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お金と人の在り方について

最近『お金』の事について考える。
金の勉強をすればするほど思うのだが、『お金が全てじゃない』と言う人程、金に執着している人が多い気もするのだ。
今の自分を正当化させようとしているような感じ。

確かにお金が全てでは無いのは分かっている。
大体の物事にはお金が掛かるし、それなりに大事なものである。
物質的な何かに固執している時代はそろそろ限界も来ている頃だが、それでも姿形を変えて何かしらの価値ある何かが生まれるだろう。

紙幣・貨幣の価値が変わるだけで、それがWEBマネーに変わる位なものだ。
キャッシュレスになろうとも、結局お金はお金である。

お金自体に縛られて居れば、本質を見失っている気がする。

例えば、お金を払ってその対価として健康や人脈や時間は手に入れられるのかと言えば、それは違うだろう。
ブランド物の服や家や車や家具家電はお金を払えば手に入れる事はできる。
ただ、お金の価値は単純に商品の価値を同じ尺度で表すことが可能になる価値尺度であって、お金自体に価値は無いに等しい。

全員共通認識にいつの間にかなっているが、これがある日を境にビー玉がこの世で一番価値があるとなればいきなり紙幣や貨幣は価値が無くなるだろう。

結局手段に過ぎないのだ。
物事で大切な事は結果は重要だが、結果としてお金だけ持って居れば自分が幸せになるだろうか?
自分が幸せを感じる為の手段であって、その物自体には価値は無いと思うのだ。

目で見える価値なだけで、目に見えない心の価値は金では買えない。
物にこだわる事と、物に執着をして、毒されてしまう事はまた別である。
お金に信仰心を持てば、お金が1番の存在になってしまう。

『お金さえあれば』とか、『お金がないから何もできない』と、言う人は、所詮はお金があっても何もしないであろう。

ここまでは、ネットで探せば即刻出て来る情報だし、恐らく頭の中では共通認識でそこは理解ができているだろう。
しかし、お金に毒されて、飲み込まれていれば、どれだけ頭で分かっていても、お金のせい・お金のおかげになってしまうのだ。
それだけ全世界の共通意識の価値とは、エネルギーが強いものだと思うのだ。

すごくシンプルに考える事がある。
お金の話ばかりする人は、その人自体に全く魅力を感じないのだ。
ブランドにお金を掛けて自分を磨かない人と同じように、見合っていないのだ。
お金があろうがなかろうが、お金に愛されて居ないと言うか価値自体に愛されていない感じがするのだ。
妙に違和感を覚えてしまう。

儲け話や稼ぎの話、お金がある自慢やお金が無い自虐。
聞きすぎているとうんざりしてくる。
人の文句や愚痴を聞き続けてうんざりするのと一緒だ。

言うのは構わないがどんどん魅力が欠けて来るから言わない方が良いに決まっている。
口癖と言うのはとても怖くて、現実を引き寄せると言うよりも、言っている言葉に対して自分の足が向かって行ってしまうものなのだ。
だから思考とか言葉は、慎重にならないといけないとここ数年思うところである。

文句とか愚痴ばかり聞いてると、自分も言われているとしか思わないし、自分も攻撃的になって来るからだ。
『へー、あっそ』の気持ちで避けるしかない。
聞き飽きてうんざりすると、今度は距離を取られて愛想つかされるのがオチである。

人間の魅力はお金では計り知れないものだから、別に手前の事はどうでも良い。
大事な事はもっと本質にあると思う。

何が言いたいかって、言葉は魔法で、相手の事を思って伝える方が案外良い状態でかえってくる。
これは、お金でも一緒なのだろう。
お金を何に使うかで還元が変わる。

自分への投資として知識や経験の為に使ったり、誰かへのプレゼントとして使う方が全然お金の価値観が変わると思うのだ。

ギャンブルをしたり、ブランドを買いまくって無駄遣いをするので無く、他人におごって優越感に浸る事とも違う。
時間に対してお金を使う事がとても有意義だと感じるのだ。

休みの日に退屈な地獄のような時間を過ごせば損失を購入しているに過ぎないだろう。
学校で勉強面倒くせーなと思って居るのは、恐らく自分でお金を払っていないからかもしれない。
自分でお金を払って学びに行けば、サボろうと言う気分にはならない…事は無いか。

ここまで書いて思うのは、自分は無駄遣いをちゃんとしている。
音楽とファッションやおもちゃとか本が大好きだからだ。
自分の心を豊かにする使い方であれば、別に良いのだろう。

特にファッションなんて、誰も見ては無いから、自己満足でしかない。
いつからか、誰かに見られる事だけを気にして買う事を辞めたらすごく心が軽くなった。
他人の軸でお金を使えばきっと損をする。
自分の軸で自分に対して視点をフォーカスしてお金の事を考えると良いと感じた。

他人に対して、お金を使ったとしても対価を付けない事。
どれだけ自分が使ったかと、姑息な事を絶対に心にも思わない。
付加価値を付けて、他人に見返りを求めるようなお金の使い方は必ず不幸になる。

お金だけじゃなくて物事全て同じだが、当たり前の基本的な事すらも普段できないのが人間なのだ。

さて、ブランドそのものの価値として、なぜハイブランドは高いのか?
既にブランド自体の価値として確固たる位置があるからだ。
これはアンディーウォーホルのアートによって、存在証明がされている。

マリリンモンローとキャンベルスープのアートの2点。
どちらも同じブランドアートとして確立されてしまったのだ。
安いスープの缶を並べても、大女優を並べても、そのものに価値がある。

量産品でもオートクチュールでも、希少価値が無くともブランドは成立してしまったのだ。

このようにある日を境に既成概念が変わってしまう瞬間はどこにでもあるのだ。
しかし、ルイヴィトンはブランド自体の価値を下げないように、値下げはしない。

こうした確固たる姿勢があるからこそ、価値がそのまま維持されている面もある。
お金の話から少し逸れ過ぎたが、『人としての価値』があるとすれば、セルフブランディングはとても大切で、その価値はお金に変え難いものである。

それと、同時にお金の価値と一緒な気がするのだ。
モノの価値と一緒で、モノ自体に対してフォーカスする事と、お金を主軸に考えてモノはついでにするとでは、価値が大きく変わって来る。

お金自体に価値は無いに等しく、ただ、エネルギーが強いものだと考えると少ししっくりいきそうである。
金額が上がれば上がる程、振動が高いから、この振動に近くなるからこそ、自分に還元されて来るのかなと。

結果として、自分の器を大きくしない限りは、どれだけお金を持とうとも、良い洋服や異次元に美味い飯を食べようとも、見合わない人としてモノから裏切って来るのだ。

総じて良いエネルギーだからこそ、お金は還元されて来るものなのだろう。
何事に対しても、ありがたみを知る事こそが、『足るを知るの精神』なのかもしれない◎


宝くじ当たって不労所得になって高級焼肉屋に毎日通えますように(切実)

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