見出し画像

イチジク農園での新たな出会い #16

このエッセイは、2017年、約4か月にわたり韓国の有機農家さん3軒で農業体験取材を行い、現地から発信していたものです。これから少しずつnoteに転載していきます(一部加筆、修正あり)。

2017/07/16

 生まれて初めて見る巨大なクモ。どこからか一斉に集まってくるハエ。上着を脱いだ瞬間に狙い撃ちしてくる蚊。部屋の中をサササーッと這いまわるムカデのような生き物。これらはこの10日間、共に暮らさざるを得なくなった虫たちだ。

 先週7月6日(木)、韓国での農業体験取材3か所目となる農園にやってきた。場所は、韓国中部の西側に位置する忠清南道チュンチョンナムド保寧ポリョン市にある「대천EM관광농원(テチョンEM観光農園)」。ここでは主に、イチジクとブルーベリーを有機栽培している。

【追記】 農園は数年前に閉園。

▲農園に来た翌日、ハウスの中に1つだけ、食べ頃を迎えたイチジクが実っていた
▲대천EM관광농원(テチョンEM観光農園)

 保寧市は海沿いにある町で、韓国西海岸最大級の広さを誇る海水浴場があり、毎年夏に「保寧マッドフェスティバル」が開かれることで知られている。海辺で泥だらけになって遊ぶというこの祭りは、世界的に有名らしく、参加者の7割は外国人観光客が占めるという。20回目を迎える今年は7月21日(金)~30日(日)に開かれ、期間中、歌手のPSYサイIUアイユーのライブも予定されている。

▲대천역(テチョン駅)構内で見つけた「保寧マッドフェスティバル」のパネル
▲フェスティバルの会場となる대천해수욕장(テチョン海水浴場)は農園から車で10分以内

 この農園に来てからの10日間、気持ちよく晴れて外で洗濯物が干せたのは3日ほどで、その他の日は曇りか小雨。大雨の日もあった。イチジクはハウスで育てているので、雨が降っても作業はできるが、残念ながら収穫が始まるのは7月末から。今は、イチジクの木に新しく生えてくる葉を取り除いたり、雑草を抜いたりして手入れをしている。

 これまで経験した江原道、全羅北道の農園がどちらも標高の高い場所にあり、初夏のさわやかな気候が続いていたのに比べ、今いる場所は海沿いの平野で、雨が降り続き気温が高い。そんな中、長袖・長ズボン・帽子・マスク・軍手(しかも2重)の完全防備でハウスに入り、地面に這いつくばって草を抜き続けると、まるで蒸し風呂にいるようだ。

▲ハウスの中で育つイチジクの様子。
昨年の今頃はもう収穫が始まっていたそうだが、今年はまだ熟していない

 急速に体力を奪われていく身体に追い打ちをかけるように攻撃してくる強敵は、蚊だ。奴らはたった数分の間に、私のお尻と太ももを何か所も「冷蔵庫ズボン」の上から刺してきた。這いつくばりながらふと顔を上げると、今度は目の前にあったイチジクの葉が目に突き刺さった。巨大なクモが作った巣も身体に絡みつく。暑い、かゆい、痛い。「農業って大変」と初めて思った。

 正確には、農業が大変というよりも、私が蚊に刺されやすい体質ということと、この環境に慣れていないため対策不足ということが問題だった。この経験を通して学んだことは、農業を始める時には、自分の体質や、理想とする「農あるくらし」に合った場所・環境・作物を選ばねばならないということだった。

▲イチジクハウスで。右から、農園代表のアン・マンスさんと、7月3日(月)~13日(日)の10日間、ボランティアに来ていたアメリカ人のヨーランタ。そして、完全防備の私

 この農園の代表であるアボジ、こと안만수(アン・マンス)さん(70)はまさに、自分の身体に合った土地を探し求め農家になった人だった。帰農前はソウルでファッションデザイナーとして活躍し、1970年代に開業した新羅ホテルや朝鮮ホテル(現ウェスティン朝鮮ホテル)などのオープニングショーで、華々しく仕事をしていた。

 その一方で、原因不明の体調不良が続き、母親の助言で生まれ故郷である忠清南道へ戻ることを決意。療養のために訪れた保寧市は縁のない土地だったが、たまたま通りがかった時に見つけた畑や木々の美しさに心奪われ、その足で地元の人に「この土地を買いたい」と申し出たという。結婚と同時に今の場所へ移住し、農業を始めたのは1978年のことだった。牛や豚を飼い、有機農法で多種多様な野菜を育てることからスタートした。

 アボジの家の入口には、韓国の軍隊の中で最も過酷と言われる海兵隊のカレンダーがかけられている。アボジは兵役中、海兵隊に在籍し、志願してベトナム戦争(1955~75年。韓国軍は1965年9月から参戦)に13か月参戦したそうだ。「ベトナム戦争の時、米軍がジャングルに薬を撒いたのね。僕らは当時、蚊を退治する薬だと思っていたけれど、後からそれが枯葉剤だったとわかった。ずっと体調が悪かったのは、そのせいじゃないかと今は思う」とアボジは言う。

