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文体の舵をとる─ 『文体の舵をとれ』第七章①


 小説のトレーニング本『文体の舵をとれ』を基にした習作です。過去記事は以下のマガジンにて。


●問題


第七章 視点(POV)と語りのヴォイス

 四〇〇〜七〇〇文字の短い語りになりそうな状況を思い描くこと。なんでも好きなものでいいが、〈複数の人間が何かをしている〉ことが必要だ(複数というのは三人以上であり、四人以上だと便利である)。出来事は必ずしも大事でなくてよい(別にそうしてもかまわない)。ただし、スーパーマーケットでカートがぶつかるだけにしても、机を囲んで家族の役割分担について口げんかが起こるにしても、ささいな街なかのアクシデントにしても、なにかしらが起こる必要がある。

 今回のPOV用練習問題では、会話文をほとんど(あるいはまったく)使わないようにすること。登場人物が話していると、その会話でPOVが裏に隠れてしまい、練習問題のねらいである声の掘り下げができなくなってしまう。

問一:ふたつの声
①単独のPOVでその短い物語を語ること。視点人物は出来事の関係者で──老人、こども、ネコ、なんでもいい。三人称限定視点を用いよう。
②別の関係者ひとりのPOVで、その物語を語り直すこと。用いるのは再び、三人称限定視点だ。

問二:遠隔型の語り手
 遠隔型の語り手、<壁にとまったハエ>のPOVを用いて、同じ物語を綴ること。

問三:傍観の語り手
 元のものに、そこにいながら関係者ではない、単なる傍観者・見物人になる登場人物がいない場合は、ここでそうした登場人物を追加してもいい。その人物の声で、一人称か三人称を用い、同じ物語を綴ること。

問四:潜入型の作者
 潜入型の作者のPOVを用いて、同じ物語か新しい物語を綴ること。(後略)

『文体の舵をとれ』P.133-P.135より



●問一① 主人公の視点



 菖蒲あやめがIDの偽造に失敗したため、菊花きっかは正面突破を断念した。残された侵入経路は非常用階段。狙う獲物は巨城コーポの43階。
 菊花は菖蒲が携えた端末のモニターを覗き込んだ。偽装工作とハッキングが済んだ監視カメラの目が、昇降口の手前に二人の大柄な男を捉える。
 菖蒲が菊花の肩を叩いた。“引き付けて”との合図。“了解”の意を込め、肩に置かれた手を軽く握り返す。御膳立ては常に菊花の役目だ。
 菊花は堂々と姿を表し、歩を進めながら両手をひらつかせた。一人が向かってくる。男が声を上げようとした刹那、菊花は急激に間合いを詰め、袖に隠した柘植つげかんざしで首を突き刺した。野太い叫び声が廊下に響き渡る。警棒を手にすることなく男は崩れ落ちた。
 間髪入れず二人目の男が菊花に駆け寄る。大振りの警棒をかわす。頭一つ以上も差のある体格と長いリーチ。素直に受けたら押し負ける。苦無くないさえ持ち込めていれば。菊花は金属探知機の存在を呪いながら、攻撃を避け背後に下がり続けた。こっちの間合い●●●●●●●に持ち込めば勝ちだ、と確信しながら。
 突然、左の足首に圧を感じ、菊花はバランスを崩した。素早く目線を落とす。仕留め損ねた男の手が菊花の足を捉えていた。戻した目線の先で、警棒が振り下ろされようとしている。
 新たな叫び声が響く。男の眼球に矢が突き刺さり、血の涙が頬を伝った。菊花は痛みに喘ぐ男の顎に簪を当てがい、掌底で頭部を穿った。続けて倒れている男の頭を踏み抜く。二つの屍が転がる。
 菊花は深く息を吐き振り返った。吹き矢筒を携えた菖蒲が小さく手を振っている。IDの件は帳消しチャラだ。


