1億円保持者からみれば5万円なんて5円と同じだ#118
私は1億円を持ってはいない。しかし、1億円を持っている人からすれば5万円は5円と同じに見えているのではないか?と思ったことがある。
なぜなら私たちの数字に対する捉え方は、あまりにも感覚的だからだ。
行動心理に踊らされる人間の弱さ
人間は合理的であろうとする。
損得がはっきりしていれば
損を避けて得をとる。
しかし、特定の条件下において、人間は合理的ではなくなる。むしろ今の世は心理学というものを巧みに使うことで、人間が非合理的な生物であるといった方が自然とも思えてくる。
こんな例え話を聞いたことがあるのではないだろう?
ゲームで勝った。あなたはどちらを選ぶ?
1.今すぐに1000円をもらう
2.1年後に2000円をもらう
有名な心理ゲームの一つで、多くの人は今すぐ1000円をもらう方を選択してしまうというもの
ですがこの状況下、落ち着いていて、かつこのようなテーマで話しているので、あなたは自信ありげに、2番を選択したでしょう。
その通り
合理的に考えて選択すれば、2番を選んだ方が得である。にも関わらず多くの人は目先の利益を求めて今すぐ1000円をもらう方を選んでしまう。
行動心理学の分野で
よく使われる例え話である。
この例は極端で分かりやすいが、日常生活には人間の非合理的な行動心理を逆手に取った商売で溢れている。
ここで、実際に自分が体験した例を話したいと思う。
車を買った時のこと
人生で初めての車を買う場面を想像してほしい。
壁がガラス張りの広いショールーム。名前は知らんがカッコいい車が展示されている片隅にあるふかふかのソファに座りながら、ディーラー(車の営業マン)と私はパンフレットを眺めて話をした。俗にいう商談だ。
買入を決めた車の金額を〈100万円〉とする。
ディーラーは私にこう伝えるのである。
「運転初心者の方は〈バックグラウンドモニター〉をつける方が多いですよ、今回は紹介ということで特別に、〈カーナビ機能〉と〈冬タイヤ〉も付けてこのような見積もりになります」〈105万の表記〉
「今回分割購入になるので、○○回分割で、毎月の金額でいうと800円しか変わりません。紹介特典なので是非つけておきましょう!」
「月々800円ですか。まあ、それなら」と合意する。(金額の詳細ははっきり覚えてないので、適当です(笑))
ここで、よく考えてください。
今、目の前の〈5万円の買い物〉をしようとした時、例えとても欲しいものだったとしても、少々ためらうものではないでしょうか?
ですが、営業マンとの初めての商談。
〈100万円〉が〈105万円〉になり、
月々の支払いは〈800円〉しか変わらない。
この状況で決断を迫られた場合、オプションが実際はあまり必要ないものだったとしても、一体どれだけの人が、合理的判断で断ることができたでしょうか?
もう一度言いますが〈5万円の買い物〉をしようとしているのに、深く考えもせず、ポンとYesといってしまう。
そうなのです、私たちは100万円のモノを買うのが105万円になったところで、あたかも100円が105円になるのと同じような感覚を脳が錯覚として、感じてしまっているのです。
この話は私自身が当事者なので、私だけに限った話かも知れません。しかし、私自身が携帯電話の営業経験があるがゆえに、この手法に流されて合理的判断ができない人は余りにも多い。
これが、いとも簡単に
非合理的人間に陥ってしまう例の一つです。
株で金銭感覚を狂わせた人の例
⚠️これはさすがに私の話ではありません(笑)
例えば、株やFXで大儲けして、数時間のうちに億万長者になる人は実際にいるらしい。(いるらしい。という表現なのは実際に目の前で見たわけではない為)
利益が一気に1億円に上昇し、しばらくまた様子を見守っていたところ、ボーダーが少しだけ下落した。その時の損失およそ100万円!!
しかし、あなたがトレーダーになったつもりで考えてほしい。
1億円が9900万円になったところで、1%しか減っていないんだ…。
だけど、改めてもう一度考えてほしい。
さっきの車の例で
〈100万円なんてはしたお金〉
なんて言葉を果たして使えるだろうか?
(言ってないけど(笑))
ましてや先ほど話した5万円なんて、この1億円トレーダーからすれば、まさに5円玉のような小銭同然に思えているのではないだろうか?
これが金銭感覚を狂わせる怖い所。
もはや、非合理的云々言っている場合ではない。
車の時と同じ
100万円の買い物ができる
それこそ良い車を1台買えるだけのお金を
はしたお金と思ってしまう
それはなんとも恐ろしい話ではないだろうか
私が伝えたかったこと
長くなったが私が伝えたかったのは
〈貯金〉においても
人間の非合理性が起こるということ。
例えば貯金がない時
生きる為に必死に節約の意識が働く
一方で、貯金残高がある程度あるとき
コンビニに行くと
「これくらいいいか」と
と知恵を絞るのを諦めて、
欲に負け、消費行動に走るのだ
安定した収入がある。
来月の〇〇日になれば給料が入る。
家計簿を付けたら、〇〇万円貯金できる。
周囲の人はさぞ安心するのだろう。
しかし、当人が
その安定の代償として失うのは、
今日を生きる為に、必死に知恵を絞って考えて
副業を志したあの日の気持ちだ。
あの飽くなき渇望に満ちたやる気と希望
今の自分に100日前のそれが
どれだけ残っているだろうか?
生きるか死ぬか
今日の稼ぎであと足りない額
はいくらになっただろう
そうやって、
ギリギリを生きていた時の楽しさといえば
この上ないほどだった
いや、きっと今だから思えることなのだろう
なんというパラドックスか
人間の非合理性どうこうの前に
自分の性格が非合理的に思えてきた
まとめ
一億円なんていらない。
私には、愛する彼女と、楽しいコミュニティ、アニメや小説を心の底まで楽しめる時間さえあればいい。
逆に、それらを守ったり、時間を手に入れる為にはそれなりのお金が必要なのかもしれない。
夢中になれるものはいい。
逆に今は夢中になれるものがなくて
少しだけ退屈し始めているのだ
これだけが言いたくて
このnoteを書いたのかもしれない
最後までお読みいただきありがとうございました。
(2464文字/執筆時間82分)
■追伸
プログラミングをかじり始めた
読書をしたいとか、ポコチャを始めたか
と思ったら、今度はPCか
半年後、いや三ヶ月後何してるかわからんな
意外と農業とかしてるかもな(笑)
いつもnoteを読んで頂きありがとうございます✨ サポートをして頂けましたら、創作活動の勉強費用に当てて、ゆくゆく必ず社会に還元させて頂きます🍀