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狂気の隣人

どれだけ自分は対人関係で難を抱えているのだろう_(:3 」∠)_…。
いや、そもそも誰のせいでも無く、自分のせいである事は間違いないのだ。
人と人との繋がりを構築して、関係性を築き上げるのは他の誰でも無く紛れもなく自分である。
だからこそ、そこは他人のせいにはしない。
自分がそうであるからこそ、自分自身の行動や発言や思考がしっかり自分に還元されて来ているだけの事である。
その上でこうして徒然なるままに書いて居るのは、悩みというよりも自己分析に近い。
他人を分析しているようで、実は自分自身の事を分析しているのだ。
だからこそ、反面教師と受け止めて、失敗が多くとも精進する事が大切だと感じるのだ。

最近対人関係について、友人と議論を交わす機会が度々あった。
だからこそ是非とも記事にしなくてはならない衝動に駆られてしまった。

さて、突然本題に入っていくが、わたしは音楽を生業としている訳では無いが、生きがいとして人生の大半を占めている。
お金と人生を掛けた壮大な趣味とも言えるが、自由奔放な生き方をしてきた。
一見周りから見れば、好きな事をして楽しそうとか思えるかもしれない。

しかし!自分はそうは思いません。by あばれる君

自由で楽しさが溢れる場所とは、実は手枷足枷が多く大変である。
制限された中にあるからこそ、自由意思を感じれる場所は存在するのだ。

最近、それを切実に感じた事がある。
それは、社内ルールが明確にマニュアル化されたのだ。
今まで人の少ない現場でやっていたので、会社という形態ではあったが明確に社内のルールが決められていた訳では無かった。
その結果どうなったかと言えば、一人の人間が支配をしようとするのだ。
人間が大人数になると、こうした現象は起きる気がする。

少し話が本筋とずれてしまったが、人が多くなれば同様の状況が生まれるのだろう。
色々とルール化しなければ、ただただ無法地帯と化してしまうのだ。

まさに世紀末である。


どんな仕事でも、どんな環境であろうとも、その中に潜む一握りの『狂気の隣人』が存在する。

狂気の隣人とは、日常に潜む狂気的な人間の事を指すのだが、発狂したり崩壊している人や攻撃的な人の事を指している訳では無くあまりにも普通に日常に溶け込んでいる人間の事を指す。

友人も居るだろうし、家族や恋人も居るかもしれない。
あくまでも普通なのだ。
その普通の中に潜む心の中の闇の部分が見えてしまった時、これほど迄に狂っていると、感じずには居られないのだ。

それは自分にも存在しているだろうし、人間誰でも光と闇が存在している事は間違いないのだ。
陰陽の紋様の如く、混ざり合い時としては牙のように剥く事もあれば、愛となり支えとなる事もある。
それが人間なのだ。

陰陽論については、この記事が結構好きなのでご興味あれば是非読んでみてください◎
※決して陰謀論ではありません。

『狂気の隣人』は、マンションやアパートでも隣人ガチャに失敗した人とかに出くわす事があるかもしれない。
とにかく、自己中心的な、それでいて利己的な、自分の都合しか考えてない者は世の中多くいるものだ。

もしかしたらこの狂気の隣人に長年苦しんでいる人もいるかもしれない。
迷惑を被っている者も居るかもしれない。

因みに、AIからの回答はコチラになります。

・利己的と自己中の違いは、利己的な考え方は自身のメリット(利益)を最優先に考えることに比べて、自己中な考えは自分自身を優先されることを望んでいて、そこに必ずしも利益があるわけではないことです。

・利己的とは、自己中心的な事を指します。他を犠牲にしても自己を優先させる考え方です。利己的な人は、周りが不利益を被ってでも「自分さえ得できればそれでいい」と考えており、周りからは嫌われがちです。

・自己中とは、「わがまま」「自分勝手」「協調性がない」「他人への思いやりがない」といったネガティブなイメージを持つ人が多いかもしれません。


こうしたタイプの人間は必ず居るのだ。
ナチュラルにこれをやってのける人が少なからず近くに居るのだ。
気にしなければ良いし、関わらなければ良いのだが、なぜか引き寄せ合ってしまう。
勿論、自分にもそう言った悪い部分があり、知らない間に無意識に他人を傷つけて居る時があるのかもしれない。
だからこそ引き寄せてしまう気がするのだ。

