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がめ

 ヘベさんに会ったのはギルドのオフ会で三回だけ。ゲーム内にて二人だけでおしゃべりをしたこともある。内容は忘れたが、それなりに盛り上がったように記憶している。ただ、リアルで、例えば彼女と同じクラスだったとして、友達になれたかと問われれば、ならなかったと思う。

 噂通りに飲み会の前から酔っ払っていて、始まると休むことなく酒を体内に流し込み、一時間もしないで力尽きて眠ったかと思うと、三十分くらいすると起きて、「アタマ、いたーい」とか、「ぐあい、ワルっ」と言い、「迎え酒タイーム」と天に向かって吠えたかと思うと、また酒を飲み出した。

 酔っ払ったからといって暴れるわけでもなく、場の流れとは関係のない支離滅裂なことを言い出して会話の腰を折るようなことはあったけれども、それくらいのトリックスターがいる方が、リアルでは面識のない集まりにおいては、重宝だった。

 椅子でも畳でも床でも地面でもボロ雑巾のように横になったまま起き上がることが出来なくなってしまったヘベさんの面倒を見ることになるのはリヴァイさんで、飲み会が始まると、「今日こそ、おさえてよ」と要望を出し、途中、「もういいかげんにして」と制止、終盤戦、「本当に、置いていくからね。本当だから」と脅すのだが、いつも効果はなく、「そんなこと言わないでよー、お母さん」と甘えられて、「あんたみたい子を産んだ覚えないわよ」と怒るのが定番、そんなやり取りを見て、年上も年下も関係なく、リヴァイさんを、「いいじゃんいいじゃん、お母さん」「お母さん、ちょっとくらい優しくしてよー」「お母さんのいけずー」とからかい、「どいつもこいつも勝手に私の子供にならないで」と叫ばせように仕向けた。

 ギルドの管理人は別の人だったけれども、まとめ役はリヴァイさんで、役割分担、進路選定、作戦立案など、我を張らないで意見の調整に徹し、納得は最大に、不満は最小に抑え、誰からも頼られて、彼女が事実上のリーダーだった。

 二年くらい、ほとんど毎日ログインしていたけど、リヴァイさんの仕事が忙しくなって、あんまり顔を出してもらえなくなってから、なんだかつまらなくなり、他のギルドにも浮気をしてみたけれども、やっぱり以前と比較してしまって物足りなさを拭えず、ちょうどバトロワ系が流行り出したこともあって、そっちは引退した。

 サルのように夜遅くまで熱中し、そこで知り合った男と付き合い、半年ほどで別れて、「もうしばらく彼氏とか、いいや」と思っていたら、「久しぶりだけど、私のこと覚えている?」というメッセージが届いた。名前だけでは誰だったか分からなかっただろうが、アイコンは昔と同じで、掃除に勤しむリヴァイ兵長、直ぐに「お母さん」の顔が思い出せた。

 「久しぶりです」と返すと、挨拶もそこそこに、「ヘベさんが亡くなったので、葬式に出るんだけど、私一人だと心もとないので、付き合ってくれないかな?」と用件を伝えられた。「人の死」という圧倒的な出来事を不意にぶつけられて、つい、「もちろん」と答えてしまったが、翌日になり、派遣先に有休の申請を出さなくてはいけない段階になって、格別親しかったわけでもないことに気が付いたが後の祭り、「却下されたら、それまで」と期待したが、繁忙期ではないので、あっさり認められた。

 実家を出る時に持たされたブラックフォーマルをクローゼットの奥から掘り出し、「どうせ太るんだから」と大きめにつくってもらったスカートは、ウエストにピッタリであった。

 リヴァイさんとは乗り換え駅で落ち合うことになっていて、約束した時は、「現地集合でいいのに」と不満だったが、アパートを出た瞬間、彼女からの申し入れの意味が分かった。誰も気にしてはいないのだろうと頭では理解していても、上から下まで真っ黒な出で立ちは日常から浮いており、約束した改札前でリヴァイさんを発見し、ようやく孤立から解放されたと安堵した。

 リヴァイさんは、日本人なら誰でも知っている大企業の研究職に就いているという噂。ブラックフォーマルの着こなしが板についているのは、単に年上というだけでなく、私なんかと比べて、真人間な人生を歩んでいるんだろうと感じた。

