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学生さんが卒業後に寄せてくれた声(その1-1)

はじめに

筆者はアメリカ留学時代に留学先の大学で日本語を教えながら学費、生活費を稼ぎました。California State University at Hayward (現East Bay)、Merritt College、Georgetown University 、American Universityで大学生に日本語を教えました。帰国後は慶應義塾大学経済学部 (専任)で英語、文学部(兼任)で言語学概論、社会言語学、ゼミを、また、聖心女子大学(非常勤)でIntroduction to Linguistics、そして慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスSFC環境情報学部、大学院政策メディア研究科(専任大学、大学院)で英語、言語と伝達、言語コミュニケーション論、言語コミュニケーション論ゼミ、そして、立命館大学びわこ草津キャンパスBKC生命科学部・薬学部(専任)で英語を教えました。

現役時代にSFCとBKCで授業評価があり大変参考になりました。今は引退の身、果たして自分の授業が学生さんたちの卒業後役に少しでも役立っているのだろうかとても気になります。というのは1990年新設SFC初代学部長故加藤寛先生が「学生は未来からの留学生」であり、真の授業評価は、学生さんたちが卒業後それぞれのworking placesで下す評価と仰っていたからです。

したがって時々連絡してきてくださる元学生の皆さんに私の授業がどのように役立ったか聞くことにしています。特に英語については職場で使えているか、具体的にどう使っているか、授業が少しでも役立ったか、手紙、メール、そして話の中から拾い出すことにしています。

最近、慶應経済学部時代の卒業生(1986年)でシカゴ市在住の武本粧紀子さん(実名公表の許可を得ています)から連絡をいただきテレビ会議をしました。彼女は卒業後確か外資系会社に就職し、その後渡米し、イリノイ大学にて"人事管理"Labor & Industrial Relations"(現School of Labor and Employment Relations )で修士号MAを取得しました。現在シカゴ市でRecruting Advising Firm Pasific Advisory Serviceを経営しています。もちろん英語は堪能です。彼女が筆者の授業を受講していたのはほぼ40年も前のこと、労働法関係のゼミに所属していたと覚えています。在籍時代と卒業直後の詳細を聞くと、A4で以下のようなことを書き補足してくれました。そのままお伝えします。


武本さんの手紙(メール添付資料)


1982年4月に慶応大学経済学部に入学しました。高校は別に名門進学校ではなく、普通の高校から一般受験をして、入学しました。

受験も終わり、大学生活を謳歌できる、と思っていた矢先、大学にも英語の授業があり、英語は選択制ではなく、クラスごとに先生もレベルも決められているのがわかりました。もちろん、第2外国語も同様でした。

鈴木先生は、1年生の時に2つか3つあった英語のクラスの一つの先生でした。やっと受験が終わったのに、最初の授業にTOEFLの問題集をもって現れ、「君たちはTOEFLを受けて、アメリカのビジネススクールに行け」と発破をかけられました。私がまだ英検ぐらいしか英語の試験を知らないころに、初めてTOEFLという試験の存在を知りました。

私は、小さい頃から祖父が明治時代に「行きは船底でボーイの手伝いをしながら米国に行き、帰りは一等先客で日本に戻った」という自慢の貧乏話(?)を聞かされていたので、いつかアメリカに行きたい、という漠然とした希望はありましたが、アメリカにビジネススクールという大学院がある、そこに入るには外国語はTOEFLというテストを受ける必要がある、ということを具体的に聞いたのはこの時が初めてだったと思います。

大学では特別に勉強した覚えもなく、女子学生とも思えないような普通の(?)成績でしたが、毎年、選択英語で鈴木先生のクラスを取っていました。(お恥ずかしながら、一度もAを取ったことはありませんが・・・・。)選択英語の授業も面白かったし、何よりも、そこに集まってくる学生は、学生結婚で子供がいる人、学部の専攻は経済学でありながら、大学院で日本文学の勉強をしたい人、などいわゆる変わった人が集まって来ていて、クラスに大変活気があったのを覚えています。

私が実際にアメリカ留学をしたのは、卒業後、一度就職をして、4年半働いてからではありましたが、その時もゼミの指導教授が英語で推薦状を書いてくださらなかったため(当時、アメリカの大学院へ願書を出す場合には推薦状が必要でした)、鈴木先生に推薦状を書いていただきました。


確か、武本さんのお爺さんは明治時代に渡米しでNew York Universityで勉強したと言っているのを覚えています。大変興味深い話で、拙稿「永井荷風『アメリカ物語』あれこれ」(その1)と(その2)で紹介している信濃丸で皿洗いのアルバイトをしていたとも聞きました。このことも含め、次回(その1-2)ではS.T.さんがアメリカでどういう仕事に従事してきたのか聞いてみたいと思っています。


サポートいただけるととても嬉しいです。幼稚園児から社会人まで英語が好きになるよう相談を受けています。いただいたサポートはその為に使わせていただきます。