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《第一巻》侍従と女官 1 ふじはらの物語り   原本

夕暮れ、新任の侍従が、奥御殿のお廊下をしずしずと進む。

御簾の中の内廊を、前の方から、訪れる者があった。

淡い薫香の内に、清々しい余韻を漂わせている。

侍従は、立ち止まると、その(侍従の)影も、御簾の奥で、立ち止まった。

「もし、不躾(ぶしつけ)ではございますが、一つお訊ねしても、宜しゅうございますか。」

薫香の主は、行き過ぎもせず、その場に止(とど)まった。

微かに、侍従の目に映る、その人の装いは、華やかな橙(だいだい)の色合いにも、どこか落ち着いた感じを放ち、何か淋しげでもあった。

その者は、胸元から扇を取り出して、口に翳(かざ)しながら、声を発した。

「さて、何でございましょう。」

「私めは、この度侍従のお役目を仰せつかりました者で、藤原家春と申します。もし、お差し支えなければ、その、御曹司(みぞうし)をお教え願えませんでしょうか。」

「お役向きのでございますか。」

「ええ。」

「これは、どうして。」

「不束(ふつつか)者ゆえ、何かと恥多く…。」

一瞬、間(ま)を置いて、

「そのままお進みいただき、お廊下沿いに右にお曲がりください。そして、少し参りますと、御(み)階段がございます。それをお下りいただき、そのまま、次の御殿にお上がりください。その際、その場に控えおります衛士(えじ)に、一言お声掛けくださり、志を少しばかり…、さすれば、何事もなく御曹司に通されましょう。」

分かってはいたが、少しやる瀬ない気持ちで、家春はその親切な返答を耳にした。

「最初だけでございます。後からは、何も御階段をお下りいただかずとも、御橋をそのままお渡りくださいまし。」

「本当に、ご親切にお答えいただき感謝しております。」

「時に、御名(おんな)をそう軽々しく明かしてはなりませぬ。まして、見ず知らずの女官になど恐ろしいことでございます。」

「では、どのように致せば宜しかったのでしょう。態々(わざわざ)、ご質問にお答えいただくというのに、我が名を明かしもせず。」

「ええ、それは、あなた様のお屋敷で今一番盛りのお花の名を、お役向きに交えて、『どこどこの辺りより、罷(まか)り越してございます云々』とすれば、よいのでございます。」

侍従は、間(ま)を空けて言った。

「そのようなことでは、この先がとても思いやられます。」

「ご心配致されますな。

あなた様は、すでにご立派に奥の中に歩を進めていらっしゃいます。

何事も時宜に合わせて、お取り計らいなさればよいのでございます。

さて、橘のお方。」

「えっ。」

「そのお佇(たたず)まいからそこはかとなく…。

私めの取るに足らない自負心を恥じ入らせて、“どうされよう”というのでありましょう。

この宮居(みやい)に暮らす者で、『あなた様のことを知らぬ』という者は、今ございません。

お屋敷の塀越しに、白い可憐な花々が、道に溢(あふ)れんばかりであるらしゅうございますね。」

「さっそく、後(のち)ほどお届けに参じましょう…。」

「いえ、その必要はございません。

あなた様は、とても運がお宜しゅうございます。

時に、そうそう(それはそうと、かくも)、御殿の内にて、長々一人ごちておられるのはよいことではございませぬ。

早々と、お役御免になりかねませぬ。」

「これは、これは、親愛なるお心遣い痛み入ります。」

すると、侍従は向きを変え、歩き出そうとしたが、一瞬動きが止まり、また、歩を進め始めて、例の角を右に折れ、その姿は見えなくなった。

その時、すでにあの薫香の余韻はこの殿舎から消えていた。



女は思った。

“何ということであろう。

初めての実際の出仕が、宿直(とのい)からであるなどとは。

これから先、『あの者の身の上によからぬことが降り来たりもせず』などとは言えまい。”

