆる要素が同居している面白さが失われやすい構造が、いよいよ本格的に普及してしまった形ではあるが、一方で雑誌を読むという体験が少しだけ「一つの流動的な構築物」に近づいてきたとも言える。それらのサービスは、たとえ中身が同じ雑誌であっても、紙だけでしか発行されなかった時代とは違う、あたらしい体験を生み出している。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P67-71より転載


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ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター。新刊書店「本屋B&B」(東京・下北沢)と出版社「NUMABOOKS」を経営しつつ、「八戸ブックセンター」「神保町ブックセンター」「BIBLIOPHILIC」などの仕事をしています。散歩社取締役、バリューブックス社外取締役も。
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