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闘病体験記~この身体で生きる~ プロローグ

■はじめに

こんにちは。プラ○○入谷翔○と申します。
入谷でもプラ○○イリヤでもお好きなように呼んで下さい。

闘病体験記というと、がんや血管疾患その他慢性病を患っている方が、その生き様と切なる思いを文字にしたため、読み手となる人々の何らかの感動を届けるものだと思います。そしてそれは命を賭けた人生の一大叙事詩であり抒情詩である僕は考えています。
僕がこれから書こうとするのはそれほど立派なものではなく、単なる人生に起きた病気の記録です。どうぞ気を楽にして読み進めてやって下さい。

僕は幼い頃から本当に病弱で、月の半分を風邪で寝込んで10日も幼稚園に行けなかったというほど身体が弱く、そのうえ先天的な骨の形成不全、心臓病や肝疾患など次々と病気が発覚していきました。(そのうえ天パ)
小学校に上がっても入院手術など、何かと医者通いが絶えず、病院というものに縁がありました。(あんま嬉しくない)
幸い小学三年生の頃にしたアデノイド除去手術で風邪引き体質は改善されたものの、15歳の頃に将来失明に至る眼病を発症して以来、僕の人生は病気と共にあると予感しました。
その後緑内障発作、腎臓結石、胃腸障害、パニック発作、異常高血圧を基軸として、頭痛、胃痛、腹痛、胸部痛その他様々な痛み、医者も分からない原因不明の症状などに苦しみ、
その予感は、年経る毎に悪化する現在の姿を占っていたように思います。

昔から自分の病気や身体について書いてみたいと思っていました。
それは、自分ばかりが貧乏くじを引いて不条理に泣き寝入りするだけの不幸な現実を己の中だけに留めておきたくない、という情けなく甘えた考えがあって、それを誰かに分かって貰いたかったからだと思います。
でも烈火の如く愚痴にすれば誰も幸せにならないし、自分もまた暗闇に堕ちていくだけです。なのでそれをするつもりはさらさらありません。

このnoteという場に書き残すことで、この病気から得た経験が、誰かの人生に一ミリでも役立てたら幸いと思い、
前向きな意味での告白をしていきたいと考えています。同時にそれはタイトルにあるように、この身体で自信を持って生きれるよう、僕自身が心の軌道修正をするためでもあります。

長文乱文、誤字脱字、読みにくい箇所も多いかと思いますが、もし気が向けばどうぞお付き合いください。読んでくれると嬉しいです。


■構成と概要

皆さんは、2016年1月に逝去したジャーナリストで編集者である竹田圭吾氏をご存じですか?。朝のニュース番組「とくダネ」にも出演していたコメンテーターです。
僕は氏の言った言葉が今でも印象的に残っており、それが真理なのだと確信しています。
氏はがんに侵されながらも最後までありのままの姿を視聴者に伝え、番組の中で「がんになったら人生終わりじゃない。日々の生活の中にがんという要素が加わり日常が続いていく」と言っておられました。
僕はこの言葉に感銘を受け、眼病やその他病と共に生きて行かなければならない、と思い、調子が悪くなる度に刹那的になろうとする自分を律するきっかけとなりました。(全然律っせてないけど…)

病気は人生と共にあり、人生を構成する一要素。要素である以上、病気を振り返る=人生を振り返ることになります。
眼病をはじめとする持病悪化の経緯や新たな病気を発症した闘病記録に、僕プラ○○入谷翔○という人間がどのような人生を送ってきたかという回想録も含みます。ご了承ください。

なのでちょっっとばかし長くなる予定なので、タイトル『闘病体験記~この身体で生きる~』をシリーズとして複数回に分け、
メインテーマである眼病は、2000年秋に発症をした《眼病編1》からスタートし、2008年から現在の2021年までは、西暦毎に何に病気になって状どんな況であったかを書いていきます。
途中眼病の再発毎に《眼病編2~》を挿入し、病状とその半生を克明に記していきたいと思います。

ここまでありがとうございます。それでは『闘病体験記~この身体で生きる~#1《眼病編1》』へ続きます。


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