社会的価値について 1
一昔前から「社会的価値」という言葉が非常にしばしば使われていますが、この言葉はかなり適当に使われていて、コミュニケーションが成立しているのかどうかあやしい場合すらあります。
言葉の意味の混乱
社会的価値は、少なくとも次の2つの意味で使われているようだ。
❶common good―共通善―の同義語
❷想像的価値の同義語、社会の存在を前提として成立する価値
❶common good―共通善―の同義語
おおむね共通善と同じ意味で使われているようだ。共通善の一般的な定義は以下の通り。
要するに、「皆にとって良いこと」である。SDGsがこの代表格である。というか、SDGsは共通善を網羅的にブレイクダウンしたものだと言っても良いと思う。たとえば目標1「貧困:あらゆる場所あらゆる形態の貧困を終わらせる」など、このような目標が「良い」ということ自体に異議を唱える人はまずいない(と信じたい)。
social goodも、common goodとほぼ同じ意味で使われていると思われる。また、「社会課題を解決する」という商品・サービス、事業や企業も、社会的価値をもつものと言って良い。
❷想像的価値の同義語、社会の存在を前提として成立する価値
想像的ベネフィット、自己便益ベネフィット、社会的便益ベネフィットなどとも呼ばれるものである。まず具体例を見ると分かりやすい。
上の例は、広告業界では「ラダリング」と言われて良く知られているものである(梯子をだんだん登っていくように、より本質的な価値を特定しようとすること)。
製品・サービスの客観的な「事実・特徴」をまず特定する。それらによって直接ユーザーにもたらされるベネフィットを「機能的ベネフィット」(機能的価値)という。情緒的ベネフィット(情緒的価値)とは、機能的ベネフィットに必ずしも関わらない、あるいは機能的ベネフィットの結果としてユーザーが感じる―知覚する―ベネフィットである。想像的ベネフィット(想像的価値)とは、ユーザーの社会観に関わり、これも機能的ベネフィットの結果としてもたらされる。
情緒的ベネフィットと想像的ベネフィットを識別する基準は、「社会がなくてもそのベネフィットが成立するかどうか」である。情緒的ベネフィットは、どのような社会の成員にも成立する。ひげを剃ってさっぱりするという感覚は、日本人でもアメリカ人でも、サウジアラビア人でも、原始人でも感じるはずである。一方、想像的ベネフィットは、ユーザーが属する社会の在りようによって、変化したり消滅してしまったりする。ある社会では今でももじゃもじゃのひげが一人前の男子の証である。そのような社会でひげをきれいさっぱり剃ってしまったら、「できる男」になったように感じるどころか、自信の喪失につながるかもしれない。
* * *
…と、この辺でもう1500字を超えて体力が消耗してきたので、続きはまたの機会に。次回は、「旧来の事業に社会的価値はないのか?」というテーマで書こうと思います(覚えてたら)。
アイキャッチ画像は、なんかかわいいので付けました。
→「社会的価値について 2」へ
この記事が面白い、役に立った、と思った方はサポートをお願いします。