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イチジク農園でミョヌリ体験?! #20

このエッセイは、2017年、約4か月にわたり韓国の有機農家さん3軒で農業体験取材を行い、現地から発信していたものです。2018年以降に書いた関連エッセイも含めて、これから少しずつnoteに転載していきます(一部加筆、修正あり)。

2018/12/31


 2018年の夏、韓国では7月中旬頃に梅雨明けしたかと思ったら、今度は連日35度を越える蒸し暑い日々が始まった。毎晩帰宅すると部屋の湿度は70%以上。ベランダの無い家が多いため洗濯物は室内干しが主流なのだが、こうも湿度が高いとなかなかすっきり乾かず苦労する。

 2017年7月6〜20日の2週間、農業体験取材3か所目となる「대천EM관광농원(テチョンEM観光農園)」にいた時もそうだった。梅雨明け前だったということもあり、気持ちよく外で洗濯物を干せたのはわずか数日。エアコンのない部屋で一日中扇風機を回し、ムカデや蚊、ハエと格闘しながら過ごす毎日だった。

 農園がある場所は、韓国中部の西側に位置する忠清南道チュンチョンナムド保寧ポリョン市。韓国西海岸最大級の広さを誇る海水浴場があり、毎年夏に「保寧マッドフェスティバル」が開かれる海沿いの街だ。

 この地で1978年に帰農し、約18年前からイチジクとブルーベリーを有機栽培しているというご夫婦の元で、まるで娘のように、ある時はミョヌリ(嫁)のようにお世話になった。

▲2017年7月20日、お別れの前に記念撮影。後方左から、農園のオモニ임순자(イム・スンジャ)さん、私、農園のアボジ안만수(アン・マンス)さん。写真前方、農園に1か月滞在していたアメリカ人のクリスティーナ

 ここへ来る前に訪れた2か所の農園は、個人的なつながりがあったり、友人に紹介してもらったりして取材をお願いしたのだが、こちらのイチジク農園はWWOOF KOREA(ウーフコリア)というNGO組織を通して農業体験の申し込みをした。

 WWOOFとは、World Wide Opportunities on Organic Farms(世界に広がる有機農場での機会)の略で、「有機農家」と「農家さんを手伝いたい人」をつなぐ活動をしている。1971年にイギリスで誕生し、今では世界60か国以上にWWOOF事務局が設立されているそうだ(*)。

 WWOOFでは有機農家(ホスト)が「食事・宿泊場所」を提供する代わりに、農家さんを手伝いたい人(ウーファー)が「力」を提供。金銭のやり取りは行わず、家族のような間柄になって交流することを主な目的としている。

*WWOOF JAPAN ホームページ参照

▲2017年7月8日撮影。イチジクハウスの様子

 私がこのWWOOFについて知ったのは、3年ほど前「WWOOFに登録してヨーロッパを3か月ほど旅した」という同世代の女性に出会ったことがきっかけだった。彼女はいくつかの農園に滞在しながら、もともと関心を持っていたハーブの育て方や調理法を学んできたのだという。

 彼女のようにウーファーになるためには、まず訪問したい国のWWOOF事務局ホームページに登録することが必要だ。例えば韓国の場合、WWOOF KOREAのホームページを訪れ、初年度の登録料5万W(約5千円)を支払ってから申請書を送信すると、事務局から会員番号がメールで送られてくる。そうして初めて、ホストとして登録している農家さん63件(2018年3月現在)の詳しい情報が閲覧可能になる。

 訪ねてみたい農家さんを選んだら、滞在希望期間や連絡先、同伴者の有無、自己紹介などを書き、事務局を通して農家さんに連絡。基本的に24時間以内に返信が来るので、そこからは直接農家さんとメールでやりとりし、農園までの行き方や送迎の有無など、細かな確認を行っていく。

 海外のWWOOFに登録する場合、現地の言葉か英語が必須だ。もし訪問したい国に事務局がない場合は、ウーフインディペンデンツ(WWOOF Independents)で管轄している場合があるので確認を。「海外へ行く前に、まずは日本でWWOOFを体験してみたい」という人は、WWOOF JAPAN(ウーフジャパン)のホームページをぜひのぞいてみてほしい。