けれども、彼女は、あの時西日の中に浮かぶ(かんでいた)殿御(とのご)の身なり、そして、風采を思い巡らしては、胸を撫で下ろそうと心に決めたのであった。



藤原侍従は、先の“親切な”お方の言うようにしたところ、何事もなく、お上(かみ)の居られる殿舎に隣接した建物にある御曹司にたどり着けた。

そこには、一人の老人がすでに居て、彼を待ち構えていたというところである。

髪は完全に白髪(はくはつ)で、冠の下、よく結い上げられてあることが分かった。

顔は、しわくちゃ。

細みの体を衣服でごまかしているといったところであるが、その端正な身のこなしは十分に威儀を放って余りあった。

藤原侍従は、それが同族ただ一人の先輩であるとすぐに悟った。

そして、恭しく(新任の)挨拶と以後のお引き立てを宜しく請うの辞を、先例通り、そして、心を込めて執り行った。

その老人は、開口一番こう言った。

「私は、大変嬉しうございます。

“ものをよくお分かり”のお方と同輩になれますことを。

まして、それが、同族のお方であれば、尚一層喜びも一入(ひとしお)というものでございます。

このお役目は、偏(ひとえ)にお上の御心に添うことをのみに専心すればよいのでございますれば、何も肩肘張って行うようなものでもありませぬ。

ただ、何事も、あったことはなかったことに、なかったことをあったやに、平然と出来てこそ、お務めを果たせたと言えるのでございますれば…。

そもじがすでにここに居るということは、私の目に適(かな)っておる故のことであると、つゆ忘れまじ。」

侍従は、応える。

「重々、承知しております。」

老人は後が短く、少々口を滑らせた気配がなきにしもあらず。

以後、お互いの四代前と五代前が腹違いの兄弟であったとか、老人の父と若造の祖父が今は衰微した家門の明経道の大家に入門して、机を並べていたとかの話しを、尽きもせず続けていたのであった。

しばし時が流れて、曹司の壁の外をこつこつと何かがたたいた。

まもなく、二人の男がその場に入って来た。

二人は、藤原侍従をちらっと見て、すぐに老人の目を見た。

その一瞬の出来事の内にも、藤原侍従は一人の視線に、何やら妖気を感じたものであった。



「これは、これは、お務めご苦労様でございました。」

老人は、二人を労(ねぎら)った。

「いえいえ、お上のお側を離れるのは、いつもいつも後ろ髪引かれ、断腸の思いでございますものを…。」

例の妖気を帯びた“同僚”と思われる男が、そつなく応えたのであった。

片や、もう一人の方は、仕事終わりだというのに、屈託なく笑顔で二人の会話を聞いていた。

丸っこく、肥えた顔に、肥えた体つき、背は高くない。

やけに肌つやや色味がよい。

そして、その者が口を開いた。

「こちら様でございますか。新任のお方といわれますのは。」

「いかにも。」

すると、妖気を帯びた男が口を挟んで来た。

「これはまた、大変な美丈夫におわします。朝議が一層威儀のあるものになるやもしれませぬ。それはよいとして、女房どもは、浅はかな胸のときめきを容易(たやす)くは押さえ切れないのではありますまいか。今から、何やら私めは、…。」

老人は、軽く咳払いをした。

中肉中背の男が口を利いて来た。

「私めは、また嬉しうございます。こうして、藤原北家の有望なお方と、同輩としてお知り合いになれますことを。」

老人はこれを引き取って、二人を家春に紹介し始めた。

背が高く、偉丈夫の方は平氏で、もう一人は賀茂氏であるとのことであった。

八人いる侍従の中でも、この四人は、多くの機会一緒するであろうとも、彼は告げられた。

そして、もう四人は、源氏が二人、清原氏が一人、最後に、慶滋氏が一人とのことで、叙任の際、式を取り仕切ったのは源氏の者と慶滋氏とで、前者がこの仲間内(うち)での長(おさ)ということであった。

最後に、職務に関する委細はなるべくここにいる三人に聞くようにすることも、彼は老人に告げられた。

そして、年の頃が近く、老人の次にこのお務めを長くこなして来た平侍従に、“この新参者の指導を宜しく行え”との訓示が、彼の口から発せられた。

しばらくの間、今の政治状況に関する、お互いの立場に拠る、極力遠回しな意見交換と後宮でのこないだの“潰し合い”の顛末(てんまつ)についてのなかば遊び半分の話し合いが続き、折りに触れ、新任者の感想が求められたのであった。

そして、お上の方から“新任者を呼ぶよう”とのお達しがあって、長上である老人に先導されて、家春は清涼殿に上がって行ったのである。

その際、家春はつゆ知るまいが、御曹司を出で切るその後ろ姿の、特に背(せな)を、異常な執心ぶりで睨(ね)めていた男が、この房に一人居たものである。



お上への拝謁を滞りなく終え、また、型通りのお務めを表面的にもし終えて、今宵のところは、早々に、老人と家春二人は清涼殿を退出する運びとなった。

そして、その殿舎における侍従の控えの間において、方々(かたがた)に対する慇懃なる挨拶の口上を、家春は、老人の巧妙な合いの手を受けつつ、無事終えて、まさにその殿舎と元居た建物との間の渡殿に向かって、歩みを始めようとしたところ、彼方から紙燭(しそく)の一群がこちらに近付いて来るのを、彼は目の当たりにした。

