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バイクと孤独と赤いマフラー 「シン・仮面ライダー」

 ※固有名詞を用いた明確なネタバレは避けておりますが、終盤・そしてエンドロール直前の展開に少々言及する箇所が文末の「本題」にございます。ご理解の上お読み下さい。

●「シン・仮面ライダー」は強敵だった


 去る3月22日。庵野秀明監督の最新作にして待望の大規模予算ビッグバジェットヒーロー映画「シン・仮面ライダー」を鑑賞した。


 「シン・〜」と銘打たれた一連の作品は全て鑑賞済みだが、とりわけ本作は俺にとって最も感想に困り、著しく戸惑いを隠せない作品となっていた。
 いや、確かに俺は本作を楽しんで鑑賞した。しかし、非常に好ましい点・思わず首を捻ってしまう点・仮面ライダーファン目線で印象的だった点……。それら全てが俺の中で結び付かず線にならないため、未だに“作品自体の良し悪し”を判断できずにいる。映画鑑賞とレビューの双方を愛する俺にとって、本作は怪人オーグ以上に恐ろしい強敵だ。


 だが、どうしても記憶が鮮明なうちに語っておきたいことがある。
 仮面ライダーファン目線で印象的だった点。──即ち、バイクにまつわる心理描写だ。


 ※本稿では所謂いわゆる“庵野秀明論”については一切触れない。庵野秀明氏が深く関わった作品は「TV/劇場版エヴァ」「帰ってきたウルトラマン」「オネアミスの翼」「フリクリ」「式日」そして一連の「シン」シリーズしか観ておらず、総論を展開できるほどの理解度が無いためだ。また俺は熱心なライダー好きを公言してはいるが、基本的には平成ライダーのファンであり、昭和ライダーは劇場版「V3」しか鑑賞していない。どうか浅薄な知識をご容赦頂きたい。
 ちなみに、過去に投稿した「シン」関連作のレビューは以下の通り。


●「シン・仮面ライダー」感想忘備録




 まず本作を鑑賞した証・忘備録として、好ましい点・首を捻った点の一例を箇条書きで挙げておこう。


好ましい点── 割り切りの良い(むしろ開き直った)テンポ感。スクリーン映えするロケーションの数々。露悪的すぎず的確に使われる流血ゴア描写。耳に残る独特なSE。仮面ライダー2号:一文字隼人(柄本佑えもと たすく 氏)の圧倒的な魅力。物語が迎える帰着。etc…。

首を捻った点── わざわざ長台詞を待ってくれる等、迂闊うかつな怪人達とその冗長な演出。バイオレンス描写の拘りに対し、カメラが寄り過ぎており不自然に見辛い格闘。楽屋ネタ的な一部キャスト陣。役者とキャラクターが魅力的なだけに気に掛かる、隼人周辺の人物描写の性急さ。etc…。

 ──といった具合である。一度では理解が追い付かず、また鑑賞後に失念した描写もあるため、不十分な感想かもしれないが。
 何はともあれ、一緒に観に行った友人と激論を交わすほど印象に残り、リアルタイムで劇場に足を運んだことを後悔しない作品だったのは間違いない。



 その上で、先に述べた件“バイクにまつわる心理描写”について述べていこう。
 より具体的に言えば、本作の登場人物の内面・心理描写には、バイクが強く活かされている気がしてならない──という考察である。


●「シン・仮面ライダー」とバイク描写




 本作は難解な映画であったが、“バイクに関係する描写”に関しては相当わかりやすく明示されていたように感じた。その描写の量と重要性は近年のライダーシリーズ以上に多く、そして強かった。心理面に繋がる描写を語る前に、アクション面について述べておきたい。



 まず平成ライダー以降のシリーズでは、物語上でもアクション面でも“ライダー乗り手”としての要素が強調される機会はさほど多くない。厳しい道路交通法と、カツカツな予算の関係だろう。
 ただ、主役3人がサーキットで並走するOPが印象的な「アギト」。「555」の愛機かつ頼れる相棒:オートバジン。「劇場版W 運命のガイアメモリ」で見事なチェイスを魅せてくれたハードボイルダー。「仮面ライダー1号」で本郷たけし(藤岡弘、氏)が故人おやっさんとの思い出を胸に駆ったネオサイクロン号。……等々、決してバイク要素は疎かにされていないことに留意する必要があるが。