▲WWOOF KOREAの有機農家さんを数多く訪問し、取材・撮影を行っている写真作家の卵、香港系アメリカ人のヨーランタ(左)と、5年の海軍勤務を経て大学生となり、夏季休暇を利用して韓国にやって来たアメリカ人のクリスティーナ(右)
▲料理上手なヨーランタが作ってくれた中華風のパン

 さて、ウーファーとして初訪問した韓国のイチジク農園では、本来なら毎日6時間ほど農作業のお手伝いをするはずだったのだが、私が訪れた頃はまだイチジクが熟れる前。ハウスの中でできることといえば、草ひきをしたり、イチジクの余分な葉を摘み取ったりすることだけだった。

 梅雨の晴れ間には外に出て、ブルーベリーを収穫。その後選別し、パックに詰める作業を行った。雨が降ると室内でイチジクジャムの包装をしたり、2年前に仕込んだというブルーベリーやイチジクの酵素ジュースをペットボトルに詰め、商品シールを貼ったりした。

▲ブルーベリーの選別作業

 農作業以外の時間は、オモニの家事を手伝うことが多かった。朝・昼・晩のご飯作りや食後の皿洗い。床掃除、洗濯物干し、布団干し、買い物の付き添いなど。私たちウーファーは、まるでこの家の娘…いや嫁になったかのように、オモニの手となり足となり、求められることをサポートしていった。

 実はこの農園、男性のウーファーは受け入れ不可(カップルや夫婦であれば可)。なぜかと尋ねると「男の人に家事を手伝ってもらうのはちょっとねえ…。私が頼み辛くって」とオモニ。昭和生まれの私には「家事は女の仕事」というオモニ世代の考えが理解できるような気もしたが、「今の時代に何をおっしゃる」という思いもわいてきて、なんとも複雑な気持ちになった。

 農園滞在4日目の午後、ある事件が起こった。ブルーベリーの収穫後、部屋で休んでいると、突然「아가야~(アガヤ~)!」と叫ぶオモニの声が聞こえたのだ。慌てて駆け付けると、浴室の前で全裸のまま座り込み、呆然としているアボジの姿と、その身体を支えるオモニの姿があった。

「アボジが말벌(スズメバチ)に刺されたみたい!」

 取り乱しながらも119番に電話するオモニ。聞けば、ハウスで仕事を終えて家に戻る間に刺されたという。しかし、まさかスズメバチだと思っていなかったアボジは、帰宅後すぐに浴室へ。シャワー中、急にめまいがし、浴室のドアに倒れ込んだところ、運よくドアの前にオモニがいてアボジを支える形になったようだ。もしその時オモニがいなければ、壁に頭をぶつけて大けがをしていたかもしれない。

 その後、アボジとオモニは救急車で病院へ。幸い大事には至らず、数日後にはすっかりいつものアボジに戻っていた。私とクリスティーナは、ただおろおろと2人の様子を見守るだけで結局何もできなかったのだが、オモニもアボジも「あなたたちがいてくれて本当に良かった」と言ってくれた。

 オモニがあの時叫んだ「아가야~(アガヤ~)!」という呼び声は、幼い子どもや若い嫁を呼ぶ時に使う言葉だった。「遠くの親戚より近くの他人」ではないが、頼りになる実の息子と娘が車で何時間も離れた街に住んでいる2人にとって、あの瞬間、私とクリスティーナは間違いなく家族のような存在であったのだろう。

 と、まあこんな風に、WWOOFでは農作業だけでなく、料理や掃除を手伝ったり、子どもの遊び相手になったり、ホストが助けを必要としていることをお手伝いする場合も多いようだ。

▲イチジクジャムの包装中
▲ブルーベリーとイチジクの酵素ジュース。ジャムもジュースもすべてオモニの手作り

 こうして、娘や嫁の疑似体験をしながら過ごしていたある日の週末、農園に、本当のお嫁さんがやって来た。アボジとオモニの息子さんが、妻と子ども2人を連れて遊びに来たのである。