▲アメリカ人のクリスティーナとブルーベリーを収穫

 韓国にいると、こうして戦争や軍隊の話を耳にすることがよくあるのだが、11日(火)に農園へやって来た新メンバー、アメリカ人女性のクリスティーナ(29)も、2015年の秋まで5年間、アメリカ海軍に所属していた元軍人だった。

 2年ほど前、アメリカ国防総省の諜報機関であるNSA(アメリカ国家安全保障局)に勤務し、毎日パソコンに向かっていた時、友人から有機農家とボランティアをつなぐ組織、WWOOF(ウーフ)の話を聞いたという彼女。その頃から「いつか済州島のミカン農家で農業を手伝ってみたい」と思っていたという。

 私たちの会話は、ほぼ韓国語だ。私が延世大学語学堂に留学していた2012年、クリスティーナは海軍のメンバー数人とともに、高麗大学語学堂で6週間韓国語を学んでいた。語学堂では主に、韓国のニュースを題材にした授業を受けたという。彼女の話によると、海軍兵学校では中国語や日本語などの外国語を1つ選んで学ぶそうなのだが、彼女は韓国語を選択。そうしてハングルの基礎を学んだのち、軍人として韓国に短期留学する機会を得たようだった。

 「韓国に興味を持ったきっかけは?」と尋ねると、「韓国映画」と答え、少し間を置いて「K-popも。BIGBANGのT.O.Pが好き」とはにかんだ。近い将来「パートナーと2人で小さな畑をしながら暮らそうと思っている」とも話してくれた。

▲7月14日(金)、ブルーベリーにしがみつく蝉の抜け殻を見つけた。遠くで蝉が鳴いていた

 クリスティーナが来た2日後の7月13日(木)に、10日間の滞在を終えてソウルへ向かったヨーランタ(25)もアメリカ人だった。香港で生まれ、幼少期にアメリカへ移住。アメリカで1年、上海で1年ランドスケープデザイナーとして経験を積んでいたが、上海生活で体調を崩したことをきっかけに、自然の中で暮らしたいという思いが強まったという。

 1年ほど前に会社を退職し、今は写真作家を目指して韓国の農村を体験取材しているヨーランタ。「半農半ライター」という生き方を選び訪れた韓国で、こんな同志に出会えるとは思っていなかったので、彼女の話にはとても勇気づけられた。WWOOF KOREAでアルバイトをしながら、今後3年ほどかけて旅を続けるという彼女は、韓国ですでに20件以上の農家を訪問し、自身のホームページに英語で記録を残している。

▲イチジクの横には害虫予防のためしその葉が植えられている

 ヨーランタがソウルに向かう前日の夜、イチジクハウスの中でお別れ会が開かれた。ヨーランタに呼ばれてハウスに向かうと、そこには豚の顔がでんと置かれていた。韓国では大きな建物を建てる時や、映画の撮影前などに、茹でた豚の頭を置いて安全祈願をする고사コサ(告祀)という儀式があると聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだった。

▲豚の口には封筒が挟まっていた。中にはお金が入っているようだった

 農園のオモニ、임순자(イム・スンジャ)さんが包丁で手際良く、豚の鼻、あごの下、頬、額などの肉を薄く切り落とす様子をじっと見守りながら、「人はこうして動物の命をいただいているのだ」と感じずにはいられなかった。私は今まで何頭の豚のお世話になって来たのだろう。

 豚の顔が豚肉に変わっていく瞬間を目の当たりにしながら、私は全羅北道・茂朱ムジュ市のミニシアターで見た、ポン・ジュノ監督の最新作『옥자(オクジャ)』を思い出していた。この映画は、山奥で暮らす少女が、親友である怪獣オクジャを食肉として解体し、売りさばこうとする多国籍企業から守ろうと奮闘する物語だった。

 上映後「고기 너무 좋아(肉がとても好き)」と話していたカナダ人のローランド以外、全員が涙しながら「しばらく肉は食べなくていい」と口にした。しかし、数日たつと「サムギョプサルが食べたい」と思っている自分がいた。

 オモニが切り落とした豚肉は、見た目のグロテスクさとは裏腹に、ほどよく脂が乗っていてセウジャン(エビの醤油漬け)やキムチとの相性が抜群だった。「この夏も、みんな健康で幸せに過ごせますように」と言って、オモニは一切れずつアボジ、私、ヨーランタ、クリスティーナの口に肉を入れてくれた。翌日には、キムチと一緒に炒めた豚肉が食卓に並んだ。肉の油を絡めた焼きキムチは、ご飯が何杯でも食べられそうなくらい濃厚な風味で箸が止まらなかった。

 この農園では今の時期、農作業よりも、掃除・洗濯・料理をしてオモニの家事を手伝うことがとても多い。この週末は特に、オモニの息子さん家族が1泊2日で訪問したので、その準備に大忙しだった。そんな生活を通して見えてきた韓国家庭の様子や、長年農業を営んできた人たちが、老後をどのように過ごそうと心がけているのか。次回はアボジ、オモニとの暮らしを通して学んだことを書き残したいと思う。

▲エッセイ『韓国で農業体験 〜有機農家さんと暮らして〜』 順次公開中

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?