●問一② 敵(二人目)の視点


 社員証をぶら下げたスーツ姿の女は、わざとらしく両手を振っている。関係者を装う侵入者だ。瞬時に彼は悟った。
 彼は相棒とアイコンタクトを交わした。危険人物は相棒に任せ、自身は拠点防衛に徹しつつ応援を呼ぶ──マニュアル通りの初動対応。彼は無線に手を掛けた。しかし全く応答が無い。
 ジャミング!焦りが彼の背筋を襲うと同時に、相棒の叫び声が響き渡った。一体何が起こったのか、彼の目から仔細の把握はできなかった。確実なのは、彼女の一撃で相棒が沈められたことだけ。援軍を諦めた彼は腹を括った。警棒を手にし、目の前の女と相対する。
 殴打はすんでの所で躱され続けた。フェイントを入れながら蹴りを交える。腹に直撃……していない。寸前でいなされ威力を殺された。とはいえ、彼の心は優位を保ったままでいた。女は防戦一方。このまま攻撃の手を休めなければ壁際に追い込める、と。
 壁際を待たず、女の動きが一瞬止まった。横には満身創痍な相棒の身体。伸びた太い腕が女の足を掴む。女がよろめく。相棒が与えたチャンスを糧に、彼は頭蓋を目掛けて、止めの一撃を喰らわせようとした。
 その途端、左眼に激痛が走った。視界が絶える。衝撃に耐えきれず、握った警棒を落とした。ぼやけた視線が、通路の奥にもう一つの人影を認識した。何やら武器らしきものを握っている。それが、彼の生きている眼●●●●●が捉えた最後の光景だった。
 もう一つの痛みが脳を貫く。彼の意識と精神は途絶えた。


●問二 遠隔型の語り手 壁にとまったハエ型




 菊花きっか菖蒲あやめが携えた端末のモニターを覗き込んだ。ハッキング済の監視カメラの目が、昇降口の手前に二人の大柄な男を捉える。敵が二人しかいないこと確認すると、菖蒲が菊花の肩を叩き合図を交わした。
 菊花は堂々と姿を見せ、歩を進めながら挑発した。一人が向かってくる。男が声を上げようとした刹那、菊花は急激に間合いを詰め、袖に隠した柘植つげかんざしで首を一突きにした。野太い叫び声が廊下に響き渡る。警棒を手にすることなく男は崩れ落ちた。
 間髪入れず二人目の男が菊花に駆け寄ってきた。菊花は大振りの警棒、そして蹴りをかわし続け、じりじりと背後に下がっていく。
 突然、菊花はバランスを崩した。仕留め損ねた男の手が菊花の足を捉えていた。情け容赦なく、警棒が振り下ろされようとしている。
 新たな叫び声が響く。男の眼球に矢が突き刺さり、血の涙が頬を伝った。菊花は痛みに喘ぐ男の顎に簪を当てがい、掌底で一気に頭部を穿った。続けて倒れた男の頭を踏み抜き、改めて止めを刺した。
 菊花は深く息を吐き、振り返った。吹き矢筒を携えた菖蒲が、小さく手を振っていた。


●問三 傍観の語り手


 傍受した監視カメラの映像を、本部の椿が見守っている。
 プランB、ここまでは順調だ。正面玄関から堂々と入り、地下へ潜入。プランA──上層階行きエレベーターの利用にはIDが必要だった。偽造の失敗は菖蒲あやめの責任ではない。菖蒲ほどの手練てだれでも間に合わなかった、それだけの話だ。
 次は非常階段前の、屈強そうな二人のガードマンを始末する。菊花きっかの敵ではないだろう。菖蒲に甘えて油断しなければ、の話だが。慎重に事が運ぶように椿は念じた。
 菊花が先制攻撃を仕掛けた。一人の男がうつ伏せに崩れ落ちる。一対二の構図は、たちまち一対一となった。
 もう一人の大男が素早く走り出す。応戦に出たようだ。その背中で、菊花の姿がよく見えなくなった。しかし、背後からでも男の無駄な動きが手に取るようにわかる。菊花に翻弄されているのだろう。得意げな菊花の顔も想像が付く。
 画面の右隅、倒れている男の腕が動いている。仕留めきれていなかったようだ。手を伸ばそうとしている。油断したな。
 男は仰向けにのけ反りながら倒れた。そして足を掴んだ男を踏み潰す菊花。
 奥に菖蒲の姿が見えた。菊花が身体を張って敵を釣り出し、菖蒲が遠隔攻撃で始末。相変わらず危なっかしいやり方だ。椅子にもたれ掛かりながら、椿は溜息を吐いた。