しかし、本人を変えようとしてもそれは困難を極める。
気付けないし、気づかないからこそ無意識にそうなっているからだ。
そうした人が不正解で誤りかと言えばそうでは無いのだ。
それは別の正解の形が存在しているだけに過ぎない。
だからこそ、自分が変わり続けるしかないのだ。

馬が合わない人は必ず存在していて、会わない人と同様に、生きてるタイムラインが全く別のラインで存在しているのだろう。
住む次元が本当に違う者が共存しあっていると考えて欲しい。
異国の人、地球外生命体でも良いが、とにかく言語は共通だが、育って来た環境があまりにも違う為、価値観が規格外に相違しているのである。

『育って来た環境が違うから、価値観は否めない。』

って事。
だから分かってもらおうとしなくて良いのだ。
そもそも、分かってもらえる訳が無いしイライラしてしまうだけだろう。
反対に分からなくても良いし、到底理解ができないので相手にしない方が良いのだ。

では、分かりやすくSNS投稿をする人はこうした性格のやーつって感じの話をする。

① 綺麗な言葉だけを並べているパターン
② プライドが高い孤高の戦士パターン
③ 構ってちゃんパターン

とにかく往々にしてプライドが高い事には変わらないのだが、承認欲求と、自己顕示欲が、とても強く虚栄心が高い。
若気の至りならまだ許せるかもしれないが、この話は40代過ぎても尚の事この状態の人間が居るって話である。
とてつもなくこのパターンの人間はヤバいのだ。

もはや一度カウンセリングを受けた方が良いかもしれない。
別に馬鹿にして言っている訳では無くて、自分にエネルギーを使ってない事に気付いていないからだ。
そして、無意識なのか意識的なのかは知らないが、他人を傷つけているのだ。

自分の都合だけを考えてしまっている人は、内面にエネルギーを使っていない傾向が多い。
良くも悪くも外に向けてエネルギーを使ってしまっているのだ。
外に向けてエネルギーを使う事によって、自分と向き合って生きて居ないからもはや自分の事が分からなくなってしまう。
分かって居ないから自分が正しいと、勘違いを起こしてしまう。
あろうことか自己評価を始めて、過信をしてしまう者も居る。
非常に怖い事だが自己肯定感が高い事と、自己評価が高い事は大きく違う。
評価は他人が決める事であって、自分で評価をする事は尋常じゃなく恥であると思う。


別にそれに対して間違いとは言わない。
しかし、そのような人間は誰も評価に値しないと感じてしまうのかもしれない。
自分だけが良ければと、考えて居る人間は大抵嫌われてしまうのは当然だ。
しかし、そうした人間は自分でその事に気付いていないから厄介なのだ。
外にエネルギーを向けているから全然嫌われてる事にすら気づけていないのだ。

それはそれで一見するとおめでたいラッキーな人種に見えるかもしれない。しかし、デリカシーの無い人間なんぞ、気づいた頃には後の祭り状態である。
誰も周りに集まる人間が居なくなっているだろうし、周りが支えてくれる訳が無いのだ。
無意識に傷つけて、迷惑を掛けて来たのだから当然の報いだ。
悪気が無いのが一番タチが悪い。
本当に助けてほしい時に周りに誰も居ない事は結構悲しい事だと思う。

ただ、こうした攻撃的な人間は必ず目の前から居なくなると思っている。
その変わり、目の前から居なくなる為に、しっかりと距離を置いて相手にしないように心がける事が大事である。
他者との比較をしてばかりで、外にエネルギーを使い、外に排出した結果、エネルギー切れしてガソリンが切れた状態になるのだ。

外にばかりエネルギーを使って居れば当然メンタルを維持できる訳が無い。
メンタル崩壊するなんて、花粉症の如しである。
一概にこれが原因の全てでは無い事は理解して欲しいのだが、原因の一つである事はなんとなく感じるのだ。
良くも悪くも人に気を使ってしまうのはデメリットも多かったりするのだ。
表現が難しいのだが、『他人を主軸にした自分』とは、結局は中身の無い状態になってしまうから本人は疲れてしまうのだ。
気を使い過ぎていれば、ガソリン切れになればいつかは心を病んでしまうだろう。

だからこそ、正解や不正解は無いが、良くも悪くも発信をする事は自分に向けて発していると考えた方が他人は相応の評価をしてくれると言う持論である。
発信先が逆になるから、メンタル・フィジカル含めて怪我や病気に繋がってしまうと思う。
優しさがある人もそうだし、気を使い過ぎる人も一緒で外にだけエネルギーを向けても中々変える事は難しい。
だからこそ、自分と向き合って磨いて高める事が一番他人から理想のアンサーが来ると思っている。