 一方、TVシリーズに対して潤沢なCG予算の賜物か、心置きなくバイクを走らせられるロケ地選定の影響か。本作にはバイクアクションが惜しみなく詰め込まれている。
 冒頭の逃走劇は激しく疾走感があり、以後の展開に対する期待感を高めてくれた。CGを使ったメカニカルな変形機構には、少年心をくすぐられた。そして予告編でも使われている1号 VS 2号のチェイスを追う空撮は素晴らしく、本作のアクション面における白眉と言えよう。



 さて、本作におけるバイクの重要性は、何もアクションシーンに限らない。
 宣伝広告でも示されるように、本作では“ヒーローの証”として、赤いマフラーが象徴的に用いられる。それと並ぶ重要なキーアイテムが有るとすれば、それはバイクだったのではないだろうか?
 バイクは即ち、人間関係を表現するための舞台装置。“孤独の象徴”であると同時に、“孤独でないことの証明”としても使われていたのである。


赤いマフラーの重要性を示す宣伝広告。
バイクも同じ位、いやそれ以上に重要なキーアイテムだった。


●本題──孤独の象徴は、やがて絆の証となる




 バイクは基本的に一人で乗るものである。「バイクは孤独を楽しめる」。作中で“仮面ライダー2号”こと隼人も、そういった旨の台詞を口にしていた。
 一方、バイクは二人乗りをするものでもある。背中を預けざるを得ない状況。背中を預けられる信頼感。仲間同士の絆の証明。バイクと結び付いた心理描写の数々が、本作では多数散見された。



 まず冒頭。ヒロイン:緑川ルリ子は主人公:本郷猛を「コミュ障なバイク好きの男」と評する。
 彼女の人物評通り、猛が“孤独なライダー”だと印象的に仄めかされるのは、野営でキャンプ飯(カレー?)を作りルリ子に振る舞う場面。作中の早いテンポ感も相まって、妙な手際の良さ・慣れを感じる。一人行く宛もなく気ままにバイクを駆り、喧騒のない場所で食事やコーヒーを嗜む…。そんな過去の猛の姿が想像できる、味わいのある描写だった。改造手術により食事の必要がなくなった猛が、他人の為に食事を作る──。この行為の意味は、言わずもがな重いだろう。



 また、猛と共に逃亡劇を展開し、幾度も二人乗りすることになるルリ子。彼女も他人を信用せず、独断専行・個人プレーに走りがちな人物として描写される。
 そんな彼女は度重なる二人乗りで感じた信頼を、とある形で明確に公言している。猛の“孤独な世界”に無理やり介入し、半ば強引に背中を預け続けてきた彼女は、その背中にあるものを感じたという。これは車を用いた逃走では、決して感じ得ない感覚・感情だろう。



 そして中盤以降、本格的に登場する隼人。彼は孤独……いや、孤高を絵に描いたような男。飄々ひょうひょうとした態度で他人に接し、馴れ合いを好まず、猛からの共闘の提案さえ断る程だ。そんな彼と猛との関係性も、バイクを介することで描かれていた気がしてならない。
 バイクを駆って孤独な戦いに赴く猛。その姿を黙って見送った彼もやがて同じ道を歩み、他者を乗せて走り出す。その愛機に、その背に、その心に、その仮面の下に──。



 やがて迎えるラストシーン。広大な海に包まれ、とある二人●●●●●が共に走っていく。過去作のオマージュであると同時に、バイクが結んだ絆の究極系、とさえ表現しても良いかもしれない。もう彼らは孤独ではない。バイクによって彼らは繋がり結ばれた。俺はそのように解釈した。



 重ね重ね述べるが、俺の本作への総合的評価(良し悪し)は未だ定まっていない。関係者の方々・大絶賛派の皆様には大変失礼な発言となってしまうが、今後複数回見返して理解が深まっても、“諸手を挙げて大絶賛する名作”とは認定できそうにない。
 しかし、俺が過去に鑑賞したライダーシリーズでは味わえなかった一側面──“バイク乗り”としての仮面ライダー●●●●を楽しめたことは間違いない。作品の良し悪しはさておき、俺は本作で感じた“バイクが結ぶ尊い絆”を、決して忘れることはないだろう。


※サムネイル画像等は映画公式サイトより引用しました。

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