 会うなり、「ごめんね」と謝られて、「どうしても一人で行く勇気がなくて」と言った。「これ」と私の名前の書かれた香典を差し出されたが、「いやいや、やっぱり、こういうのは自分で出さないと」と断ったものの、百均で買ってきた袋には経済的な問題で三千円しか入っていなかった。地下鉄の長いシートに並んで座ったけれども、会話も弾まず、給料日までの生活を思って、やっぱり体面など気にせずもらっておけば良かったと後悔した。

 セレモニーホールの係員に案内された部屋はテニスコートくらいの広さ、「前の方からお詰め下さい」というアナウンスに従って座ったが、式が始まるまでに埋まった席は半分もなかった。
 壇上の隅に控えている家族、両親と兄と妹は、いたってどこにでもいそうなありふれた人たちで、ステージを覆う白い花の中央に埋もれている写真のヘベさんも、その一員として相応しかったが、私の知っている彼女ではなかった。

 ゲーム内での彼女は巨体のオークを操り、体力と防御力を活かした盾役として強敵の攻撃を引き受けて、飲み会となれば遠慮容赦なく酔いつぶれては、「おかあさーん」と、リヴァイさんに迷惑をかけていた。短く切りそろえた髪の色は、真っ白だったりキンキンのゴールドだったが、写真の彼女は肩まで伸びた黒髪で、私の記憶よりも頬がふっくらとしていた。

 小声で、「あの写真、若いね」とリヴァイさんに言うと、「そうね」と同意してくれた。

 そして今、飾られたスタージの前に置かれた大きな四角い箱の中に、彼女が収まっているはず。いったい、どんな姿をしているのか想像できない。

 式は淡々と進み、最後に、喪主であるヘベさんのお父さんが挨拶をした。「お忙しい中、ご参列いただき、ありがとうございました」と、おそらくは葬儀社から渡されたままの原稿を読み上げ、若くして亡くなった娘の死因については語らなかった。帰りの混雑時、親戚や友人が不審がる様子はなかったので、彼らは知っているのかもしれない。

 リヴァイさんは、泥酔したヘベさんを何度か家まで送り届けたことが縁で、お母さんから死去について連絡をもらったそうだ。若過ぎる死について、なにか伝えられたのかどうか、私には教えてはくれなかった。

 リヴァイさんは式の間中、何度もハンカチで目頭を拭った。私も悲しくはあったが、涙は出て来なかった。

 駅のホームで電車を待っていると続々と二十歳前後の女の子が集まって来て、リヴァイさんは「女子大のキャンパスが近いの」と言った。仲の良い子同士で楽しそうにおしゃべりをする大学生たちを見て、「誰だったかな? 忘れちゃったけど、男の子は群れたがる、女の子はくっつきたがるって言ったけど、本当ね」と。

 ヘベさんの年齢は知らないけれども私よりも年下なはずで、白い花々に埋もれてた写真の彼女だったら、くっつきたがる学生たちの中にあっても、違和感なく溶け込んでいただろう。そんなことをリヴァイさんも感じたのか、黒いバッグから真っ白のハンカチを取り出して、目元に当てた。
「悲しいね」
「悲しいですね」
「でもね、本当に悲しいのは、どんなに今日泣いても、明日には、普通に会社に行けちゃうのよね、私。これから家に帰るまで、何度も泣くと思う。家に帰ってからも、泣くと思う。寝る前にも泣くと思う。でも、ちょっと苦しいけど眠れちゃって、朝起きたら、やっぱりまだ悲しいけど、化粧して、髪を整えて、ご飯食べて、家を出れちゃうのよ、私。それが、もう分かっているの。それが悲しい」

 リヴァイさんは顔からハンカチを離した。

 「そんなもんですよ」と返すと、「そうかしら?」と訝った。私は、再び、「そんなもんです」と言い切った。私は私、誰にもなれないんだから、そうやって生きていくしかない。

 線路を挟んで対岸のホームにも、賑やかな学生たちが集まっていた。直視することが出来なくて、視線を空に向けると、チョークで描いたような真っ白な細い雲が伸びていた。


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