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「DISARM」


蛇口が吐き出す水音で、便所の外の喧騒が消えた。
右の掌に染み付いた脂を落とし、顔の汗を洗い、鏡を見る。無意識に上がった口角は勝利の証。

毎月第三火曜日、電車も眠る午前二時。都内某所地下一階、閉店後の酒場こそが戦場。
刃物も銃も必要無いらない決闘、アームレスリング──。腕だけが勝敗を、己の価値を決めるのだ。




先程の挑戦者は、大して手応えの無い男だった。

試合開始直後、組み合った長い指が右手に絡み付く。掌も大きく厚い。体格面では相手が有利。
だが、その程度で勝敗は決まらない。俺は小指と肘に力を込め、右肩を引き落とし、確実にトップを奪った。
剃られた眉が微かに歪んだ。敗北宣言に等しい表情。もはや負けるはずがない。

187連勝を遂げた勝者の名を、店主──いや審判が叫ぶ。相変わらず歳を感じさせない大声だった。
沸き立つ十数名のギャラリーを無視し、俺は足早に便所へ向かった。男の脂汗など早く流すに限る。




「おめでとう」

人払いされた店内。酔い潰れソファに伏していた俺は、店主の声で目覚めた。
手にしていたグラスを受け取り、一気に氷水を飲み干す。
すると、覚醒した脳が疑問を告げた。彼からの勝利の祝福など珍しい。まさか…。

「受理されたのか」
「ああ。今まで贔屓できなくて悪かったな」
「いや、何度も推薦してくれただけで十分だ」

ずっと願い続けてきた。“協会”に認められた猛者だけが集う、裏の試合への殴り込みを。
そして──俺から全てを奪った、あの男への復讐を。

「遠慮はいらん」

カウンター裏へ回った店主は、瓶が並ぶ棚を引いた。
鈍器。暗器。火器。様々な凶器が並ぶ隠し戸から拳銃を取り、俺に差し出す。

「折角掴んだチャンスだ。手段を選ぶな」

手中に収めた拳銃を一べつする。
そうだ。これは絶好の機会…。
だが、俺も意固地なものだ。

「武器なら間に合ってる」

右腕に力を篭める。怒張した無数の血管が脈打つ。
銃身は軋み、そして砕けた。



<続く>

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