こうして、アジュンマになる
つい最近「私もアジュンマになったなあ」と心底実感した瞬間があった。アジュンマとは韓国語で아줌마と書き、「おばさん」を意味する。
朝、5歳児を連れて大学病院の小児科を訪れた時のことだ。いつもなら受付の後、看護師さんがすぐに熱と体重をチェックしてくれるのに、その日はなぜか私たちより後に来た患者さんが次々に体重計へと案内されていた。すると私の口から勝手に、ひとり言の域をこえた声が漏れてしまったのだ。「私たちが先に来たのに…」と。
その声が届いたからかどうかは知らないが、看護師さんがやっと息子の体重を量ってくれたので、「背も測りたいんですが」と伝えると、「身長は成長クリニックの患者さんだけが測れます」と言いながら行ってしまった。今までは体重を量った後、身長も測ってもらっていたのだが、1か月来ない間にシステムが変わってしまったようだ。
「成長クリニックってどこにあるんですか?」と聞くと、彼女は目も合わせず苦笑いしながら「小児科内にあります」と言った。体重計のすぐ横に身長測定器があるのに、成長クリニックの患者しか使えないってどういうことなんやろ、と思いながら「じゃあ、この病院内で身長が測れる場所って他にありますか?」と尋ねると、「そういうことなら測りますよ」とついに背を測ってくれた。
みんなに聞こえるように心の声が漏れてしまう。
イラッとした気持ちを隠さない。
自分の言いたいことをはっきり主張する。
ダメと言われても食い下がる。
他人から見たら、別に何てことのない病院でのひとコマかもしれない。でも、私にとってこの朝の自分の言動は、韓国ドラマや街中でよく目にし、「できればこうなりたくないな」と思っていたアジュンマの姿そのものだった。
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30代半ばで日本から韓国に移住するまでは、どちらかというとあまり年齢を気にせずに生きてきた。むこうはどう思っていたか知らないが、10くらい年の離れた子たちと一緒に勉強したり遊んだりするのも平気だったし、ジェネレーションギャップを感じることも少なかった。
万年ぽっちゃり体型な上に、いつまでも学生のような恰好でふらついていたからかもしれないが、実際、実年齢より下に見られることも多く、年の離れた男性に「君みたいな人って年取ったら急に老けるんだよね〜」と言われた時以外、自分の加齢を否定的・悲観的にとらえたことがなかった。
ところがだ。韓国に移住して子どもを出産した30代後半辺りから様子が変わり始めた。出産後に髪がごっそりと抜け、生え際が目立つようになり、授乳が終わったあとの胸は重力に負けて垂れさがった。「育児疲れです」と自らアピールしているような目の下のクマは年々ひどくなり、気づけばおでこには何本ものシワ、頬にはたるみが出現。知らぬ間に増えたシミ、ホクロ、イボの存在感も半端なく、鏡や写真を見るたびに「うわあ」と嘆きの声が出た。
「まあ仕方ないわ、もう人生の半分は生きてきたんやし。昔は40になったら初老のお祝いをしてたって言うやん?」
そうやって今の自分を丸ごと受け入れようとしてみても、若さを自認している世代の女性たちを前にすると、無言でアジュンマ認定されているような気分になり、いたたまれなくなった。別に、彼女たちに面と向かってアジュンマと呼ばれたわけではない。外見を指摘されたわけでもない。私が勝手に「どうせ私のことアジュンマって思ってるんやろうなあ」と思ってしまっただけだ。
でも、その気持ちを知ってか知らずか、相手の口から「私たちの世代は〜」という言葉が出てきた瞬間。心のシャッターがものすごい勢いでガラガラッと閉まるのがわかった。初対面の年下の女性に世代の違いをアピールされるって、面と向かってアジュンマと言われるより感じ悪いもんなんだなあと、その時初めて身を以って知った。
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そんな心身の変化に戸惑いながら迎えた40代初めのある日、ひとり言が増えてきたことに気がついた。洗濯をしながら、皿を洗いながら、耳で聞いていたラジオやポッドキャストの話にツッコミを入れたり、返事をしたりする自分がいたのだ。夫や息子とひとバトルした後もプリプリ怒りながら、とても人には聞かせられないひとり言を吐き出していて、なんだかこのままではまずいんじゃないか、このエネルギーをもっと別の形に変えられたらいいのに、と思うようになった。
