店とは、話しかけられる側の人
第3章 本屋になるとはどういうことか (6)
とはいえ「本屋になりたい」と考える多くの人がイメージするのは、店舗があり、そこではたらく自分の姿だろう。もちろんオーナーとして店舗を経営したい人もいるだろうが、実際にはじめれば、まったく店頭に立たないというわけにもいかない。
インターネットが普及して以降、あらゆる業界で、リアル店舗をもつことの意味が変化したことは自明だ。多くの人が一日の大半を端末を見つめて過ごすような時代に、リアルの店舗に足を運んでもらうのは、簡単なことではない。
リアルの店舗にある要素は、大きく分けると三つしかない。一つ目が物理的な空間、二つ目が実際に手に取れる商品、そして三つ目が店員という生身の人間だ。VRの技術はおそらくその順番でリアリティを増していく。最後まで代替が難しいのは三つ目の生身の人間であり、小売のことばでいえばそれは接客だ。
たとえば一人暮らしをしている人が、休みの日にほとんど家にこもった結果、その日はコンビニの店員としか会話しなかった、というのはよく聞く話だ。現代の日本、とくに都心部に住んでいる大半の人は、たとえたくさんの人が歩いていて、よほど誰かと話したいと感じていたとしても、その中の誰かに突然話しかけたりはしない。
けれど街の中には唯一、店員という、いつでも話しかけてよい人、あるいは勝手に話しかけてくる人がいる。もちろん店員と話すのにも気後れする人はいるだろうが、少なくとも話しかけてよい状態に開かれている。実際に話しかけるかどうかとは関係なく、いつでも話しかけてよいという事実が、店に訪れる客を、街全体を安心させる。
なので「本屋」として店舗を構えるということは、そこではたらく自分が、知らない誰かにいつでも話しかけられる側の人間になる、ということでもある。実際は、本屋はどちらかというと、接客の少ない商売だ。客の側には、できるだけ接客されたくない、最低限の会話だけにしたいという人も多く、実際にはレジを打つときくらいしか会話は交わさないことが多い。けれどそのぶん、客は気軽に入ってくる。本屋ほど、自由に入って何も買わずに帰っても、得るものが多い業態はあまりないので、他よりも相対的に集客力がある。店員の側は、営業している以上、どんな客からも不意に話しかけられるということから逃れられない。
店が開いているというだけで、街にとってはひとつの価値だ。ましてや本屋という、お金を使わずとも世界を一周できてしまう店はなおさら、街にもたらす価値は大きい。
店を構えることについて考えると、つい内装や品揃えなどのサービス側や、そのためにかかるコストの側から考えがちだが、核となるのは、そこではたらく人間だ。自分が店に立つとき、自分は街の一部として、話しかけられる側の人になる。頻繁に訪れてくれる近所の人もいれば、遠くからわざわざ目がけて訪ねて来てくれる人もいる。開店しているその時間は、大小の差はあれ、不特定多数の他人に対して、気持ちを開いていなければならない。
どのような「本屋」としてそこに立つのか。気さくなのか、ぶっきらぼうなのか。本について自らが多くを語るのか、それとも品揃えで静かに語るのか。そのことも、考えるべきことのひとつだ。
※『これからの本屋読本』(NHK出版)P101-103より転載
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