段々と、黄色い光が大きくなるにつれて、その明かりの群れの真ん中に、得も言われず優美な淡い桃色かと思われる唐衣(からぎぬ)を召した女主人と、その取り巻き達が、ぼんやりと彼の目に映じ始めた。

すると、老人は決して慌てることなく、家春を少し顧みて、鷹揚に端座し出し、平伏の姿勢を取って、彼女達の行き過ぎるのを待とうというかの如くであった。

勿論、家春も、それに倣(なら)った。

暫くすると、衣擦れの音が近付いて来た。

まさに、あの一群が目の前を通り過ぎようとする時、似通った薫香の中でも、一番自分に心地よいと感じられる調合が一つあったのであった。

彼は、この感興を心底(しんそこ)怖れるとともに、“これを大事にしよう”とも思ったのである。



二人はやおら立ち上がると、今の一行については何も触れずに、先ほどのお上の身の回りにおける家春の立ち居振舞いの祝着ぶりにつき、老人が切り出すといった仕儀で、語り合い始めつつ、先の御曹司へと帰って行くのであった。

「重畳、重畳。源氏の奴等(やつら)、少しも笑みを浮かべるどころではなかった。」

家春は、こう応じた。

「これも皆、あなた様のよきお諭しの賜物にござります。」

老人は、一瞬虚をつかれた感じであったが、“まあ、何と愛(う)い奴”、という喜びの微笑みをしわくちゃな顔に浮かべながら、お廊下を先に進んだ。

家春は、思った。

“さては、あの無記名の手紙はこの老人の手になるのではないのか。”

「時に、そもじ、いずこのお家の日記を頼りに…。」

家春は、すかさず答えた。

「染殿右大将家の亡き大殿様のものと、閑院左大臣家に伝わる、御兄、隆時卿の遺(のこ)し文でござります。」

「ほう、よき目のつけどころである。」

「恐れ入ります。」

「初めは、単なる儀式じゃ。儀式は、よい故実に則れば、則るほどよい。その点、源氏の者どもはいまだ我らに歯が立つまい。後は、我らがなんとかする。」

「何卒、よしなに願い奉ります。」

このような会話の果てに、二人は御曹司にたどり着いた。

家春は、老人の前に出て、紙燭を床に置き、戸をゆっくりと開けた。



藤原小侍従は、大侍従が扈従(こしょう)に見守られながら、帰途につく後ろ姿をずうっと見送り続けていた。

そして、一匹の蛍のような明かりが見えなくなった頃、再び部屋に戻った。

不思議である。

すでに、そこには、彼を措いて誰も居ないのに、最前より生暖かい気配がいまだに取り除かれないようである。

しばし、彼はもの思い に耽った。

“俺は、このお務め、最後まで全う出来るであろうか。”

彼は、自分にこう言い聞かせた。

“もう後戻りは出来ない。ここまで来たら、なるようになるしかない。せいぜい、ご同輩によく奉仕しながら、自らの足で地を踏み固めるしかない。”

彼の今後の日程は、清涼殿内における侍従の控えの間でのやり取りにおいて、明後日の昼よりとなった。

無論、これは、前々より沙汰済みではあった。

そして、こういった事は、家来衆の間の話し合いにおいて、往々にしてすでにまとまっているものなのであった。



家春は、邸を出てから、車の中でずうっと身動(じろ)ぎもせず、あの手紙のことを考え続けていた。

そこには、簡単に、“お役に立てれば宜しい” 旨がつづられており、侍従の初めての務めに関する委細が事細かに書かれてもあった。

勿論、彼はそれを信用しなかった。

よって、彼は、定石通り、藤原一門、それも同じ党派の名だたる名家に遺る典籍類を当たったのである。

彼の要望は、各所で快く叶えられた。

そして、方々で、“いつなんなりと力添えを惜しまない”旨が、彼に告げられた。

中には、彼がすでに妻帯していることを聞き及んで、口惜しさをもろに顔に出す女房などがありもした。

そして、彼は、実際に“日記”や“遺し文(ぶみ)”を目にして、愕然とした。

彼が当たった二つの典籍に記載されている故実は、大枠では同系統であった。

ただ、どちらもほぼ完璧で、“これを足して二で割ることなど出来もすまい。”

