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今こそ!名曲「この素晴らしき世界」"What a Wonderful World "のメッセージ (その2)"The colors of the rainbow so pretty in the sky are also on the faces of people going by."

「この素晴らしき世界」"What a Wonderful World "今こそ伝えたいルイ・アームストロングのメッセージ」(その1)の続きです。


1967年リリース当時の時代背景を抜きには語れない。

当時のアメリカでは、Martin Luther King牧師(1929-1968)による人種差別撤廃を求める公民権運動(Civil Rights Movement)と益々エカレートしつつあったVietnam戦争の是非が叫ばれていました。筆者が渡米した1968年4月にKing牧師が暗殺され、それを機に人種間の対立は激化し、もう一方ではVietnam戦争を巡り、世代間の対立(generation gap)が顕著になりつつありました。

この曲を作詞したBob Thiel(1922-1996)とGeorge David Weiss(1921-2010)は、同年輩のKing牧師が提唱する非暴力の公民権運動に共感していたものと思います。この曲の歌詞は、多くの点で、King牧師によるMarch on Washington 1963での“I Have a Dream”Speechと重なります。King牧師のメッセージは一貫して、肌の色いかんに関わらず、全ての人々は平等で、全ての文化は美しいという考え方を訴えています。木々や花々が美しいのはその色彩が豊かであり、虹が美しいのは複数の色が織りなすから。それは木々や草花や虹だけではなく人々も同じで、だから世界はwonderfulなのだと訴えているのでしょう。

Stanza 2の“the bright blessed day”と“the dark sacred night”という2つの名詞句に注視。

筆者は、拙著『言語コミュニケーションの諸相』(2000、創英社三省堂書店)の第9章「言語コミュニケーションの負の遺産:辞書編纂への指摘」と題し、Oxford English Dictionary(OED, 2nd Edition)で、“black”が古代英語から現代英語に至るまでどのように定義されてきたかその変遷を調べました。元は“the absence of colour, due to the absence of light absorbing all light”(光を吸収するために光の欠如による、色彩の欠如)という意味であったのが、歴代のキリスト教の言説を通し、聖なるものを「光」(brightness)とする見方の対極に、不浄なるものを「闇」(darkness)とする見方を固定して文化に根付かせていくのです。

例えば、17世紀において、King James Bible(KJB)、ShakespeareのOthello(*9)などの作品、筆者が卒業論文と修士論文で扱ったピューリタン文学の傑作John BunyanのThe Pilgrim’s Progressを読むと、そうした連想が既に定着し、常套化していたことが伺えます。これらの作品においては、主人公が惨禍に見舞われたり、悪い人物が登場したりするシーンになると、“black”という言葉とともに、“dark”, ”dirty”, “foul”, “malignant”, “wicked”, “ugly”, “lowly”などのnegative(pejorative)な語が多出します。その後もそんな慣習は継続され、5世紀経た現在では、“white”, “sacred”, “good”, “fair”, “beautiful”, “noble”, “bright”, “light”, “day”, “blessed”を一括りに、反対の“black”, “bad”, “ugly”, “lowly”, “dark”, “night”, “damned”を一括りにしてステレオ・タイプする慣習が根付いてしまったのだと思います。(*10)読者もOxford English DictionaryやWebster International Dictionaryなど、各語の歴史的背景を詳しく書いた権威ある辞書をチェックしてみてください。

アメリカでは1960年代に“Black is beautiful!”Movementが起こりましたが、それはそうした既存の意味論への戦いでもありました。King牧師もアフリカ系アメリカ人が自分の肌の色と文化に誇りを持ち、白人社会に対して、いかに“Black is beautiful!”であるかを理解してもらおうと考えていました。(*11)その運動は、すぐに他のマイノリティー・グループにも広がります。アジア人もアメリカ社会では差別の対象になってきました。OEDやWebsterで“yellow”をチェックすれば、西洋社会では長く“cowardly”という意味で使われきたことがわかります。(*12)

1920年代の東アジア系移民に対する黄禍論(The Yellow Peril略称Y&P)排斥運動、「風と去りぬ」にも”Yellow”連発

映画“Gone with the Wind”の主役Clark GableやJohn Wayneらが出演する映画でも“I ain’t (no) yellow.”とか“You’re yellow!”という台詞がよく出てきます。日本でも親しまれた「ティファニーで朝食を」(1961,Breakfast at Tiffany’s)に出てくるMicky Rooney演じるMr. Yunioshiはそのcaricatureです。(*13)ルネッサンス時代に遡るような話ですが、筆者が1970年代にアメリカで会ったアジア系アメリカ人はこの意味論と戦っていました。それに呼応するかの様に、1966年ヒット曲The Beatlesの“Yellow Submarine”や1973ヒット曲Tony Orlando and Dawn “Tie a Yellow Ribbon Round the Oak Tree”がリリースされ、“yellow”の意味論を「平和」に変える手助けになったと思います。

さて、そこでStanza 2です。これらの2つの句では、“day”に“blessed”が、そして、“night”に“sacred”という言葉が付され、古い意味論が残る1960年代には衝撃的なインパクトがあったと思います。(*14)上記の伝記にもあるように色々な人種的バックグランドの人たちと交流しながら差別を戦い抜いてきたSatchmoが歌うところに意味があります。彼は、政治的な運動にはあまり関わらず、白人社会からも尊敬を受けていたので、当時の過激なアフリカ系アメリカ人には不評でしたが、King牧師と同じスタンスを取り続けました。すなわち、Stanza 1からStanza 2に表現されるカラフルな世界、すなわち、様々な人種の調和を重んじて歌い続けたのです。(*15)