それで、聞く専門だった音声配信を自分でもやってみることにしたのだ。このひとり言を人に聞いてもらえる形に昇華できれば、ただのひとり言じゃなくなるし、脳も活性化するだろうし、記録として形にも残る。もしかしたら「私もそう思ってたんだよね〜!」なんて話に共感してくれる人、楽しんでくれる人もいるかもしれないし、と。
音声配信の最初に、毎回あえて「キラキラしてない韓国生活」と強調しているのは、まだ若さを自認していた10数年前の留学時代には気づけなかったこと、アラフォーになった今だからこそ見えてきたことををできるだけ正直に話したい、という思いを込めてのことでもあった。
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韓国では基本的に中年女性や結婚している女性のことをアジュンマ、結婚していない若い女性を아가씨(お嬢さん)と呼ぶようだが、実際には見知らぬ人からアジュンマと呼ばれて気分を良くする人はそういない。それを表すかのように、何年か前にはラジオから、ラップ調でこう歌う広告がしきりに流れてきていた。
日本で言う介護福祉士やヘルパーに当たる人たちを「アジュンマ」と呼び、家事や雑用までさせようとする人が多かったため、国民健康保険公団でこんな広告を作ったそうだ。テレビで見たCMの方では「アジュンマ!」と言われてNOを突きつけたプロフェッショナルたちが、最後に「療養保護士様」と呼び直され、ニッコリと微笑んでいた。
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私は韓国に来て結婚し、子どももいるけれど、実際にはまだ面と向かってアジュンマと呼ばれたことがない。見知らぬ人から声をかけられるとしたら「선생님(先生)」と言われるか、子どもと一緒なら「어머님(お母様)」や「보호자님(保護者様)」、友人知人の子どもたちには「이모(おばさん)」などと呼ばれている。
もしこれからどこかでアジュンマと呼ばれたら、一瞬「はあ?誰のこと?!」と思ってしまうかもしれないけれど、自分で自分にアジュンマ認定をした今、「はーい!アジュンマですけど何か?」と笑ってみるのも悪くないな、と思い始めている。
だってね。心のどこかで「ああはなりたくないな」って思っていたアジュンマたちがどうしてそうなったのか?自分がアジュンマ街道を歩み始めた今、少しだけ想像できるようになったから。
アジュンマになりたくてなる人なんて、きっとどこにもいない。年を重ね体力が落ち、いろんな悩みを抱えながらも、自分を後回しにしながら家事や子育てや仕事をし、「女とは母とは妻とはこうあるべき」という見えない圧力に抗ったり、時に流されたりしながら、毎日荒波を乗り越えているんだから。そりゃあ、強くたくましく、図太くもなるよ。そうならなきゃ生きてこられない場面がたくさんあったんだよ。
アジュンマだけじゃない。아저씨と呼ばれるおじさんたちもきっと同じだろう。若い人たちのひんしゅくを買う言動の裏には、単に加齢の問題だけじゃなく、彼らが生きてきた時代や環境の問題も大きく影響しているんじゃないかと思うのだ。
会えばいつも美容の話ばかりして若さに異様にこだわっていたあの人も、玉ねぎの皮を煎じて何度も無理やり飲ませようとしてきたあの人も、今思えばみんな人生の後半戦も綺麗でいたい、健康でいたいと、自分なりにあれこれ模索していただけなんだなって、今はよくわかる。
人って、やっぱりその立場にならないと見えてこないこと、わからないことがたくさんあるみたいだ。
そういうわけで、山あり谷あり、ここまで一生懸命生き延びてきたんだから。若い頃の自分より肉体は劣るけれど、精神は鍛えられてきているはずなんだから。アジュンマと呼ばれたって、どう思われたって、笑顔で胸張ってこう答えればいいやん、と最近思うのだ。
「はーい!アジュンマですけど、何か?」
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