勿論聖人君主では無いので、こんな偉そうに言ってはいるが、目指す事や意識をして心がけるだけでも変わると信じている。

そして、他人に対して『気を使う』事は、言い方を変えれば、生霊を飛ばす事に近いと思うのだ。
『他人に対してエネルギーを使う』
この、言い方が分かりやすいかもしれない。
自分の分身を飛ばして居れば、疲れるだろうし、相手から弾かれてしまえば、呪い返しの如く戻って来てしまうのだ。

優しさを持ってしても、怒りや悲しみを持って居たとしても結局はエネルギーを他人に対して使用してしまっていては疲れてしまうのだ。
気を使い過ぎれば病んでしまうきっかけになるかもしれないし、恨みつらみを持てばそれはそれで疲れてしまうのだ。

だからこそ、他人に時間を取られてはならないし、自分自身が時間泥棒になってはならない。
あなたの時間は有限であり、かけがえの無いものだ。
それと同時に他人からしても同じ事で、その人自身にとっては掛けがえのないものなのだ。

とにかく自分の都合だけで、自分の事しか考えない事は色々な人に迷惑が掛かるかもしれないし、傷つけてしまう事も多いのだ。

それが仲が良かった友人だと結構タチが悪い。
自分も同じ位置にいたからこそ気づけなかった部分もあるし、波長が変わればヤバいとも思うし、本能で距離を置こうとするのが人間である。
距離が離れれば、当然今までの距離を保とうと、手繰り寄せて戻そうとネガティブキャンペーンが始まる可能性もある。

しかしそれに騙されてはならない。
うまく利用したいと考えて居るに過ぎないのだ。
自分にとっての損得を考えて居るだけなので、本当に人の事を考えて居るのであれば、まずそこの思考に至らない。
つまり、自分の理想の形と違う事があれば納得がいかないから他人に求めてしまうのだ。
求める挙句に少しでも違うとへそを曲げてしまう事もあるのだろう。
これは本末転倒も良い所である。

自分の人生にとって本当に必要なものかと照らし合わせて、自分と向き合ってしっかり考えた方が良いと日々思う事である。
当然自分も失敗も多いし、反省も多いし、知らぬうちに失礼も多いのは充分承知である。
だからこそ思うけど、他人に対して時間を使うのであれば、有意義な事に時間を使いたいと常々感じるのだ。

まさに『カルマ』である。
田村正和の『まさにガスだね。』のノリで言ってください。

カルマは簡単に言えば「行い、行動」の事で、いい行動も悪い行動も、同じくカルマと言う。
全てブーメランで自分に還元されて来るのだろう。

自分の都合しか考えない者は、所詮は他人の意見なんて暖簾(のれん)に腕押し状態であるが、それはいつしか自分に還元されて来てしまうのだ。
それは今自分の周りで起きている全ての環境に影響が出て、その時に状況を教えてくれる。
だからこそ、争う事は時間の無駄なのだ。
そして、気を使い過ぎて他人に対して一喜一憂したり、喜怒哀楽で左右されてしまう事ももしかしたらいつかは手放さなければならないのだ。

他人を喜ばそうとするのも、良かれと思ってやれば他人にとっては迷惑になり得る。
だからこそ、『自分の事のように喜ぶ精神』であれば、自分に対しての喜びとなり、そこでようやく他人にその感情が伝わり共有できると思うのだ。

SNSの台頭と、昨今の情勢悪化により更に他人は他人を叩き、出る杭を打ちあっている状態になっている状況が増えて来ている。
自分が正しいと思い、その正しいを人に押し付けるような事は滑稽である。
悪い事では無いかもしれないが、自分だけが正解だとは思わない方が良い。
自分だけの正解の形を一方的に投げても、他人と比較をしても、それはあまりにもコスパが悪い。
そこになにも答えが無い事に気付いた方が案外気楽に生きれる気がする。

こうした事は大半はコンプレックスから来ているのかもしれない。

コンプレックスが無さそうな空気感で生きている人程、実はコンプレックスの塊だったりするのだ。
だからこそプライド高さが紐づいて来るのだ。
本当は素直さが一番自分をいい方向に向かわせるのだが、プライドが邪魔をしてしまえば目が曇ってしまう。
正解であって構わないのだが、そこから他人に対してエネルギーが向かってしまうのかもしれない。
無意識下で発動するコンプレックスが実は原因の一つな気がするのだ。