彼は、“しくじった”と思った。

が、それと同時に、あの差出人不明の親切な手紙に載っている次第が、その難問を見事に解決した上で、何とも優美な余情をみだりになることなく上乗せしていることに、彼は気が付いた。

彼は、この送り主を本気で思案し始めた。


“まず、これが、大体善意によるものだとして、なぜ自分の素性を明かすことなく、私に送り付けられて来たのであろう。

これを私に届けたことが明るみになっては、立場がなくなる者の仕業(しわざ)であろうか。

すると、敵方の…。

いや、しかし、それでは、どうして藤原一門の歴史の精華を…。

それが、事実であるとして、何らかの牽制であるのであろうか。

そうだとしたら、善意もへったくれもない。”

家春は、次に、同族で長上に当たる藤原現侍従を想起した。

実のところ、このお方には未だに新任の挨拶が出来ていない。

幾度となく、家来を遣わせて、お邸でのご挨拶を願い出ているのであったが、その度に、病気やら、急の外出などで、その約束を取れずじまいで今に至っている。

このお方の扱いにくさは、同じ党派の中でも夙(つと)に有名であって、“その実際が、これなのであろう”と、家春は、慨嘆混じりに合点した。

そうした中でも、彼は、つけ届けだけでも相手方に受け入れられないものかと、自身の訪問より前に、それを家来に持たせて、例のごとく、長上のお邸に遣したところ、やはり、面会の段取りは整わなかったが、モノの方は、家令(かれい)によってすんなりと嘉納されたと、家来により後で報告があった。

その際、前もって、主人の言いつけ通り、ほかの侍従方にも同様のことをするべきか、その家令にお訊ねしたところ、“言下に否まれ、また、自ら(家春)による方々(かたがた)への訪問も、その必要はないとの回答であった”とのこと。

よくよく話しを聞くところによると、“それが、迷惑に当たるお方々もおあり”とのこと。

その意味は、後になってよくわかった。

彼らの中のにも、十分に日々の賄(まかな)いがよくしきれぬ者がいるのであった。

さて、家春は、いまだ当人との差し向かっての面会が叶わないものの、記憶をたどって、そのお方の人となりを、幾度となく、脳裏に惹起させてみたものであった。

この老人は、何度か、彼の目に実際に映ったことがあった。

正月、宮中における白馬(あおうま)の節会(せちえ)や、閑院左大臣家における、数度のいずれも華奢(かしゃ)を尽くした宴の中などであった。

元日の朝賀や節会においても、彼はその場に居合わせていたはずであるが、家春は、そのような折り、自身の身の処し方で頭が一杯であったのである。

家春から見て、あの老人は、決して陰気な部類に入る者ではなかった。

年の割りに派手好みで、その地位にしては、同じ党派の大身(たいしん)方から下にも置かぬ扱われようであることは、彼らが、宴の最中に快活に話し合っていたり、時に、大きく笑い合っている様からうかがわれた。

また、彼は、左大臣本人からも信任が厚いようである。

宴の最中、その主催(主宰)者である左大臣の席に一人で罷(まか)り出でて、挨拶もそこそこに、何やら、お互い目を合わせながら、こそこそと会話をしている。果ては、この老人、大臣の横に膝行(しっこう)しては、手にした扇を開いて翻然と裏返すや、それを大臣の耳元に寄せて、自らの口ぶりが周囲に気づかれないようにしながら、何事かを氏の長者の耳に具申しているようなのであった。

その様を見れば、誰であろうと、かの者に一目置かざるを得まいであろうに。

ただ、家春には、その老人について一つ不思議に思われた。

大体において、あの年齢でなお宮仕えをしているのがおかしいのである。

とっくに隠居の身であって、当然である。

現に、彼の一人息子は太政官に職を得ているのである。

孫も何人かいるらしいのである。

男の孫などは、元服を済ませたか、もう直ではあるまいか。

さて、車の中で、一人、家春はかの老人の日頃の印象を反芻(し)、かつ、侍従職就任までに直接面識を得られなかったこと、いや、忌避されたこと、そして、宮中での老獪にして難解な、自分を含めた周囲への応接、また、自分が彼に今のところ良い評価を恙(つつが)なく得ているらしいことなどを考え合わせて、“かの老人一流の試練を自分はくぐらねばならなかったものの、あのお方が、実は、陰に自分を手助けくださっているのでは”とも、『仮に』考えてみた。

つまり、“あの手紙は老人の許から来た”。

“そうだ、として、あの渡殿をそのまま行くのか、下りて、衛士にまずは歓心を買うのか、という非常な機微について、何もお諭しがなかったのは何たることであるのか。

これも一つの試練であるのか。

それにしては、あれは穴であった。”

