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キッシュと確執

私は家族ができて、幸せである。
今、キッシュを食べている。

何年も前の話
母親が作ったキッシュを見た弟が「何これ?」って言い放った。
我が家には珍しい食べ物だったから、純粋な疑問だったのだろう。

憶測だったが、
新しい料理に挑戦し、子ども達の良い感想を期待していたかも、と母の気持ちを思うと、胸が苦しかった。

私も母親になって、
母との確執は、私の一方的な感情かもしれないと思ったことがある。

言葉が見つからず、母の咄嗟の返事に不満を抱いていたけかもしれない、と。


今、私は幸せで、満たされている。
ずっと心のどこかにある、モヤモヤを消してくれる。

うっかり、母を許してしまいそうになる。

でもダメなのだ。

母の不完全さを受容しても、許容はできない。

何をするにも心に母がいた。

何かを決めようとすると
「何でそんなことしたの?」
と母の声が聞こえてくる。

何かを失敗すると
「お母さんの言う通りにしないからよ」
と言われたような気がした。

何かを褒めて欲しいと思うと
「なにこれ?」
と母に笑われるような気がした。

だから主張はやめた。

高校の入学説明会の時、
注文する体育服のサイズを書かせてもらえなかった。

すっかりマザコンの私は、
恥ずかしいとも思わなかった。

高校3年の頃、進路を考える時期、
だんだんと弊害が出てきた。
自分で決められない、主張ができない。

物理的にも精神的にも
遠くに行かないといけないと思った。

全部「自分」が決めるのだ。

それが、キッシュから湧き出た、私の記憶。

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