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小説 ふじはらの物語り Ⅰ 《侍従と女官》 40 原本

今日のお午(ひる)過ぎのお上の遊び相手は、尚侍(ないしのかみ)とそのお付きをも兼ねる二人の内侍であった。

二人の内侍は、宮中の当世の流儀に沿って、お上からめでたき通り名を頂戴した。

内蔵(くら)の命婦(みょうぶ)は、“今では”「朝日」。

少納言の君は、“今では”「うてな」。

けれども、実のところ、同輩同士、上下関係、つまり、役務上、そして、日常においてはそれらはあまり使用されない。

というのも、ご命名遊ばした当のお上が、思い出されたようにしかそれらをお使いにならないからである。

なのに、どうして下々が僭越にもそれらを口に出されようというものである。


そのような事情の背景の一つとして、お上がすでに通り名を量産されてしまっていることが挙げられる。


尚侍は、「御忌衣(おみごろも)」。

藤原大侍従は、「唐松」。

平侍従は、「枸橘(からたち)」。

新しいところでは、藤原小侍従家春に「杜若(かきつばた)」などを賜っておられる。


自然ならば良い。

けれども、宮中は一つの縦社会であり、かような言葉の繁茂は運営上しっくり来ないのである。

お上も、半ば、このようなことは“洒落っ気に依って”おられるのだということをよくよく存じてはいらっしゃる。

なので、平生官人や女官などが改まってお互いを官職、もしくは、家名を基にして呼び慣わし合う最中(さなか)、ふとそのような言葉が顔を覗かせるぐらいをお楽しみになっていらっしゃるのである。


そもそもあれらの言葉はほとんど判じ物に近い。

もし、これが悪趣味に堕ちれば、本来人が陰でしか言ってはならない渾名(あだな)になり得るのである。


ある者はこう言うであろう。

「本当にお上はさようなことがお好きでいらっしゃる。」

別のある者は特に何も言われぬであろう…。

かくなる御(おん)しきたりは、皆大して御前に上がるようになって日の経たぬ頃合いに、お上はなさってしまわれるのである。


そして、三公、及び、月卿雲客(げっけいうんかく)など表の臣下に対して、通り名の下賜があったなど絶えて人の知るところではない。


かくなる現実において、では、あの内侍達は宮中でどのように呼ばわるかと言えば、こうである。

内蔵の命婦、改め、紀(きの)内侍、もしくは、中務(なかつかさ)。

彼女は紀氏の出であって、夫が中務省に配属されていたのである。

少納言の君、改め、藤(とうの)内侍、小式部(こしきぶの)内侍、または、藤(とう)式部。

彼女の亡き父は式部省の役人であった。ただ、内侍達の長も同様であって、長幼の序に従い、「小式部」となったのである。

何とも、こういったことは繊細の精神を必要とするものなのである。

時に、少納言の君がその姓を公にするようになって、人によっては“あの人も大織冠の後裔にちがいないのだ”と、引け目を感じざるを得ない者もありもする。

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