ドキュメンタリー映画「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき」鑑賞記
3ヶ月ぶりのnote。
お久しぶりです。Twitterで生存しています。
フォロワーの皆様は「植月のぞみはnote執筆はやめたのでは?」と思われてるだろうなぁ……。
noteはやめてませんよー。
不定期ですが、書いていきます(次回未定)。
さて、わたしのTwitterをチェックしている人は、「ぼくゼロ」という言葉を見ない日はないぐらい、「ぼくゼロ」を推している。
「『ぼくゼロ』って何?」
説明しよう。
「ぼくゼロ」とは、ドキュメンタリー映画である。
正式なタイトルは、
「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき」
この映画は、NHKでの勤務経験のある映像ディレクター・今作の監督・常井美幸さんが、NHK職員時代に取材で出会った小林空雅(たかまさ)さんの9年間(中学生から成人するまで)を追ったドキュメンタリー映画。
空雅さんは、女性として生まれたが、性別違和を抱え、男性として生きたいという希望があった。
空雅さんは、性別違和を解決するために、様々な手術を受けることになる。
この映画は、空雅さんが性のアイデンティティを手にするまでのドキュメンタリーである。
「植月のぞみ」というペンネームを作るまでに、性のアイデンティティを考えたわたしにとって、この映画は「絶対に見たい!」と思った映画だった。
見逃すわけにはいかなかった。
ちなみに、この映画には、スタッフKさんがMCを務める「『ぼくゼロ』公式ツイキャス」がある。ほぼ毎日「スタッフが22時30分と思った時間(基本22時30分だが、1時間早く放送開始もあれば、日付変わる直前に放送開始有り)」から放送されている。スタッフKさんのゆるゆる映画裏話トークが面白く、ツイキャスで親しんだのも、映画鑑賞を見る動機の一つとなった。
前置きが長くなった。映画鑑賞の話を。
10月18日(日)、大阪市の十三(じゅうそう)にある映画館「シアターセブン」へ行った。
ようやく憧れの人に会うかのような気分だった。鑑賞前から盛り上がった映画は久々な気がする。
さて、映画の感想。
映画は、10月23日現在上映中なので、ネタバレにならない程度で感想を述べることにする。
映画を見終わって思ったのが……、
「大どんでん返しが来たなぁ……」
その意味は、ぜひ映画館で目撃してほしいのだが、私は空雅さんの「たくましさ」に好感を持てた。
「自分が思う性で生きていく」という空雅さんの「たくましさ」が、映画の最初から最後まで貫かれている、と感じた。
このドキュメンタリーには、70代に性別適合手術を受けたという93歳の八代みゆきさんや、「女性」「男性」の枠を超えて生きている中島潤さんが登場する。
このお二人も、自分の性に疑問を持ち、自ら性を選択して生きている。
空雅さんも、八代さんも、中島さんも(その他、LGBT関係で有名な方も、何人か登場している)、「女性」「男性」という性の「常識」という荒波に向かって立ち向かって生きている「たくまし」く生きている。
この生き方は「たくましい」だけでは括れない、「かっこいい」というものを、強く、強く、感じる。
常井監督は、よくぞ9年も空雅さんの姿を追ったものだと思う。
上映後のトークショーで、常井監督自身も空雅さんとの9年を通じて、性のあり方について認識が深まった、とおっしゃっていた。
情報が交錯する時代にこそ、「映画」という一つの芸術作品と向き合って、人の生きざまを見つめ、視野を広げることが大切だと思う。
「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき(ぼくゼロ)」は、性の新しい「常識」を提供してくれる。
性のアイデンティティと向き合いながら、この空の下で生きる一人の青年が、ここにいる。
この記事を読んだあなたは、ぜひ映画館で「小林空雅」と出会って、性の新しい「常識」との出会いを楽しんでいただきたい。
一人でも多くの人が、この映画を見てくれることを、わたしは切に願う。
映画「ぼくが性別『ゼロ』に戻るとき」
大阪・シアターセブンにて、10月30日(金)まで公開。
公式サイト
https://konomi.work/