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栄光は青春のみにあらず─ 実在の「元祖ウォーターボーイズ」に憧れて


 映画、小説、演劇、ゲーム……。普段は様々なノンフィクションばかりに心を動かされている俺が、久々に魂を揺さぶられるような実話と巡り会った。
 それは、男子高校生によるシンクロナイズドスイミング公演(現:アーティスティックスイミング。本稿では便宜上、男子シンクロと呼称)の創始メンバーの一人、北川吉隆氏の半生だ。

 中学生時代、「ウォーターボーイズ」シリーズ(とりわけ、山田孝之氏が主演していたドラマ第一期)が好きだった。
 「男子シンクロ」という題材に、とりわけ興味を抱いたわけではない。「個人の強い情熱が周囲に波及して、無関心な者や反対する者の心にも火をつけ、やがて一丸となって大団円を迎える」という普遍的な物語構造に惹かれたのだろう、と思っている。学生生活を柄にもなく学園祭や体育祭などのイベントに捧げ続けていたのは、今にして思えば本作の影響かもしれない(失敗ばかりだったが)。


 この作品、特に映画が実話を基にしている……との知識は以前から持っていた。だからこそ、偶然新聞を開いて「ウォーターボーイズ」「映画制作」の文字を見た瞬間、その逸話を掘り下げてくれるのかと期待に胸を膨らませた。ところが、その記事は事前の想像とは別の角度から、膨らませた胸を鷲掴みにされるような感動を俺に与えてくれた。


 5月12日刊行の読売新聞に掲載された特集「あれから」(上記参照)。過去に話題となったニュースに焦点を当て、当事者のその後を追うシリーズ記事だ。
 今回の題材は「元祖ウォーターボーイズ」。すなわち、日本に「男子シンクロ旋風」を巻き起こした映画・ドラマのモデルとなった、埼玉県立川越高等高校の関係者だった。
 当該記事では「1986年の男子シンクロ第一世代、わずか六名の中の一人」と「受験を間近に控えながらも、映画化の演技プラン作成・指導に携わった1999年の部長」の二名が採り上げられていたが、本稿ではその前者たる北川吉隆氏(以下、北川氏)の辿った道程を採り上げたい。

 「絶対に沸かせてやる」。気持ちが高ぶっていた。その日、たまたま校内で同じ中学だった女子生徒に会った。ずっと気になっていた相手だった。思い切って、「見に来てほしい」と告げると、うなずいてくれた。

(中略)

 「みんなで心を通わせて一つのことをやり遂げ、誰かに喜んでもらうことの素晴らしさを知った」
 学校や実行委に内緒で行った「公演」は大成功。あの子は見てくれただろうか。
 その2年後、水泳部が正式な企画として始めた文化祭限定の「男のシンクロ」は、川越高の名物になっていく。

読売新聞オンライン「あれから」より引用。


 学園祭に来校した女子へアピールするために企画された「男子シンクロ計画」に賛同し、学祭でゲリラ的に公演を行い、成功へと導いた水泳部員の一人である北川氏。このエピソードだけを切り抜いてもドラマ化できそうな濃度があるが、特に俺の琴線に触れたのは「その後の人生」だった。

 「北川吉隆」という四文字を、検索エンジンに入力してみてほしい。
 恐らく、先述の記事以外においても、数多の写真やインタビューが現れるはずだ。それらには「元祖ウォーターボーイズ」という肩書きは記されていない。取り沙汰されるのは、先述の記事でも言及されている現在の生業──。小学館の図鑑編纂、とりわけ『図鑑NEO』シリーズの創刊に携わった敏腕編集者としての側面だ。

北川吉隆氏近影。小学館WEBサイトより引用。


 『図鑑NEO』は、2002年に創刊された児童向け図鑑だ。シリーズ累計発行部数は何と1500万部にも上るらしい。1991年産まれの俺は世代から外れているため一冊も所持していないが、書店に赴けば必ず書影を見かけることから、影響力の高さは承知しているつもりだ。


 先程も述べた通り、今の北川氏の肩書きは「編集者」だ。過去の栄光たる「高校生男子シンクロ創始メンバー」「元祖ウォーターボーイズ」などと書かれているWEB上の記事は、(少なくとも俺が調べた限りでは)一つも見当たらなかった。この事実が、俺の心を強く震わせた。

 俺は想像にふけった。もし、自分が北川氏のような「元祖ウォーターボーイズ」の一員だったなら……?と。


 無事に公演を終え、観客席に頭を下げ、拍手喝采を受けた瞬間の喜びは筆舌に尽くしがたいだろう。演技をやり遂げた興奮が身体を支配していくことも想像に難くない。
 そして、この出来事の余波は後世に強く伝播し、やがて著名な作品の創造にまで繋がっていく。作品は日本中の高校水泳部に男子シンクロを普及させるきっかけになったばかりか、プロの競技者にも影響を与えている。2019年に世界水泳・男子シンクロ選手初のメダリストとなった安部篤史氏は、映画に感銘を受けてシンクロの道を志したと証言している(ドラマ第一期にシンクロメンバーの一員として出演していたという。余談だが、この際のメンバーには新人時代の星野源氏も在籍している)。
 自分が青春を捧げた出来事が、様々な人物や文化そのものに影響を及ぼすなど、滅多にあり得るはずもない。だからこそ、きっと俺は天狗になる。高校時代のシンクロ公演を「人生の絶頂」と位置付けて耽溺たんできし、どのような職に就こうとも未来に目を向けることなく、遠い過去の武勇伝を延々と擦り続けていたかもしれない。


 一方、北川氏は違う。青春時代の栄光に囚われず、真っ当に社会人としての道を歩み、以前とは異なる道の先で新たな栄光を手にしている。その上、『図鑑NEO』をヒットさせてもなお、きっと「ここが人生の絶頂だ」との慢心はしなかったはずだ……と俺は想像している。


 その証拠と言えるかは定かではないが、2018年に出版された大人向け図鑑『小学館の図鑑Z 日本魚類館』においても、北川氏は編集に携わっている。本書は上皇陛下が執筆された項目(ハゼ科の魚類)が載っていることから、刊行当時WEB上で大きな話題を集めていたらしい。シンクロ公演から32年後、『図鑑NEO』刊行から16年後。北川氏の輝かしい経歴に、新たな一ページが加わったようだ。
 年を取ってもなお栄光を更新し続けていく……。その姿勢に俺は憧れ、途方もない感動と尊敬の念を抱いてしまうのだ。

※ ↑ 2021年に開館された体験型施設「ずかんミュージアム銀座」(2023年に閉館)の展示物監修も行っていたそうだ。

 読売新聞のインタビュー記事は、かつて自身がシンクロを行った母校を訪れ、思い出のプールを指差す北川氏の姿で幕を閉じている。
 眼鏡越しの瞳は過ぎ去った青春の記憶ではなく、まだ見ぬ未来を見据えている気がした。

「あの日のシンクロと同じで、人を驚かせたい、楽しませたいという気持ちで取り組んでいる。かなり年は取っちゃいましたけどね」

 ほほ笑みながら、「元祖ウォーターボーイズ」になった38年前を思い起こす。今年ももうすぐ、後輩たちの熱い夏がやってくる。

読売新聞オンライン「あれから」より引用。

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