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小説 ふじはらの物語り Ⅱ 《陸奥》 59 原本

権守(ごんのかみ)は、次に私事において頭を悩ませるのであった。

私事と言っても、彼の家族についてはさして問題はなかった。

みんなで京(みやこ)に引き上げる、それに尽きたのである。

問題と言えば、一にも二にも、広懐の息女をどうするかであった。

実のところ、彼女達親子の行く末について文室将軍と承知し合ったことに関し、はかばかしい進展を彼は現実のものとせずに、今に至ったのである。

なぜか。

いつの頃からか、彼は、“広懐の息女を京に同道すべきである”と、心に思い始めていたからであった。

そして、“『向こう』では、どういう形にしろ自らの息女と変わらぬ体面を彼女に施してやろう”と思ったのであった。

そこで彼女自身がその選択肢を取るとしても、さて、彼女の母はこの件につきどう出るか、そこのところが非常に悩ましかったのである。

権守自身は、母も同行するとなったなら、それは諸手(もろて)を挙げての歓迎と心得ていた。

彼女自身のことも家として終生面倒を見るとの心構えにおいて。

けれども、この彼の思いが二人ともに心に傷を負わせるとなったなら、彼はそののち悔やんでも悔やみ切れまいことを非常に怖(おそ)れるのであった。



刀自の娘、萌野(もえの)はその頃、国府の官人や権守の邸の家人、また、役宅に住んでいる官人の家族達が自分に対して羨望のような感情を持っていることに、子供ながらにも気が付き始めていたのである。

それは時に嫉視交じりであった。

そして、外では大概蔑視と表裏一体であった。

とにかく、彼女は自分について人が仰ぎ見るようである時、必ずや“藤原”という言葉が出で来るのを知ったのである。

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