●問四 潜入型の作者(全知の作者)型


 菖蒲あやめがIDの偽造に失敗したため、菊花きっかは正面突破を断念した。残された侵入経路は非常用階段。狙う獲物は巨城コーポの43階。
 菊花は菖蒲が携えた端末のモニターを覗き込んだ。ハッキング済の監視カメラの目が、昇降口の手前に二人の大柄な男を捉える。状況は菊花の想定内。妨害電波は発信済。
 菖蒲が菊花の肩を叩いた。“引き付けて”との合図。“了解”の意を込め、菊花は肩に置かれた手を軽く握り返す。御膳立ては常に菊花の役目だ。菊花は堂々と姿を現わし、歩を進めながら両手をひらつかせた。
 警護を担う二人の男は、即座に警戒体制に入った。一人は制圧、一人は味方の召集。しかし、その役割と目論見は早々に崩れ去った。応援を呼ぼうとした男の背筋が凍る。無線が反応しない。ジャミングを受けている、と気が付いたのだ。
 一方、菊花は制圧に掛かった男へと急激に間合いを詰め、袖に隠した柘植つげかんざしで首を一突きにした。野太い叫び声が廊下に響き渡る。警棒を抜く間もなく、男は崩れ落ちた。
 残された男は援軍を諦め、腹を括った。目の前の女と相対し、警棒を片手に攻撃を開始した。リーチも体格も比べ物にならない。
 菊花は大振りを的確にかわす。素直に受けたら押し負ける。せめて苦無くないさえ持ち込めていれば。菊花は金属探知機の存在を呪いながら、攻撃を避け背後に下がり続けた。こっちの間合い●●●●●●●に持ち込めば勝ちだ。
 両者とも、自分の優位性を信じて疑わなかった。
 突然、左の足首に圧を感じ、菊花はバランスを崩した。素早く目線を落とす。仕留め損ねた男の手が、足に絡み付いている。男は歯を食いしばりながら、残された力で菊花の足を捉えていた。戻した目線の先で、警棒が振り下ろされようとしている。
 その時、菖蒲が動いた。新たな叫び声が響く。男の眼球に矢が突き刺さり、血の涙が頬を伝った。菊花は痛みに喘ぐ男の顎に簪を当てがい、掌底で一気に頭部を穿った。
 菊花は呼吸を整え、振り返った。吹き矢筒を携えた菖蒲が小さく手を振っている。IDの件は帳消しチャラだ。菊花は苦笑いとともに手を振り返した。
 危うげな戦いの一部始終を監視していた椿は、本部の椅子にもたれ掛かりながら、深く溜め息を吐いた。


●振り返り


 この問題を実際に解いたのは数ヶ月前になる。立場による事実認識の相違、そして駆け引きのある動きを意識した。後者は問題のテーマとは無関係だが。
 前者に関しては以下の作品にフィードバックしたつもりでいる(実際には一人称で進むため、今回の問題とは異なる視点となる)。作中の“とある視点を使った仕掛け”について、学んだ事柄が上手く機能していて欲しい……。



 また、本章には以下のような「追加問題」が存在する。今後解く予定ではあるが、想定以上に“実際の作品”の執筆に掛かる時間が増えたため、“習作”となる本書の課題をつい後回しにしてしまっている。冷房をフル稼働させている季節の間には投稿したい。

追加問題
 問一について、三人称限定ではなく一人称で、別の物語を声にしてみよう。もしくは、事件や事故の物語を二回語ってみること。一回目は遠隔型の作者か取材・報道風の声、二回目は事件・事故の当事者の視点から、
 あまり好みでない様式や声があって、その苦手な理由を見つけたい気持ちが少しでもあるなら、おそらく再度それに取り組んだほうがいい(ちょっと食べてみたらタピオカが好きになることもあったりするのだから、ね。)


〈つづく〉

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