実のところ、あの辺りの図は、家来達によく“当たらせて”、自分でもそれを頭にたたき込んでいたし、志云々も、不承不承ではあったが、その価値を自分でも納得していたところであった。

ただ、自ら進んで階段を下りる意味までは思い及んでいなかった。

“ともあれ、運よく、私は命拾いしたのであった。

あの時。”

そして、やはり、初めての御前におけるお務めの後での、かの老人の自分のお礼の口上に対するあの虚をつかれた感じを、家春は否定出来ず、“あの手紙は老人からでもなさそうである”と思った。

“されば、ほかに伏兵でもおるのか。

自分に気脈を通じたい(影)陰の者でもあるのか。”

家春の頭は堂々巡りをし続けていた。

そうこうする内に、彼の乗る車は大内裏の門に至った(をくぐり抜けた)。



家春は、内裏に入って、御殿に至る(行き着く)までの間、歩を進めながら、“あの女官は一体何者なのであろうか”と心に思った。

同じことを考える内に、彼の心にちょっとした可笑しみが湧いて来た。

初めの内は、“あれこそ、女官というものなのか”、と感心もし、これより先の面倒を思って、彼の心には鬱屈が居座っていた。

が、しだいに、どういう訳であるのか、素直に彼女の言うことを真に受けて、それを実行したところ、大過なく今に至り得ていることを考え、彼女について好印象を否定出来ないでいると、じっくり身構えることなく、家春は、あの当時の彼女の言動、そして、様子を、脳裏に幾度となく思い浮かべていくのであった。

“臈長(ろうた)けているといえば、臈長けている”、そういった印象である。

その割りには、全体が、何やらチグハグな感じを否めない。

“御簾越しの衣裳の華やかさからして、勿論、下臈などではなく、中臈などでもなさそうである。

それより上のことは、表衣(うわぎ)の色など、まだよく分からない細かさがあるゆえ、断定は出来ないが、まず主人格ではない。

一人で出て来ているし。”

ただ、口上の奥ゆかしさに移る前のぱっと見た彼女の感じは、今思えば、童形(どうぎょう)であり、手にした扇を口元に持っていくところなど何だか覚束ないようである。

そんなことは、あの当時、彼は思い至るべくもなかった訳である。

一方で、口を切り出した後のあの悠揚迫らぬ態度とその口ぶりは、今でも、彼は、“舌を巻くところあり”と感ずるのであった。

が、である。

それも、“段々可笑しなことになっていった。”

今なら、彼もわかる。

“何やら、取って付けたような言い回しを繰り出していた。”

そして、「橘のお方…」などと出し抜けに言い出したことを思い及んで、彼の顔は歪(ゆが)み始めた。

危うく、彼は、声を上げて、吹き出しそうになった。

“こんなことでは、つまり、後宮に近い場所で、一人、男が微笑みながら、吹いていては、本当に早速、お役御免になりかねない。”

家春は、あの時の最後のやり取りを思っては、全くもって笑いを堪(こら)えるのに四苦八苦もいいところであった。

“それにしても、『あれ』はどういうことなのであろう。

これも何かの仕掛けなのか。

どこぞの童女が、綺麗なべべを着させられて。

けれども、その果ては、自分に有利に働いた。

さては、あの子、何かへまを犯したのか。

主人にそれを責められているとしたら、どうも、気の毒な気がしてならない”

こんなことを考えている内に、家春は、宮廷の奥について、勿論、疑心暗鬼を抱えたままではあるものの、妙に暖かな誘惑というか、興味を覚え始めていたのであった。

まだ、ろくに職に馴染むどころではあり得ないのに。

そして、彼は思った。

“こんなに滑稽な思いをしたのは何年ぶりであろう。

いや…。

しかし、まあ、あの子にどこぞでまた擦れ違う時があるやもしれないのは、楽しみではある。”

“さあ、その時、あの者はどんな衣裳を着て、どんな素姓を明かすであろうか”を家春は思って、また、微笑んだ。

しかし、彼は、その時に、必ずしもあの者を見分くる要領を自分が得てはいまい、という問いに気がつかないでいたのではある。

家春は、例のお廊下を、澄ました顔で通り過ぎた。

そして、先だって、下に降りた御階段より先に進んで、渡殿を越えた。

その様子を、衛士達がちらっと見た。そして、家春に向かって、それぞれが軽く首(こうべ)を垂れた。

家春は、そのまま、彼ら達(侍従)の御曹司に入った。

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