 アボジは壊れたままだったエアコンを修理し、孫たちのおもちゃを出してきて1つずつきれいに拭き始めた。オモニは前日から布団を干して寝床の準備。当日は朝から農協や市場へ買い出しに行き、新鮮なアナゴを手に入れて丁寧にさばき、韓国風酢豚「탕수육(タンスユク)」のアナゴバージョンをせっせと作り始めた。私はポテトサラダ、クリスティーナはブルーベリーパイを作ることになった。

 やって来たお嫁さんは、台所に入るなりエプロンを着け、オモニの話に合いの手を入れながら皿を洗っていた。自分がどう動けば姑の痒いところに手が届くのか、熟知しているように見えた。アボジとオモニは久しぶりに会う孫たちに目を細め、観光に連れ出し、翌朝、キムチなどいくつかのおかずを持たせ、笑顔で家族を見送った。

 その日の午後、食卓の椅子に腰かけ、ふうっとため息をついているオモニの姿があった。「会えるのは嬉しいんだけど、みんなが帰ると疲れがでちゃうわね」と力なく微笑んでいる。「息子夫婦が来てくれる方がまだ気が楽なの。韓国には“사위는 백년 손님(婿は100年たってもお客さん)”っていう言葉があるんだけど、娘夫婦が来ると、お婿さんに気を遣うのよねえ」とオモニ。

 日本でも「孫は来て嬉しい、帰って嬉しい」なんて言葉を聞いたことがあったけれど、国は変わっても、親の気持ちというのはそう変わらないものなんだなあ。私はただただ、オモニのつぶやきに耳を傾け続けた。

▲息子さん家族が来た日の昼食。2週間の滞在中、一番のごちそうが並んだ日だった

 この農園がウーファーを受け入れ始めた理由は、学生の頃から英語の歌が好きで外国に興味があったオモニが、ある日新聞広告でWWOOF のことを知り、韓国にいながら外国人と交流できる良い機会になりそうだと興味を持ったのがきっかけだった。

 農園に何冊も保管されているノートには、これまで訪れたウーファーの感謝の言葉が、英語や韓国語でつづられていた。アメリカから絵具を持参していたクリスティーナに絵筆を借り、私はオモニとアボジの似顔絵をノートに描いた。

 「minaはもしかしたら韓国の人と結婚するかもしれないから」と言って、カクテキ(大根のキムチ)やナスのナムルの作り方を教えてくれたオモニ。ある日の昼食時には、この言葉ができれば韓国ミョヌリとして合格よ、と言わんばかりの韓国語を教えてくれた。

 「お義父さん、お義母さんに食事を勧める時は、“식사하세요(食事をしてください)”でもいいけど、“진지 잡수세요(食事を召し上がってください)”という言い方の方がもっと丁寧でいいわよ」と。

▲農園のノートに描いたオモニとアボジの似顔絵
▲農園最後の日、クリスティーナが手紙をくれた。裏にはイチジクの絵が

 この農園滞在から1年後の夏、イチヂクの季節を迎え、久しぶりにお二人に連絡をとってみたところ、「農園を整理して他の都市へ移転した」という返事が帰ってきた。確かその都市の名は、息子さん家族が住んでいる街だ。

  実は私が農園を訪れる半年ほど前、オモニは冬の寒い日に、外で滑って転んでしまい、片足が未だに動かしづらい状態だったのである。ウーファーに農作業を指導するのは本来オモニの役割だったのだが、私が訪れた時はアボジがすべての農作業を担っていた。

 農園を始めて40年。少しずつにじり寄る老いへの不安を口にしていたオモニとアボジは、今、本当の家族の側で心穏やかに、また新たな農あるくらしを始めていることだろう。

▲オモニとアボジが手塩にかけて育ててきたイチジク

 オモニの言葉通り、私はその後、縁あって韓国人男性と結婚し、2018年1月から韓国で暮らしている。そして今年は農作物を育てる代わりに、お腹で子どもを育てるという大仕事を経験することになった。2017年にお世話になった他の農家さんたちにも、それぞれ大きな変化があった。その辺についてはまた次回つづるとしよう。

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