そして、これまで何度か伝えたが、言葉とは武器であり、防御でもある。
そして、攻撃をする事もできるし、守る事もできる。
だからこそ慎重でなければならない。
意識をして発信しなければならないと重々感じている。
そして悲しいかな発信をした瞬間から、自己責任となってしまうし、自分に対して全て伝えてるに過ぎないのだ。
他人は自分を映し出す鏡である。
嫌い・苦手のネガティブな感情が出て来る相手は、自分の嫌いな部分が目の前に出ているのかもしれない。
反対にポジティブな感情の相手は自分が好きな部分や自信がある部分の波長があって引き寄せ合っている状態だと思う。

かと言ってネガティブなものを避けて居れば、それはそれで自分の成長に繋がらないだろう。
だからこそ、良い反面教師として捉える事である。
勿論、危害を加えて来るような人がいれば、距離を取るか逃げるに限る。
しかし、今居る環境下で抗えない事もある。
逃げれない状況であれば、何かを変える事が大切だ。

それは自分自身の変化である。
自分が良くも悪くも変化をすれば、必ず距離が離れるのだ。
引き寄せ合うエネルギーが変わるからだ。
環境を変える時、最も簡単で難しい事だが、習慣を変えると一気にガラッと変わる。
これは是非とも実践してみてほしい。

口癖や思考、習慣を見直してみて、ルーティン化されているものを探るだけでも他人に対して時間を使っている暇が無くなる。

何か悪い事が起きた時は大概、嫌な事から起きたりする。
実はその時がチャンスだったりもするのだ。
物が壊れたり、体調を崩したり、人が離れたりと、今までルーティン化された中にあった当たり前が波長の変化と共に別のタイムラインになる。

その時を見逃さずに、対策を練れば必ず良い方向に次は進める。
選択を見誤る事は人生には一切無く、全ては必然である。

ただ、自分の中の変化とは良くも悪くもどちらにも変わってしまものだ。
良い方向にだけ進むかと思いきや、例えば犯罪に手を染めればエネルギーが下がるだろう。
文句や愚痴ばかり言えば、周りが嫌な思いをするから逆に人が寄り付かなくなってしまうものだ。

一緒にいるだけでエネルギーを吸い取られて疲れてしまうエナジーバンパイアも近くに必ず存在するので、しっかりと自分を保つ事も大事である。
とにかくずっとネガティブポイントで来る人は仲の良い友人だとすれば、自分が良い方向に変われば疎遠にもなっていくだろう。
とにかく良い距離を保つ事が大切だし、自分が依存体質にならないように自分自身を磨くしかない。

昨今、自分の身は自分で守らなければならない時代になっている。
防御策は自分が変わる事の一択であって、他人が変わって合せて来る事も無いし、他人が助けてくれるのを待ってても無駄かと感じるのだ。

ネガティブマインドは誰にでも持ち合わせているのだ。
自由との対価として、自立は必要だろうし、何事も他人に寄生をしないに限る。
他人に時間を使う時は、自分に時間を使う事だと思えば余計な事をしなくても済むし、相手にも迷惑だとは思われないだろう。
人に気を使うのでは無く、『配慮』と言う形で自然に接する人間になるのが一番かもしれない。

結局は対価として、自分への利益を求めてしまうから他人には伝わってしまうのかもしれない。
だからこそ、狂気の隣人への対処をしっかりと考える必要があるのだ。
マインドセットをすれば必ずいい方向に進む。
その為に思った事は胸に閉まっておく事も大事で、デスノートにでも書いておけばどこにも出回らない。

実はスマホでメモ帳に記載するよりもこうしてノートに文字で起こすと思考がまとまったりもするのだ。
外に漏洩する心配も無いし、母ちゃんにエロ本隠してるのがバレた時みたいに保管場所さえ気を付ければ問題無い。
書いたものはその後燃やしてお焚き上げしても良いかもしれない。

因みにDEATH NOTEはAmazonで購入可能です。
生きて居れば良い事も悪い事もあるけど、背中を指されて背中を丸くして生きる人生よりも、背中を見せて姿勢正しく歩き続けたいと思う所存である。

意識をすれば、世界は必ず変わる◎

前向いて歩いて行こう◎

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