Stanza 3は、そうした自然界の様々な色と様々な肌色の人々を結びつけます。空に掛かる色の調和と美の象徴である虹“rainbow”が、それを見上げる人々の顔に映し出され、 “How do you do?”と挨拶し、握手を交わします。人種が肌の色を超えて初めて手を握り合う瞬間を象徴的に描いています。筆者は、ここで、“They’re really saying I love you.”の“really”に注目しました。日本語に訳せば「何と心底から」に近い意味で、「何と心底から“I love you”とさえ言っているではありませんか?」という意味に解釈しました。未だかってそんな言葉は交わされたことがなかったことを想定(presupposed/implied)しているかの様です。(*16)

1962年の名画“To Kill a Mocking Bird”「アラバマ物語」や1967年の名画“In the Heat of the Night”「夜の大走査線」

にも描かれているように、1960年代には、特にアメリカ南部の州で白人(正式にはCaucasians)とアフリカ系アメリカ人が席を共にしたり、握手をしたり、ましてや、“I love you.”などと言って挨拶するなど考えられませんでした。筆者自身1968年にこれらの映画のシーンとなった場所に住んだり旅したりしてその緊張感に満ちた雰囲気を目で見、肌で実感しました。(*17)そんな中、King牧師がこれらの地域で公民権運動を唱えながら行進したのです。

“March on Washington 1963”をはじめ亡くなるまで各地で続けたKing牧師のマーチを記録した写真には、人種、宗教、文化を超えて様々な人々が手を組んで行進している姿が映し出されています。 “I see people shaking hands.” “Saying How do you do?” “They’re really saying I love you.”の3つの文からそんな様子を感じ取りました。あるいは、行き交う人々がさしたる意味もなく挨拶をしているだけかもしれません。しかし、“They’re really saying I love you.”という文の“really”に、それだけでは説明できない重さを感じます。

Stanza 4は、大人の世界から乳飲み子に視点が移ります。乳飲み子が泣き、彼らが成長し、想像以上のことを学ぶという、単なる一般論的な感想とも取れますが、上記の流れで当時の時代背景に照らして解釈すると、そんな牧歌的な雰囲気はすっ飛びます。Vietnam戦争中なす術もなく戦火の中を泣き叫びながら逃げ惑う子供たちの悲劇を捉えた写真集“Images for Vietnam War Pictures Pulitzer”を見れば一目瞭然です。こんな中でも子供たちが育ち、こうした惨禍を繰り返す大人たちの想像を超えて、いやそれ以上のこと、即ち、いかに平和を保つかを学ぶだろう、といった意味が浮かびました。Stanza 4は、乳飲み子の鳴き声は、そうした色とりどりで美しい平和な世界への願いを込めた抗議の声なのです。

根底に二つの全く異なった世界の対比が隠されていると感じました。

「この素晴らしき世界」"What a Wonderful World "今こそ伝えたいルイ・アームストロングのメッセージ」(その3)に続きます。

(*9)Othello(The Tragedy of Othello, the Moor of Venice)の主人公Othelloはムーア人の将軍です。ムーア人は元々は北西アフリカに住んでいたアラブ系の人々を指しましたが、後にアラブ系の人々全体を指すようになりました。肌の色は西欧人と比べるとdarkです。ちなみに、キリスト教の聖書に描かれているアブラハムはメソポタミアUr地方出身で、その末裔であるイザヤなどの預言者、ダビデやソロモンなどの王、そして、イエス・キリスト自身、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、ペテロ、パウロなどの使徒はみなイスラエル12部族に属し、現在の中近東地域の住民であったことから肌の色は同じであったと思われます。
(*10)William Blakeの詩やCharles Dickens小説でも取り上げていますが、かつての英国社会では煙突掃除夫(chimney sweeper/sweep)が卑しめられていました。煤みにまみれて真っ黒になったことから厭われ、“black”と“lowly”を結びつけた一例でしょう。現在で使われている“blacklist”という混成語にも“black”を“foul”や“wicked”と結びつけて来た古い意味論の伝統が残っています。カタカナ表記で日本語にも入ってしまいました。
(*11)同時期にKing牧師とは対照的な運動を繰り広げたイスラム教のMalcom X師がいます。Spike Lee監督の名画“Malcom X”(1992)ではMalcom Xが何故イスラム教に改心したかを回想するシーンがあります。英語辞書で“black”を引き記された意味のひどさに愕然とするシーンです。詳細は、拙著『言語コミュニケーションの諸相』の12章にあります。同監督の“Do the Right Thing”(1989)とともに視聴を勧めます。
(*12)Webster’s Third New International Dictionary(1993版)で、“yellow”と“yellow peril”をチェックしてください。
(*13)“Breakfast at Mr. Yunioshi’s
(*14)古い伝統では“dark sacred night”という句は“night”と“dark”は“sacred”に相反し矛盾(contradiction)するのであり得ないでしょう。敢えてこの句を入れてそれが矛盾しないことを訴えているところにもこの曲の新鮮さがあります。
(*15)この曲は当初アメリカでは売れず、イギリスで売れ、ヒットチャートに乗るや、逆輸入の様な感じでアメリカでもヒットしました。
(*16)挨拶で交わされる言葉はphatic communionと称される常套句の一種で、字義通りの意味を伝えるものではありません。“I love you.”は微妙で、字義通りに使われる場合と社交辞令で使う場合があります。この歌詞の“really”には、外交辞令ではなく、まさに字義通り心底から“I love you.”と言っているというニュアンスを込められていると解釈しました。
(*17)1968年3月Louisianaに向かうバスの中で、筆者は黒人男性(Sydney Poitier)と白人女性の恋愛を描いた“Guess Who’s Coming to Dinner”(1967)を上映していた映画館の周りで上映反対のデモをする人々の姿を目撃しました。

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