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永井荷風『あめりか物語』感想(その5)...2話「牧場の道」の先に待つ悲劇の終着駅「州立癲狂院」と信濃丸で見た3等客室乗客

優雅な自転車ツアーで辿った「牧場の道」の先に見えたものは



「永井荷風『あめりか物語』感想(その4)...「牧場の道」その足跡を追う」では、19003年10月中旬過ぎにタコマに着き、陰鬱な晩秋と冬に閉ざされる直前の秋晴れ「最後の土曜日」に「或る友」とタコマの近郊を自転車ツアーに出立したします。東に広がる大陸からは横断鉄道が西に広がる太平洋からはアジア航路が合うタコマ市中心部の雑踏から湖の脇を通りツアー目的地である海に面する弧村スチルカムSteilacoomに着くと、友は

「帰り道にこの山の上の癲狂院(てんきょういん)を案内しよう。ワシントン州の州立癲狂院(Washington State Asylam、現Western State Hospital)だから、この辺では一寸有名だよ。」

と言います。後について丘を上ると、明るい牧場を望み、その前にやや陰気な林があり、その背後に広壮なそれらしきレンガ造りの建物が見えました。

「白いペンキ塗りの低い垣根で境された広い構内は人の歩む道だけ残して、一面に青々とした芝生が其の上に植えられた枝の細かい樹木や色々な草花と相対して目も覚めるばかり鮮やかな色彩をしている。裏手の方には宏大な硝子張りの温室の屋根が見え、小径の所々にはベンチ、広場の木陰には腰掛付きのブランコなぞも出来て居たが、見渡す限り森閑として人の気色も無い。」

Washington State Hospital1980’s(The History of Washington State Hospitalより)


Main Hospital Building(Washington State Hospitalより)


鉄の門前を過ぎ一条の砂道をばゆるゆると自転車を進ませ、もと来た牧場の方へと下りて行った。そこで友は驚きの事実を何事もないように「このアサイラムには日本人もニ三人収容されて居るよ。」と言い、「皆な出稼ぎ労働者さ。」と続けます。永井にとっては聞捨てならぬ大事件です。

明治36年(1903年)信濃丸の客室等級に反映された当時のカースト

永井荷風『あめりか物語』感想…1話「船房夜話」(その1)(その2)(その3)で描かれた永井ら3人の信濃丸乗客は、実は、ほんの一部で絶対多数は3等客室の出稼ぎ労働者の一群でした。永井らは3人は航海中に彼らの存在を目にしながらも一切接触が無かったであろうことは次の描写から想像できます。

「出稼ぎの労働者と云う一語は又しても私の心を動かさずには居ない。思い返すまでも無く、過ぎる年故郷を去って此の国へ向かう後悔中、散歩の上甲板から、彼ら労働者の一群を見て、私はいかなる感想に打たれたろう。」

と綴っています。状況は定かではありませんが、想像するに、永井らの個室の客室に接続する上甲板から下の甲板を覗き込み彼ら3等客室の乗客がくつろぐ様子を観察したのでしょう。

「彼等は人間としてより寧ろ荷物の如くに取り扱われ汚い船底に満載せられて居た。天気の良い折を見計らって彼らはむくむく甲板へ上がってきて茫々たる空と水とを眺める、と云って心弱い我らの如く別に感慨に打たれる様子もない。三人四人、五人六人と一緒になって、何やら高声に話し合ってる中、日本から持ってきた煙管で煙草をのみ、吸殻を甲板へ捨て、通り過ぎる船員に𠮟責せられるかと思うと、やがて月の世なぞには、各自の生国を知らせる地方の流行唄を歌いだす。私は彼等の中に声自慢らしい白髪の老人の交じって居たことを忘れない。」

これらシーンの文言を談話分析すると、永井ら個室船室乗客と船底に「満載された」これらの乗客は物理的に隔離され接点が無くお互い一切口を利いていなかったことが窺い知れます。信濃丸には一等、二等、三等船室があり、一等船室は皇族・貴族、政府・省庁、財界など一部上流社会の要人用で、永井ら一般人は二等客室の乗客であったと思われます。一等、二等、三等はそれぞれの見えない壁のようなもので閉ざされ、同等級の乗客同士は交流したものの、異等級の乗客との交流は稀であったものと推察します。

よって二等客室乗客の永井、柳田、岸本は頻繁に雑談しお互いの情報を共有していましたが、三等客室の乗客については積み荷同様の悲惨な扱いを受けているのを俯瞰するように垣間見ただけで接触はありません。彼らの生い立ち、ここにいたるまでの経緯、渡米も目的について聞く機会が無かったのでしょう。

信濃丸で見た3等客室乗客と癲狂院に収容された日本人がつながる

従って下船しタコマに来て「牧場の道」ツアーを楽しむ中、友の口から初めて聞き衝撃を受けたものと思われます。

「彼等は外国で三年の辛苦をすれば国に帰ってから一生楽に暮らせるものと思い込んで、先祖が産まれてそして土になった畑を去り、伊太利の空よりもさらに美しい東の空に別れ、移民法だの健康診断だのと、いろいろな名目の下に行われる幾多の屈辱を甘受して、此の新大陸へ渡ってきたのである。然しこの世は世界の何処へ行こうとも皆な同じ苦役の場所である。彼等の中幾人がその望みを達しうるのであろうと、いろいろ悲しい空想の湧起こるにつれて、私の目の前には今まで平和と静安の限りを示して居た行手の牧場は、たちまち変じて云わん方なき寂寥を感ぜせしめ、松の木は暗澹として深く、恐怖と秘密の隠れ家である様に思われた。」

永井は友と木陰に自転車を寄せて休息します。一方では当時一台20ドルから30ドル(40円から60円=柳田君の月給に匹敵)もする自転車に乗って優雅にツアー、他方では、牧場の先にある精神病院に収容されている日本人の対比が伝わってきます。信濃丸の船上で優雅に上甲板で散歩しなが彼等三等客室乗客を見下ろしていた時とほぼ似た構図です。一方では優雅な個室船房でボーイにウイスキーを持ってこさせる永井ら、他方では荷物同然に船底に満載され三々五々甲板に集まり煙草を吸い船員に叱責される彼ら、という二重構造。

友の話から、数週間前に垣間見た三等船室乗客と同様の境遇の出稼ぎ労働者の何人かがこの精神病院に送られたことを知り衝撃を受けます。捨て置きなりません。

「君は知っているかね。どうして狂気になったのだろう。」

と質問し、いわば、上甲板から俯瞰するだけではなく下甲板で何が起きているのかその核心に迫ろうとします。

この質問の骨子は『あめりか物語』に収録された全話に状況を変え繰り返されます。恐らくほぼ同年配で自然主義作家として活躍し始めたTheodore Dreiserが、渡米2年前1900年に出したSister Carrie (1900 )を読んでいたのでしょう。

その6)に続きます。





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