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社会的価値について 2

社会的価値について 1」の続き。2で完結です。

既存の事業には社会的価値はないのか?

 社会課題の解決に貢献する、新規事業や革新的な取り組みが、日々ニュースになっている。例はすぐにいくつも見つかるだろうが、例えば次のようなものだ。

  • フェアトレードで入手した原材料しか使わない

  • 土に還るプラスチックを開発した

  • 今までは捨てられていた家畜の糞から肥料を作った

  • 飲み残しのとんこつラーメンのスープから自動車用燃料を作った(フェイクニュースではない。福岡の西田商運という企業が開発、実用化している。朝日新聞DIGITAL 2021.12.28

 どれもすばらしい取り組みだ。確実に社会の役に立っていると思う。前項の検討を踏まえた言い方をすれば、共通善の実現に寄与しており、「皆にとって良いこと」である。「社会的価値」がある。

 しかし、全て新しい取り組みである。フェアトレードや生分解プラスチック自体はそんなに新しくはないが、既存の事業に加えて何か新しいことをした、という意味で「新しい」ということだ。

 さて、「社会的価値」を社会に提供するには、何か新しいことをしなければいけないのだろうか? 言い換えれば、既存の事業には「社会的価値」はないのだろうか?

 結論から言えば、答えは「既存事業にも社会的価値はある」だ。

 基本的には、ある既存事業がちゃんと売れていて、利益も出しているならば、誰かの役に立っているということだ(詐欺等を除いて)。その「誰か」が特定の個人ではなく、社会の中の不特定多数の人々であるなら、それは社会の役に立っているという事でもある。

 「ごみ回収」の仕事を例にとってみよう(自治体により公営だったり民営だったりするが、そこは問題ではない)。今日の日本のごみ回収事業は、現代的な都市基盤の成立とともに必要になったはずだから、少なくとも数十年は存在している既存事業である。確実に社会の、皆の立っている。前項の社会的価値の定義に従えば、これは「社会的価値」があると言える。

 もし「ごみ回収」事業者が存在しなくなったら、社会はどうなってしまうか想像してみれば良い。家庭ではごみを出す前に溜めておく場所やその方法が切実な問題になる。東京ならおそらく毎週末は、夢の島あたりにごみを捨てに行く車で大渋滞になるだろう。そのため「家庭や企業からごみを収集し、街を清潔に保つ」というニーズが、ただちに発生するはずである。それは「社会的課題」として認識される。その「社会的課題」を解決すべく、ビジネスにしようとする人々が遠からず出現するだろう。

 言い換えれば、既存事業とは社会的課題をすでに解決してしまっている事業であり、社会的価値を既にもっている。

 そう考えると、華々しくニュースになる「社会的価値がある新事業」を耳にするたび、「社会的価値」とは何なのか、いっそう意味がぼやけてくるように思われる。煎じ詰めると「社会的価値」とか「社会的価値がある」という表現は、「イノベーション」「イノベーティブである」「革新的である」のような意味で使われていると言える。

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アイキャッチ画像は、フェアトレードで作られたカカオ豆のようです。

社会的価値について 1

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